エピソード30 魔素から一番遠い急所を突く。最強の料理人はボス戦すら「食材の下処理」に変え、太陽の絵と共に笑顔でダンジョンを崩壊させる【お持ち帰りのシェフ】
ふわり……と、一瞬だけ身体が宙へと持ち上がる感覚。
その浮遊感が収まるのを待ってから目を開くと、五感がすぐさま『砂漠の熱気』と同期を始めた。
日本の古い港町ではない、ひどく乾燥した空気感を受け取ると同時に、視界に飛び込んでくる一匹の白猫。
『……遅かったな、ミナト』
「お待たせ、ナッツさん」
『……客人を連れてくるとは聞いてなかったぞ』
ナッツの視線の先には、こちらを威圧するように立ち塞がる魔物の群れがあった。
アペシュの擬態が用意したギャルソンたちか、それともメインディッシュそのものか。どうやら僕が転送陣を使って神殿に向かうと同時に、このオークたちを召喚して出迎えてくれたらしい。
「ちょうど良かった。カエデさんにも良い手土産ができそうだね」
オーク。二足歩行の豚、と言ってしまうと身も蓋もない言い方になるが、まさにその通りの姿だ。
丸太のように太く筋肉質な体格、豚のような鼻と鋭い牙。そしてその手には、無骨で巨大な鈍器を携えているのが特徴的な魔物である。
「朔くん。ナッツさんを守ってくれてありがとね」
「……………大事、だから」
「よし! それじゃあ一気にたたみかけるよ」
――ニャオォォーンッ!
ナッツの甲高い鳴き声を合図に、オークたちの群れが一斉にこちらへ身構えた。
ただの愛らしい猫の鳴き声ではない。そこに込められた凄まじい威圧の魔力(咆哮)が、屈強な魔物たちの士気を一瞬にして削ぎ落とす。
『――エンチャント(付与能力)』
僕はすかさず、手に馴染んだペティナイフに魔力を流し込む。
『硬化』、『耐久』、『鋭利化』……。
基本的な強化を重ねた後、さらに魔力を練り上げる。
「『伸縮自在』!」
刀身を一時的に魔力で擬似的に延長する魔法だ。
オークの丸太のような腕と分厚い肉の壁をさばくには、本来のペティナイフではあまりに短すぎる。せいぜいが、皮表をなでて肉を傷つける程度で終わるだろう。
魔力を糧として伸びた青白い刃は、短剣よりも少し長い程度。だが、これなら十分にやりあえる。
オークが振りかざした最初の一撃。それを真っ向から受け止めたのは朔だった。
(……っ! 朔、そんな剛力を真っ向から受け止めたら……!)
オークの圧倒的な怪力の前に、朔の細身の長剣では受け止めきれるはずがない。剣が砕けるか、腕の骨が折れる。
「朔、離れて!」
僕の声に応えるように、朔は反射的に後ろへと飛び退いた。
と、同時だった。繰り出されたオークの足元から這い出た黒い影のようなツルが、巨躯を絡め取る。
ナッツの能力の一つだ。
――今だ。
僕が放った一条の斬撃。
魔力の刃が付与されたペティナイフが、拘束されたオークの首筋を……正確に、急所を断ち切った。
ドサリ、と。巨大な豚の体が、その場に崩れ落ちる。
「うーん……朔くん。太刀筋はいいけど、少し惜しいね」
「……ん?」
「魔物にはね、それぞれ固有の『魔素の核』があるのは知っているよね」
「……知ってる」
迫りくる二匹目のオークの鈍器をヒラリとかわしながら、僕は実践を交えて解説を始める。
「オークの核は、左肩の下あたり。そこから魔素が下層へと向かって、体内を循環しているんだ」
「…………」
「だから、魔素から一番遠くにある急所を突くこと。……例えば、こんな風にね」
――閃刃。
僕の伸ばしたペティナイフの刃が、オークの右の延髄を正確に、音もなく切断した。
「……一撃で、倒した」
朔の表情にやや驚きが現れる。
「うん。そうしないと、せっかくの食材が台無しになってしまうからね」
一般的に、ダンジョンに生息している魔物の肉は「食べられない」とされている。理由は単純で、魔素が有害だからだ。
魔物にダメージを与えながら戦うと、防衛本能で核から魔素が溢れ出し、血液と共に全身を巡ってしまう。その結果、魔物が絶命する頃には、全身の肉が魔素の毒にすっかり侵されてしまっているのだ。
「こう、か……?」
僕の動きを見た朔が、迫りくる別のオークの首筋目掛けて、長剣で鋭く斬りつける。
……うん、飲み込みはすごくいい。ただ、まだオークの分厚い皮と筋肉を断つには力が足りない。少し修練は必要そうだ。
(うんうん。やっぱり、僕の見立ては正しかったな)
朔の成長を微笑ましく見守りながら、僕は残りのオークたちを次々とさばいていく。
ドサリ、ドサリと、鮮度抜群の良質な肉体が石畳の上に積み上がっていく中、僕はすかさず魔法を展開した。
「『極低温冷却』」
これでよし。瞬時に冷凍することで、最高級の豚肉の鮮度を完璧に保つことができる。
食材は、これで十分に確保できた。
後……残るは、一つだけ。
「もう、これ以上暴れる力はないみたいだね」
僕の視線の先には、黒い渦でできた空間の歪みがある。宙に浮かび、ゆっくりと旋回しているその闇。
それこそがアペシュの本体であり、このダンジョンの創造主だ。
僕はゆっくりと、神殿の最奥にある祭壇のような場所へと近づく。
石でできた台座にはエジプトの象形文字らしきものが描かれているが、それはただの模倣に過ぎず、言語としての意味を成していない。そのすぐ頭上に、闇の渦が静かに、ゴォーと重い音を立てながら浮かんでいた。
「そろそろ、帰ろうか」
僕は振り返り、呆然としているナッツと朔の顔を見て微笑んだ。
そして、亜空間収納から一枚の『絵』を取り出す。
「出ておいで。ここが、君の帰るべき場所だよ」
喫茶店『素晴らしき世界』に飾られていた太陽の絵。そこから、まばゆい光が浮かび上がってくる。
小さな光はやがて天へと伸びる巨大な柱となり、神殿の真上から絶対的な光でアペシュの闇を照らし出した。
闇が、溶けていく……。
すべてが、白銀の光に包まれていく……。
パリンッ……!
目の前にある、架空に用意された箱庭の空間にヒビが入り、まるでガラスが砕け散るようにしてダンジョンが崩壊していく。
『……終わったな』
ナッツの安堵した小さな声が耳に届き――そして、僕たちは現実の世界へと帰還した。
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