エピソード23 素晴らしき世界と皮肉なシェフ
眼下に広がる港町から微かな潮風が吹き上がり、丘の上に立つ僕の頬をゆっくりと撫でていく。
遠くに見えるのは、家屋が密集した古い町並みだ。山間の森の向こう側から続く一筋の線路が、町の中心から少し外れた辺りで途切れ、無機質な灰色の建物――おそらく駅舎だろう――で行き止まっている。
どことも知れない、見知らぬ寂れた港町。
駅から港へと一直線に伸びた大通りの周辺には昭和の面影を残すような町並みが広がっていて、ここからでははっきりと見えないが、駅前には旅館や土産物屋、古びた定食屋などが立ち並んでいるのだろう。
駅のロータリーに置き去りにされたままの路線バスを見下ろしながら、僕は深く嘆息した。
……誰もいない。物音ひとつしない、死んだ町。
すすきのの交差点から繋がっていたこの空間が、人間の世界を精巧に模して造られた『異界のダンジョン』であることはわかった。
「いつ見ても、奇妙な景色だね」
誰にとなく、僕はぽつりとつぶやく。
どこか懐かしいような、それでいて絶対に来たことのないような場所。既視感と未視感が入り混じった、ひどくおかしな感覚に陥る。
ナッツと朔の後を追いかけて、すすきの交差点に出現した歪みへ飛び込んだ僕の目の前に広がっていたのは、そんな光景だった。
(あの二人……大丈夫かな……?)
見知らぬ港町を見下ろしながら、僕は思考を切り替える。
……『境界なき異景』。
それが、この突発的に発生したランダムダンジョンの正式名称だ。
現実世界に突如として出現するランダムダンジョンの多くは、その空間自体が未完成な状態にある。
通常のダンジョンであれば、僕たちの世界が完全に『異界』へと結びつくため、内部は異界の景色になる。しかし、ランダムダンジョンの場合は少し特殊だ。
世界を構成する「システム(土台)」こそ異界のものだが、空間を表現するための形や姿、データといった「パーツ」は、僕たちの住む現実世界の景色から無作為に抽出され、流用されている。
(だから、人がいないだけの町……)
つまりランダムダンジョンとは、現実に存在する街並みや景色が、まるでジグソーパズルのように無秩序に組み立てられた世界になる。
(まずは、このダンジョンの『理』を探さないとね)
ルガァァァッ……!
丘を下り、線路に出る。架空に作られた列車の来ないレールの上を歩きながら、僕は駅舎へと向かった。
すると、駅舎の改札口から、切符を切りに来る駅長の代わりに、二足歩行のオオカミたちがわらわらと姿を現した。
「ワーウルフ……か」
オオカミたちが手にしている得物は、鋭く湾曲した円月刀。
(無賃乗車は許してくれないか……)
ちらり、と。僕は駅舎の屋根のほうを見上げた。
特に深い意味はなかったが、なんとなく気になったのだ。そこには、いつ雨が降り出してもおかしくないような、薄曇りのひどく淀んだ灰色の空が広がっていた。
「グルルルッ!」
一斉に襲いかかってくるワーウルフたちを、僕は最小限の動きで素早く躱す。
一瞬で僕の姿を見失ったのか、魔物たちは辺りをきょろきょろと見渡し始めた。僕はそんな彼らの様子をうかがうようにして、音もなく建物の陰へと身を潜めた。
(下手に手を出すと厄介そうだね)
ワーウルフは群れで動く習性がある。ここで戦闘になり『遠吠え』を使われれば、彼らの仲間だけでなく、周囲に潜む他の厄介な魔物まで呼び寄せてしまうだろう。
……先はまだ長そうだ。『理』のこともそうだが、あの二人を探すためにも、今は無駄な戦闘を避け、なるべく体力を温存しておきたい。
駅舎を出て、古びたアーケードの商店街へと足を踏み入れる。
所々に点在している魔物たちの種族は多種多様だ。肉質の良さそうな『食材』を物色したいところだが、今は我慢しよう。
(……いや、気になる食材くらいは採取してもいいか。そのほうがカエデさんも喜ぶだろうしね)
誰にともなく心の中で言い訳をしながら、僕は一軒の建物の前で足を止めた。
古びた港町でよく見かける、昭和レトロな純喫茶。色褪せたひさしには『素晴らしき世界』と書かれた看板がぶら下がっている。この絶望的な異界にあって、なんとも皮肉めいた店名である。
周囲を警戒しつつ、小さくため息をこぼして店のドアノブに手をかけた。
カランコロン……。
(……あっ)
ドアを開けた瞬間、店内に鳴り響いた場違いなほど軽快なドアベルの音に、僕は思わず息を潜めた。現実の町をそのままコピペしたような造りなのだから、昔ながらの呼び鈴が生きているのも当然だと、鳴った後から気がついた。
店内には誰もいない。いや、『人間は』いない、という意味だ。
色褪せたベルベット調の赤いソファ席。そこに背を向けて座っているのは、人間ほどの大きさがある三匹のトカゲの魔物たちだった。彼らはテーブル型のゲーム機を囲むようにして座っている。
……魔物がレトロゲームなんてするはずがないな……
……だとすれば、あれは。
(獲物を待つ罠……)
その瞬間、ソファから立ち上がったトカゲたちが、一斉にこちらへ襲いかかってきた。
「トカゲのテール肉を調理するのは、久しぶりだね」
僕は亜空間収納から愛用のペティナイフを取り出し、あらかじめ用意しておいた付与術式を刃に纏わせる。
魔物としてのランクはそれほど高くないが、食材としては高タンパクで極上の部類に入るはずだ。
すれ違いざまに一匹目の急所を一刀両断し、ドガシャッ……と倒れる巨体を躱す。そのまま流れるような動きで、二匹目と三匹目の背後に回り込み、すかさず『氷結』の魔法を展開した。
ピキキキッ!
音を立てて、残る二匹が瞬時にカチコチの氷像へと変わる。その圧倒的な実力差を悟ったのか、店の奥に潜んでいた残党らしき気配が、慌てて裏口から逃げ出していくのが分かった。
「うんうん。良い食材が手に入ったよ」
僕は凍りついた極上のテール肉を丁寧に亜空間収納へしまっていた……
その時だ。
――ピコ……ピコピコ……。
先ほどまでトカゲたちが囲んでいたテーブルゲーム筐体から、無機質な電子音が響いていることに気がついた。
何ともなしに警戒しながら近づき、分厚いガラス板の下にあるブラウン管の画面を覗き込む。
(……ん? んんん……?)
走査線のノイズが走る薄暗い画面の中。そこには、ひどく粗いドット絵で描かれた『剣士』のキャラクターが、巨大な『鳥』のドット絵と戦っている様子が映し出されていた。ぎこちない8ビットの動きで、剣士が剣を振るうアニメーションが繰り返されている。
「これは……」
ドット絵とはいえ、この剣士。無鉄砲な立ち回り、何度も立ち上がる特徴的な姿には見覚えがある。
(朔……?)
だとすれば……
僕が顔を近づけた瞬間に。
「わっ」
――ビィィィィィィッ!!
突然、ゲームの電子音がバグったような不協和音の悲鳴を上げ、ブラウン管の画面がぐにゃりと歪んだ。
画面の中央に『漆黒の太陽』のような真っ黒な染みが出現し、ドット絵の剣士と鳥の姿を、音もなくズルズルと飲み込んでいった。
すべてが黒い太陽に飲み込まれ、暗黒に染まりきった画面の、その後で。
――プツン。
微かな静電気の音だけを残し、完全に機能を停止した。
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