エピソード22 猫を見送るシェフ
「朔、大丈夫!?」
僕が声をかけるが、朔はそれほどダメージを受けていない様子だった。あれほどの衝撃を食らって平然としているとは、異常なほど打たれ強いのか……それとも、ダメージを軽減する固有スキルでも持っているのだろうか。
だが、今はそんな推測をしている場合ではない。
宙を浮かぶ目玉がこちらをギロリと睨み、赤黒い光を放ち始めた。魔物の眼前で、幾重にも重なる複雑な術式が展開されていく。狙いは間違いなく僕たちだ。
(あの魔力波形……音波系か、衝撃系……!)
「………っ!」
目玉から不可視の破壊音が放たれるその瞬間、僕たちの前に朔が滑り込み、盾になるように長剣を構えた。
そして、ちらり……と背後を見やる。
「……大丈夫だから」
その言葉は僕にではなく、僕の足元でナッツに向けられたものだった。無口な天才剣士は、小さな猫を安心させるようにぽつりと告げる。
おおよそ……雨に濡れた毛をふるふる震わせるナッツを見て怯えていると勘違いでもしたのだろう。
直後――空気を引き裂くような轟音と共に、目玉から放たれた目に見えない衝撃波が襲いかかる。
だが、朔は一歩も引かなかった。
「…………………」
鋭い呼気と共に長剣が一閃。凄まじい風圧を伴ったその一撃が、迫り来る不可視の衝撃波を正面から真っ二つに薙ぎ払ったのだ。
そして……そのままの勢いで、朔は地を蹴り、再び上空の目玉へと真っ直ぐに突っ込んでいく。
(いや、だからさ。少しは学ぼうよ……!)
さっきと同じように斬りかかっても、またあの強固な魔法盾に弾き返されるだけだ。
しかし、この気まずい天才剣士が、他人の忠告を聞いて立ち止まるようなタイプでもないだろう。多分……
僕は深くため息をつき、密かに左手で術式を展開させた。誰にも気づかれないほどの小さな声で、突進する朔の背中へ向けて言葉を紡ぐ。
「付与能力――『障壁貫通』」
不可視の魔力粒子が朔の長剣に絡みつき、刀身に僅かな淡い光を宿す。
それは魔物の魔法盾と同調し、構造を中和して破壊する防御無効化の付与能力だ。
そんな僕の密かな援護に気づく様子もなく、朔は目玉の魔物に向けて渾身の一撃を振り下ろした。
魔物の前に展開された光の盾と、朔の長剣が激突する。
パキィィィィンッ!!
先ほどのように弾き返されることはない。
朔の刃が触れた瞬間、防御の盾の術式は、薄いガラスのようにあっけなく粉砕された。
そのまま抵抗を失った長剣が、目玉の魔物の巨体を真っ二つに両断する。
そして……。
断末魔を上げる間もなく、魔物は二つに分かれてアスファルトへ崩れ落ちた。
(……ふぅ、間に合った)
以前、半田さんが言っていた「あいつは向こう見ずな剣士だ」という評価は、こういうことだったのかと、僕は一人で納得していた。
「…………弁当屋さん」
「ああ、助かったよ。朔」
「…………」
魔物を両断した朔は、剣を納めながら短くそう呼んだきり、相変わらず無口だ。……何を考えているのか分からない。
『ミナト……ダンジョンを見ろ』
不意に、ナッツの鋭い念話が脳内に響いた。
「まずいな……」
すすきの交差点に開いた巨大な次元の歪み。その奥から、どす黒い気配とともに新たな魔物たちが這い出してこようとしていた。
突発的に出現したランダムダンジョンは次元の境界が不安定になりやすく、ある程度の上位の魔物であれば、魔素のないこちらの世界でも数時間は活動できてしまう。このままでは、札幌の街が戦場になってしまう。
「…………っ!」
その時だった。
(……えっ……?)
「なに……!?」
僕が思考を巡らせるよりも早く、朔が地面を蹴り、ダンジョンの入り口に向けて猛然と走り出したのだ。
まさか、未開のA級ダンジョンに一人で突っ込むつもりなのか……!?
いくら彼が凄腕の剣士だとしても、先ほどの目玉の魔物の魔法盾に苦戦していたのを見れば、このまま未知の領域へ一人で行かせるわけにはいかない。
「待って……朔! 行ったらダメだ!」
もちろん、僕の制止の声で立ち止まるような男ではないと分かっている。だが、そのあまりにも理解不能な向こう見ずさに、思わず大声が出てしまった。
止められない。そう直感した僕は、足元へ視線を落とす。
「ナッツさん! 彼をお願いできる!?」
『……チッ、仕方ないな』
面倒くさそうな念話が返ってきた直後――。
朔がダンジョンの歪みへと飛び込もうとしたその一瞬、ナッツが彼の背中へ向けてふわりと跳躍した。
シュンッ!
ただの猫の跳躍ではない。その場にいたはずの白い小さな体は、物理法則を無視して空間そのものを跳び越え、一瞬にして朔の肩口へと到達していた。
そして……次の瞬間、向こう見ずな天才剣士と、一匹の白い猫は、ゆらめくダンジョンの歪みの向こう側へと完全に姿を消してしまった。
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