エピソード116 反転する実験室とシュークリーム【現代の歪みに違和感を抱きつつ、お弁当で水を操る同級生に驚くシェフ】
……気のせいか――。
一瞬、視界が乱れた……。
砂嵐のあと、無数の線のようなものが視界を走り抜ける。
(めまい……か――)
少し違う。意識ははっきりしているし、目の前に映し出された視覚のみが乱れている。
――そうだ……古い映画のフィルム。画面が上下に揺れるのも、それに似ている。
……その後。
僕は音のない部屋にいた。テーブルには、置いたばかりの紅茶のカップが僅かに揺れている。
「……先輩たちは?」
扉の方を見ながら、カイは呟いた。
……音は消えた。迫っていたはずの魔物たちの気配はない。
僕はカイの顔を見る。椅子から立ち上がる。そっと足音を忍ばせながら、扉の前に近づいた。
カチャリ……。
施錠された鍵を、カイがゆっくりと外すと……。
ドッ!
僕は一気に扉を開いた。
「……どこ? ここ――」
恵迪寮の一室。その外側には、長い廊下が続き、左右には学生たちの部屋が連なっている。
……少なくとも、僕がカイに連れられてきたときはそうだった。
「研究室……か?」
僕の後ろから、恐る恐る覗き込んできたカイがそう言った。
どちらかというと、実験室に近い。術式の施されたテーブルと、床にも何かの呪い《まじない》のような文様がびっしりと刻まれている。
それまでいたはずの恵迪寮とは、明らかに違う。
白い壁に沿って置かれた棚にも、何らかの遺物が並べられていた。
「近代的だな……」
カイの言う通り、僕がそれまでいた場所は大学の中でも、古い年代のものだろう。だが、目の前に現れた光景は、現代に近い……。
(どう見ても、化学ではなく……オカルト寄りだけど――)
でも……――ここは。
ひたり、ひたり……と寮の扉を通り、研究室の中を見渡す。
「これも、ダンジョンの中だよな」
「……カイ?」
「おぉ。冷蔵庫の中に、シュークリームがあったぞ」
「ダンジョンの中の食べ物には気をつけてね」
僕がそう言うと、カイは笑いながら返す。
「あぁ、そっか。味噌ラーメン味だったら困るもんな」
……それはどういう意味だ?
オカルトな儀式の空間の先……――。
(水槽……? それとも、何かの装置か)
部屋の中央。その奥に……幾つものガラスの柱が立ち並ぶ――円柱型のガラスの水槽があった。水槽にはいくつもの動力線が繋がれ、何かを供給する仕組みになっている。
……この部屋って、まさか!
似ている。いや……左右が反転しているだけで、僕の知っている場所だ。
「カイ! 水……そこの水槽に術式で水を入れて!」
「水……? 何でそんな面倒なことするんだよ」
「いいから。ここから出たいんだよね?」
僕の強い口調に押され、カイはしぶしぶ水の術式の構築に入った。
僕の推測が正しければ、水槽の下部には――。
(やっぱり、あった)
魔力を補給するための鉱石が取り付けられている。こっちの世界でも正しく起動するかはわからないが、やってみるしかない。
「レイ。こんなもんでいいのか……?」
「もっとたくさんの水が必要なんだけど」
「しょうがないだろ。そこの冷蔵庫に入ってたシュークリームだけだと、これくらいしか水が呼び出せない」
「ちょっと、待ってて――」
僕はいったん手を止めてから、部屋の中を見渡した。
シンクの近くにある電子レンジを発見。この中には、確か……――。
「カイ、この弁当でもいいかな?」
……やっぱり、ここはカエデの研究室だ。
「何で弁当がこんなところに……いや、いいけどよ」
弁当を受け取ると、カイはすっと手のひらを頭上へと持ち上げた。
「水鬼流」
彼の言葉に応じ、水槽の中は水で満たされていく。
カエデの研究室に置かれた機械は、純魔素を発生させるものだ。魔素と魔力を融合させ、物質変化を起こすこと……。
(実際は、まだ実験途中のものだから、実現には程遠いけど……)
それでも、この世界の理に答えるのには十分だろう。
後は、中央にある魔素石を発動させれば――。
「レイ! 急にどこに行くんだ」
「戻るよ」
「どこにさ」
「部屋だよ。恵迪寮……」
……もしも、このダンジョンが想像から作られた概念ではなく、実際に起きた出来事を切り抜いて再現された空間だとしたら――。
この後に起きる出来事は想像がつく。
部屋に戻ると、カイが先に入り、僕は後から続き扉を閉めた。
「待って……」
鍵を閉めようとした彼を止める。
「どうしたんだ?」
「鍵をかけたら、あいつらが入ってこられないからね」
「あいつら……?」
……僕の予想が正しければ――。
「これから、この部屋に五人……じゃなくて、五匹の魔物がやってくると思う」
`「何でそんなことわかるんだよ」
「いいから」
「わかったよ。それで、僕はどうすればいい?」
「魔物たちを部屋から追い出してほしい」
「……それだけか?」
僕は頷いた。何のことやらわからず、とりあえずカイは諦めた様子で承諾してくれた。
多分、戦う必要はない……。
状況を見守りさえすればいい。
ガチャリ……。
間もなくして――。
ドアのノブが回る音。ひぎぃいっ、と短い音を響かせ、あいつらがやってきた。
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