エピソード114 五十二回目の襲撃とビートの香り【繰り返される不条理な物語に、セオリー破りの予感を抱くシェフ】
カタカタ……カタカタ……。
誰もいない廊下の先に――時おり、思い出したように聞こえてくる窓枠の揺れる音……。
みしり……みし、みし。
案内された部屋の中、僕が椅子に座るのを待ってから、カイは部屋の扉を閉める。施錠する。
「何か飲む?」
恵迪寮の一室……普段なら、他の学生たちがいるはずの部屋の中には、数台のベッドが並べられ、木製のテーブルがぽつりと真ん中に置かれていた。
……カイの部屋だろうか?
カタカタ……カタカタ……。
(ここは、どこだろう……)
揺れている。外からだ。部屋の正面には、大きな窓があって、地鳴りのような音はそこから響いていた。
部屋の様子を見回しながら、返答に困る僕の様子を見て彼は笑った。
「大丈夫。こっちの世界のものじゃないから――」
カイの話によると……。
僕は今、北海道大学の構内にいる。だが、現実世界の大学ではなく違う場所だ。
恵迪寮もエルムの森にはないし、外には鉄道も走っていない。
「それ飲んでさ、少し落ち着いたら……」
テーブルの上に、淹れたての紅茶のカップを置くと、カイは薄っぺらい敷布団の上に、ごろりと横になりながら話を続けた。
「僕も、初めてきたときは驚いたよ」
「カイのほかに、誰かいるの?」
「いや……会ってない。いたとしても、会えないんじゃないかな」
「どうして?」
「この世界が、それを望んでないからだ」
……つまり、ダンジョンが与えた規則のようなものだろう。
「カイはいつからここに?」
「わからない」
ひょいと、彼は起き上がると、窓辺に近づいてから、カーテンをめくった。
「……レイも、ここにきたときに気がついたと思うけど、時間の感覚がないんだ」
いつからここにいて、いつまでいたのか……朝も夜も存在しない世界では、時間の感覚も失われるわけか……。
(動かない時間、大学寮、鉄道の音、本のない書庫……それにーーカイ)
紅茶の注がれたカップ、その中に映る自分の姿をじっと見つめ、僕は頭の中を整理していた。
「カイ――……」
僕が言葉を言いかけたときだ。
「静かに」
小さな声で、カイは体の動きを止める。
「先輩たちが帰ってきたようだ」
「……他に誰かいるの?」
僕に言葉を返す代わりに、カイは静かに窓の鍵を開ける。
「ここから出るよ――」
「ひょっとして、この部屋は女学生は禁止とか?」
「いいから、早く」
「あ、でも……まだ、紅茶も飲んでないし」
「そんなの後から淹れてあげるから――」
ガラリ……ドッ、と窓ガラスを押し上げて、カイが外に身体を乗り出したときだ。
ガンガンガンガンッ!
……扉をノックする音――いや、そんな優しいものではない。
鍵のかかっているはずの扉が、みしみしと軋み出す。外側に何かがいる。カイの言う、先輩たちだろう。
……これほど、怒るということは――。
「キミ、何か悪いことしたの?」
「僕は何もしていない、悪いのはあいつらのほうだ」
焦りと不安から、カイの表情は険しくなる。
「先輩たちのシゴキがきつくて、ついうっかりと彼らが寝ているときに、鼻から牛乳を注ぎ込んだとか……?」
「何の話してるんだ。ふざけてないで、早くここから逃げるよ――」
……逃げる? どうしてーーそれなら、この部屋に隠れた理由がわからない。
「カイ、正直に答えて。牢獄迷宮の解決方法は、どこまで解いてるの?」
僕の質問に、カイは一瞬――黙り込んだ。
次の瞬間だ――ドガッ!
(破られた……!?)
振り返るーー施錠されていたはずの鍵は衝撃で外れ、勢いよく木の扉が部屋の中にぶっ飛ぶ。
「ずいぶんと、無骨な先輩方だね」
扉を蹴破ってなだれ込んできたのは、鋼鉄のサイ――鉄皮犀の群れだ。
「レイは昔からセオリーを嫌うからね、物語には順序というものがあるのをわかってほしいな」
言って、僕の目の前を素早く通り過ぎ、カイはテーブルの上の水筒を手に取る。
モオオオオオオオゥッ……。
奇怪な鳴き声を上げながら、鉄皮犀たちが戦車のように、こちらへと突進してきた。
「悪いけど、行かせるわけにはいかない」
瞬間だ――カイが水筒の蓋を開いたと同時に、中に入った水を魔物たちに向けて振りかける……が、その水は氷の牙となって、鉄皮犀に襲いかかった。
(術式……!?)
やはり、カイは僕たちと同じ探索者だ。だとすれば、アンデッドテイカー《不死者の冤罪》の能力を持つものになる。
だが……――おかしい……それならなぜ、僕はレイの姿をしているのだろう。
「カイ! 威力が足りない! もっと、強くしないと……」
鋼鉄の皮膚を持つ魔物には、カイの放った術式では、傷をつけることすらできていない。
「いいんだ。これで。ここで、あいつらを討伐しちゃダメなんだよ」
……それが、このダンジョンの概念ということか。でも、それを知っているということ……
「じゃあ、どうするの?」
僕の問いに、カイは僕の腕を掴み、身体ごと持ち上げる。
「逃げるんだ! 今すぐに。ここから」
ドバンッ……ガシャン……と、カイは僕を抱えたまま、窓ガラスに体当たりした。
(この香り、ビート……?)
すぐそばのカイから、甘い香りがした。先ほどの水筒の水だ。
はぁ……はぁはぁ……はぁ……。
息を切らせながら、恵迪寮から走ること数十分――カイに連れられたまま、僕は近くの小屋で下ろされた。
……そうだよね。重いよね。何か、ごめん。
ぐったりと倒れ込むカイの姿を見て、僕は自分の姿を見ながら反省した。
周りを警戒しながら、僕が立ち上がろうとしたとき、カイに腕をつかまれる。
「待って……今、結界を張るから――」
水筒の水を地面に流すと、カイは術式を展開させた。
しばらくしてからだった……。
遮音、隠蔽、耐魔力結界、耐物理結界の多重術式で周囲を覆ったあと、カイは話し始める。
「レイの言う通り、ここは牢獄迷宮の中だ」
「解放条件は?」
「わからない……。何度も進めても、同じ場所に戻されるんだ」
「それって――」
言いかけてから、僕の頭の中にふと言葉が思い浮かぶ。
「物語の順序……」
「そうだよ。このダンジョン……北海道大学を模した場所には、物語があって、それを解決しないと先に進めないんだ」
「解決の方法はないの?」
「それがわかったら、何度も繰り返していないから……」
……それはそうだ。解決方法がわからないから、カイもこの世界で迷子になってるわけだ。
「わかっていることは、このダンジョンには本物はないってことだけだ」
「どれも偽物?」
……それは違うと思う。実際の大学構内にはエルムの森はあるし、石の蔵のような建物も存在している。
「それで……今、何周目?」
カイがもしも、物語を繰り返しているのなら、そこに答えがあるはずだ。
「わからないよ。さっきの魔物なんかもう52回目だ。やっと次にいっても、何度も引き戻されるからね」
「……ずっと、同じことしてたんだね」
「違うよ。僕だって、いろいろ試したし……魔物のことを、先輩と呼び名を変えてみたり、とにかく何でもやってみたんだ」
……それでも、変わらない――か。
物語を進めるのが、牢獄迷宮の目的なら、同じ景色を何度も見せる必要はない。
でも、もしも、その物語の中で、本当にしてほしいことが、物語の中にあるとしたら……――。
だとすれば――セオリーを壊すことが、攻略条件にならないだろうか……?
「カイ……」
「どうしたんだ」
「手伝ってほしいことがあるんだけど……」
僕の推測が正しければ、この牢獄迷宮に仕組まれているもの――それを見つけることができれば、この物語が終わる。
「……レイ?」
「ねぇ、カイ。一緒に白い猫を探そう」
……もしも、この場所にあるはずもなく、いるはずもないものが存在したら――ダンジョンが求める答えに近づけるかもしれないからだ。
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