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『始原の帰還者、札幌でひっそりお弁当屋を始めます〜深層の魔物で作った『魔素抜き弁当』が美味しすぎると探索者たちの間で話題な件〜』  作者: 姫宮澪
不死者の冤罪【七食目】

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エピソード112 消失した弁当と赤い砂時計【好奇心旺盛な研究者に振り回され、一抹の不安を抱えて迷宮へ飛び込むシェフ】

 シュークリームが消えた……――。

 ……数日前のことだ。


 研究報告会議の前、部員たちで食べようと用意していたはずのお菓子が、冷蔵庫から消えた。


 ぽつり、ぽつり……。

 カエデはこれまでの経緯を話し始めた。


 暗がりの中、視界を奪っていた術式の霧が消えていく。魔力の影響はさほど強くない。静まり返った森の奥、ハルニレの木の葉がざわめく音……――。


 ぽつり……。


「その後、生チョコレートを買った日……私は家に帰らずに、そのまま研究院に戻ったわ」

『待て待て、何の話をしている』

 淡々と説明していくカエデに、ナッツは思わず音のない声を上げた。

 うーん……と、少し考えてから、何かを思い出したように、カエデは真剣な顔で続けた。

「お弁当……」

『どうした? 腹でも減ったのか』

「ある日……ミナトから定期的に届けてもらっている弁当が、電子レンジで温めている間に消失したわ」

『食い物の話ばかりだな……』


 カエデの話を要約すると……――。


 数日前から、身の回りで奇妙なことが起こり始めたという。


 そう――エルムの森の石蔵の書庫に、ダンジョンが現れた後のことだ。


 彼女が言うには、古い文献を探しに書庫に入ったとき、偶然そこにダンジョンのポータルがあった。


「でも、おかしいのよ。ポータルが開いていない」


 つまり、通常のダンジョンにあるはずの入口はなく、空間の中にダンジョンの扉となる歪みだけがそこにあったということだ。


「それで、どうしてARCANAアルカナに通報しなかったの?」

 本来であれば、ダンジョンが発生したとき、安全を確保するため、如何なる場合であっても探索者協会に連絡を入れることになっている。

「……」

 僕の質問に、彼女は何も言わずに黙り込んだ。


 ……おおよそ、理由はわかる。


 だが、何が起きるのかわからないダンジョンの出現は、周囲に被害を与えるかもしれないと考えて、カエデは石蔵に術式を施した。


「……対魔力結界と対物理結界、さらには魔力遮断と遮音、内部に隠蔽の術式を施して、入口には認識施錠をかけたわけだね」

 これだけ、術式で多重結界を展開させると、並の力で解錠するのは困難だろう。


 こくり……。カエデは静かに頷いた。


 だが……――問題は、そこではない。

『やはり、行くのか……』

 嫌そうな顔で白い猫は言ってくる。

 確認しないわけにはいかない。僕はカエデのほうに視線を向けた。

「この中に、ポータルが開かないダンジョンがあるんだよね?」

 あらかじめ、彼女に確認しておく。すると、それまでその場にへたり込んでいたカエデが、観念したように立ち上がった。

「いいわ。どうせ、ミナトに見てもらおうと思って来てもらったんだし……」


 ぎぎぎっ……。

 重い音を響かせ、書庫の扉を引く。


 鉄の扉の向こうから、甘いバニラの香りがした。古い書物の持つ特有のものだろうか。


 古書の香り。木材の成分が酸化することで発生する甘い匂いが、部屋の中に充満していた。

 石蔵の奥まで続く、整列された棚は、びっしりと古い本で埋め尽くされている。


 その先……――。


光源ライティング……!」

 カエデの言葉とともに、彼女の手のひらを中心に小さな光が発生した。照明の代わりになる術式である。


 みしり……。みしり……。

 書庫の奥――小さな階段が二階へと続き、その先に……。

「うそっ……」

 先を行くカエデの口から、驚きがこぼれる。

「開いてるね」

 後から続く僕は、目の前にあるダンジョンの扉を見てそう言った。

「昨日まで、ダンジョンは開いていなかったわ。それに――」

 カエデは言葉を言いかけてから、目の前にある見たことのない光景に言葉を噤む。


 だが――僕はそれを知っていた。

 ……赤い砂が、静かに落ちゆくその姿は――。


牢獄迷宮プリズンダンジョンか……予想はしていたがな』

 半ば呆れ気味に白い猫は言った。


「罪を背負うもののみが、その侵入を許される……」

 言ったのは、ミナミだった。

「知ってるの?」

 意外でもないか……魔学研究院は、各地で発生するダンジョンについて研究する機関でもある。実物を見ることはないにしろ、その存在だけは知られていてもおかしくない。

 僕がそう聞くと、彼女は、うん、と頷いた。

「聞いたことある。この砂時計のことも、アンデッドテイカー《不死者の冤罪》のことも……」


 帯状になって展開した古代文字が、ポータルの入口を旋回している。罪を背負うものが、扉を開いた証明だろう。


 そして、そこに置かれた身の丈ほどもある砂時計ーーガラスの器、銀の装飾、竜の彫り物……罪を背負う者の(スキル)によるものだ。


(……先客がいる)


 牢獄迷宮プリズンダンジョンの中には、すでに先に入ったアンデッドテイカー《不死者の冤罪》がいるようだ。


「これが、牢獄迷宮プリズンダンジョンなのね」

 ……だから、そこで興奮しないで――。

 目を輝かせながら、カエデがスマートフォンで写真や動画を撮り始めている。


「……カエデ。ポータルはアイドルじゃないからね、それに近づくと危ないから」

 今はポータルが開いている状態だ。うかつに近づくと、異界に転送されてしまう。

「あなた達も手伝って、すぐに調査を始めるわ」


 ……何も話を聞いてないな。


『いいのか? ほっといて……』

 ナッツのぼやきを無視するわけにもいかない。ミナミは頭の上に白い猫を乗せたまま、カエデの指示でポータルの周りを調べ始めた。

「先生、魔力測定の準備ができました」

 ……あのね、そういうことしている場合じゃないんだけど――。

 木ノ宮の声が、書庫に響く。

(研究者って、みんなこうなのか……?)

 全く人の話を聞かない連中だ。


「魔素融合の設備は、ここに設置していいですか」

 そう聞いたのは、蓮沼だ。それはそうと、その実験器具たちは、いつどこから運んできたのだろうか……?


『気をつけろ……ほら、そこに線がある――足を引っ掛けたら』

「……線?」

 白い猫に気を取られた瞬間、ミナミが何かにつまずいた。


 シュンッ……。


(あ……そうだよね。そうなるよね)


「……ミナミ?」

 彼女が消えたことに気がついたのは、カエデだった。

「ポータルの中に……ミナミが消えた……」

 誰かの呟き。一瞬、愕然とした雰囲気が書庫の中に流れた。その後。

「ずるいっ! 私もいきたかったのに!」


 ……おい。


 全力で悔しがるカエデを見て、探索者ならいざ知らず教え子がいなくなったのに心配ではないのか? と、思ったが、僕の言葉は次の瞬間に飲み込まれた。


「そういうことで、ミナト。牢獄迷宮プリズンダンジョンに行って、未知なる魔物を狩って……じゃなくて、ミナミの救出をお願いしたい」

 ……まさかと思うけど、僕を危地きちに向かわせるための口実じゃないよね……。


 とはいえ、重奏ダブルの覚醒者でもないものが、ポータルを使えば、ダンジョンの魔素で肉体が分解されてしまう恐れもある。


(ナッツさんも一緒だから、大丈夫だと思うけど……)


 急ぐ必要はある……――。


「カエデ……。頼みがある」

 ポータルにはいる前に、伝えて置かなければならないことがあった。


「どうした?」

「もしも、砂が落ちきるまでに戻ってこれなかったら、砂時計を破壊してほしい……」

「貴重な文化遺産を、この手で壊すと?」


 ……問題は、そこではないのだがーー


「制限時間内に戻らなければ、この大学は牢獄迷宮プリズンダンジョンに飲み込まれる……」

 そう忍が言っていたことを思い出す。

「そんな心配は必要ないわ」

 カエデの言うとおりではあるが……

 もしもの心配をすれば、勝負する前に負けを認めるようなものだから――。


「ミナトが帰ってこないと、魔物は手に入らないし、貴重な研究資料を失うし……そんなことになれば、ミナミの犠牲も報われない――」

 ……今、サラッと犠牲とか言わなかったか。


(何も起こらなければいいけど……)

 一抹の不安をよそに、僕はポータルへと足を踏み入れた……。

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