エピソード110 スライムのとろとろステーキと魔法の木苺ゼリー【賑やかな食堂の喧騒の中で、優秀な宣伝部長を見守るシェフ】
食とは何か……――。
命の永劫を守り抜く手段なのだろうか。
それとも、気持ちを満たすために必要な温かさなのだろうか。
食のあり方は、見方と立場で違っても、どんなに優れた人もお腹はすく。食べることは止められない。
賢人も。武人も。超越した者たちであっても、食の前では無力になるものだ。
「うまい!」
ぱくりと一口。その驚きを隠せず、思わず感嘆の声を漏らす。誰かの声。
ざわざわざわざわざわ……。
北海道大学の構内――昼時……中央食堂には、昼食を楽しみにやってきた大勢の学生たちなどで席が埋まっていく。
声をこぼしたのは、その中の一人。名も知らない学生が、席につくなりそう言った。
「わっ、なにこれ……すごいトロトロ」
「え? スライムよね……?」
後に続くようにして、昼食を待ちわびていた者たちの声が食堂内に響き渡る。
……何とか間に合った――。
喧騒に紛れながら、仕込みを終えた僕はそっと安堵した。
隣を見ると、ミナミも少し疲れた表情をしながら、提供した弁当が運ばれていく様子を見守っている。
『よくやったな』
なぜか、何もしていないはずの白い猫が偉そうに彼女に向かって言った。
「……楽しかった。ナッツ先輩も一緒にいてくれて嬉しい」
『そうであろう。皆の宴の場は、お前が作ったと言ってもいいのだぞ』
ナッツの言葉に、ミナミは嬉しそうに笑った。
いろいろと言いたいことはあるが――そんなことよりも、だ……。
仕込みは終わっても、弁当の準備はまだこれからだ。
食堂のスタイルは皿や器に料理を盛り付けして提供しているが、今回はハクリュウ弁当としてお弁当箱で販売している。
「今日の特別メニューは、スライムのとろとろステーキ弁当……食べてほしい」
ぎこちないところもあるが、接客は彼女に任せても大丈夫そうだ。
寸胴の中には、多重術式で展開された空間が広がっていた。重力、時間、熱、冷と様々な術式の施された屈強な鍋の中には、心躍るような柔らかな肉の山が積み上がっている。
(最高傑作に仕上がったに違いない……!)
……スライムの肉――熱と冷気が中和された環境の中で、初めてとろとろの食感が味わえる。
そこにだーードライシェリーの程よい酸味と香草の風味を加え、コカトリスのエキスの入ったスライムソース……二つの世界が絶妙に混ざり合い、スライム肉を引き立てる新たな伝説が生まれた瞬間だ。
……昼食といえば、米だがーー
ここは一つ。主食はご飯ではなく、バターを塗りその上にバジルを添えたバケットにしたい。とろとろの肉の旨味によく合うソースと、パンに絡めて乗せた肉の旨味は神の領域と言ってもいい。
「……ミナミ? ここで何してるの?」
聞き覚えのある声だ。たしか……――。
「先生。魔物肉の弁当を食べに来ました」
名前は、木ノ宮と名乗った生徒。明るく元気で、周りの人たちのまとめ役といった印象だ。
「ありがとう。お弁当は用意できてるよ」
「ところでさ、ミナミはどうしてここに?」
「バイトしてる。先生に迷惑かけたから。猫さんからも良いって言われたし……」
「猫……?」
木ノ宮は彼女の言葉に、ふとカウンターにいる白い猫に視線を向けた。
「ここにいたんだ。どこにいったかと思ったよ……」
木ノ宮の後ろから、少し息を切らせながらやってくる一人がいた。講義のときにいた、蓮沼という学生だ。
「二人とも。ぜひ、お弁当を買っていって。私もお手伝いした」
早速、宣伝部長のミナミが二人に売り込んでくれているようだ。
「それと――」
彼女は言葉を続けながら、弁当の蓋を開ける。
「スライムのとろとろステーキとデザート付き。だから、とてもお得」
「デザート?」
木ノ宮と蓮沼、二人は同時に顔を見合わせた。
「ここのところにある、四角い箱。ここには、アイスの箱があって、なぜだか開けるまで溶けない仕掛けになっている……」
ミナミが興味を持ったのは、僕が作った弁当の仕掛けのようだった。
「このデザートには、ちょっとした術式が施されていてね……――」
僕は持っていた小さなスプーンで、アイスの表面を軽く叩いた。
すると――パリンッ……と音がしてから……。
「何これ! 面白い!」
「可愛いし、ステキです」
中からは、冷たい空気がもれ、とろりとした木苺のゼリーが溢れ出した。
スライムの核を結晶化し、その表面に不融氷結晶の術式を展開させて、中にゼリーの細工を施したものだ。
「私にも一つもらえるかしら」
学生たちの後ろから、これまた聞き覚えのある声がした。
一瞬、音が止まる――止まったように思えた。喧騒が静まる……。
カツカツ……。近づいてくる靴の音。見覚えのある気配に向けて、僕は言った。
「来てくれたんだね」
「ミナトの勇姿を見に来たわ。どう? って、聞くまでもなく、お弁当は盛況みたいね」
「おかげさまで。はい、お弁当」
僕はいったん手を止めて、出来たばかりの弁当を彼女に渡した。
『カエデか。今日はどうした……』
音のない声――念話で、白い猫が目の前に現れた白衣を着た女性――水島楓に向けて言った。もちろん、周りの人たちには聞こえていない。
「仕事が済んだら、私の研究室に顔出してもらえないかしら」
『……また厄介事だろ? 魔素の気配を見たらわかる』
「そうね。あなた達にしか頼めないことがあるのよ」
『どうする? ミナト。私は反対だ』
ナッツはそう言うが、何だかほっとけない気配を感じた。
「いいよ。夕方になるけどいいかな?」
「ええ、わかったわ。研究室までは……――」
と、カエデはいったん言葉を止めて、ミナミ、木ノ宮、蓮沼の三人を順に見ながら続ける。
「案内は、彼女たちに任せるわね」
「……わかった。連れて行く」
最初に返事をしたのはミナミだ。その後から、木ノ宮と蓮沼も頷く。
……先生と生徒、アットホームな関係性には見えないが、学生たちから彼女への視線はやや緊張しているように見えた。
カツカツ……。トン……。
お弁当の箱を持って、そのまま食堂を出ていくカエデの後ろ姿を見送ったあと……――食堂が先ほどまでのガヤガヤとした喧騒を取り戻していた。
(行くしかないだろう……)
……遮音の術式――彼女が空間を閉鎖してまで、僕たちに会いに来たのだ。弁当を買いに来た以外にも、他に目的はあるはずだ。
やがて術式が解け、食堂が先ほどまでのガヤガヤとした喧騒を取り戻していく……。
「スライムのとろとろステーキとデザート付き。だから、とてもお得!」
再びミナミの呼び込みの声が、食堂内に小さく響いていた。
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