エピソード108 ドラゴン封じの絶対隔離《マトリクス・ロック》とスライムの寸胴鍋【お弁当にはできない特別メニューのため、高位魔法で温度管理をするシェフ】
受け入れること……――。
言葉は簡単でも、実行するのは難しい。
時間の中で生きていて、人の中で生きている。だから、自分のために生きないといけないことを、僕はたまに忘れてしまう。
承認される生き方を止めて、自分を認める生き方にしようと気持ちの中で決めたはずなのに……――。
(どうして、こうなった……?)
実際に目の前で起きている出来事を、すぐに受け入れることができなくなっている。
「先生。このスライムを食べるのか?」
何事もなかったように、頭の上に器用に白い猫を乗せながら、ミナミは僕に聞いてきた。
……少し前のことになる――。
北海道大学にある第一農場……構内の西の端から、とぽとぽ……と歩くこと数十分ほど。中央食堂に到着した僕は、厨房で準備を始める。
そんなときだ。ミナミが自前のエプロンを腰に巻いて、手にはメモ帳を持参している。
「先生。私、バイトする。手伝うよ」
「えっと……どういうことかな?」
事態を飲み込めず、とりあえず聞いてみた。
「これから一人で学食の料理をするのは大変だと思う。私の計算によれば、バイトの手助けでもないと、時間までに完成できない」
……そうなんだけど――この状況を作り出した張本人にそれを言われると、納得できない気持ちになるが――。
釈然としないまま、僕はちらりと時計を見た。ミナミの言う通りだ。人手があった方がいい。
「わかった。手伝ってもらうよ」
「バイトするのに履歴書は必要か?」
「いらないよ。うちは人物重視にしてるから」
「じゃあ、合格なんだな」
「…………」
数分前――こういうことがあった。
そして、今に至る……。
――亜空間収納……開閉。
僕は指先で術式を描くと、虚空の中から大量のスライムを調理台に取り出した。
今日のお弁当の最初の一品だった。山積みになったスライムを、調理しやすいように大きさごとに分けていく。
「先生。このスライムを食べるのか?」
……生でかぶりついた記憶が、トラウマにでもなっているのか、ミナミの声が少し暗かった。
「こんな見た目だけど、食べてみたら意外と美味しいんだよ」
「……そんなことなかった」
「調理しないと、スライムの肉は食べられないからね」
そもそも、魔物の肉は処理せずに生で食べることはないが……――。
(海産物は違うか、クラーケンのイカソーメンは生でも美味しかったし……)
ふと、思い出しながら、手を止めていると、ミナミが覗き込んできた。
「先生?」
「何でもない。始めようか」
厨房内を見回す。大きめな寸胴が目に留まる。
……大量に食材を煮込むのには適しているだろう。
今日は普段の調理とは違う。魔物の肉の魅力を最大限まで引き出し、その可能性を学生たちに味わってもらいたい。
「……このくらいでいいかな」
僕は小さめのスライムを一つ掴み取った。
透明な体の中心に赤い光が宿っている。
(ナイフでそっとつついてやると――)
ぷしゅん……。
水風船が破裂するように、スライムが液体化した。
核を破壊されたことで、体の形状を維持できなくなったためだ。
じっと僕の作業を見つめていた彼女の視線が、好奇心に変わるのがわかった。
「私も……できる?」
「大丈夫。難しくないから」
魔学研究院の学生のミナミにとって、魔物料理は知らない世界をのぞくようで面白いのかもしれない。
(ここは、彼女に任せておいても大丈夫そうだね……)
……僕は、スライムの下処理に取り掛かろう。
スライムには体を維持するための核があり、核がある限り、形状固定ができる。だが、このままでは下処理ができない。
そこで――……。
――術式展開……瞬間冷凍!
氷の術式を、透明な体の中心部分に展開させる。
ことり……。
小さな音を立て、氷で結晶化したスライムの核が透明な部分からこぼれ落ちた。
こうすることで、肉を液体にせずに分離させられる。
だが……。注意点はまだある。
スライムの肉の扱いは非常に難しい。強い熱を与えると水分が蒸発し、熱が弱すぎると水に分解してしまう場合もある。
僕は、大きめの寸胴をコンロの上に準備した。
(あとは……火力だね)
もちろん、食堂の厨房はハクリュウ弁当のキッチンとは違いガスコンロになる。
……だけど、ガスだと火力調整ができないから――。
寸胴に向けて、術式を展開させた。
絶対隔離――それは、強力なドラゴンが暴走したときなどに用いる術式になる。ドラゴンが吐き出す火炎や息吹を、近隣や街に被害が出ないようにするための高位の術式だ。
今回は、寸胴にそれを展開させる――。
――術式展開……絶対隔離!
(準備はできた……)
こうしておくことで、鍋の外側に熱が漏れることもない。内側の温度調節を適切に行えば、スライムの変質を防げるだろう。
「終わった。全部、スライムを水に帰還させた……」
表現は独特だが、ミナミの言う通り、寸胴には程よく液体化したスライムが注がれていた。
……これくらいの量があれば、何も問題はない。
「先生。この氷は何に使うのか?」
ミナミの言う氷とは、先ほどスライムの核を凍らせたものだ。
ふふふっ……。
いつもはお弁当を作っていて、披露する機会がなかったが……。
今回は、食堂での提供となれば、絶品のあれが作れるというものだ。
「特別メニューだよ」
それだけ言って、僕はスライム肉の下ごしらえを始めた。
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