エピソード106 スライムの解剖学と美味しい魔素の抜き方【教壇で氷の術式を披露し、学生たちに魔物食の可能性を説くシェフ】
ぷるんっと、ゼリー状の魔物が弾んだ……。
まな板の上ーー包丁を入れた瞬間のことだった。
透明な弾力のある肉質と、柔らかい質感は鮮度のよい証拠でもある。今朝ほど、金山ダンジョンから仕入れてきたばかりの上物だ。
「はい!」
いったん、包丁を置くと、クリップボードに挟んだ書類を畳み、机の上にコトンと落とした。僕はそのまま、周りを見渡す。
……静まりかえる部屋の中にはーー
不思議そうにこちらを窺う者、怪訝そうな顔をしている者、興味深くスクリーンに映し出された僕の調理の様子を、真剣にメモを取る者もいる。
「この中に、スライムの肉を食べたことのある人はいるかな?」
ざわざわざわざわざわ……。
僕のひと言に――教室で講義を聞きに来た学生たちの間に、ざわめきが起こった。
スクリーンに映し出されたのは、言わずと知れた水球状の魔物――スライムである。
半透明な身体と、中心には核を持っている。核は魔素を全体に運ぶ役割を持つ内臓にあたる。
――僕の後ろには、調理の様子を中継した映像が映し出されていた。
(うんうん。良い反応だ……)
魔物の肉を調理することは、まだまだ一般的とは言えない。
見た目もこの世界の動物にはない姿をしているし、何よりも魔素を保有しているから、ダンジョンの外に持ち出すには適切な処置が必要になる。
(ま、スライムをスライスして刺身醤油で食べようと思うものはそれほど多くはいないと思うけど……)
それでも、魔物の肉は、魔素の成分を抜き取りさえすれば、この世界の肉よりも上質なものになる。
僕は今――北海道大学魔学研究院にいた。
水島楓教授の依頼で、ダンジョンと魔素の結合性について説明する講義に来ている。
(結合とか学術的にいうと、難しく聞こえるかもしれないけど……)
……ようするに、僕個人の気持ちとしては、魔素抜き料理の無限の可能性を広めるためにやってきたわけになる。
実は前々から依頼が来ていたが、忙しいのを理由に断り続けていた。
……今回、僕が引き受けたのには理由があった――。
「先生、質問です」
「はい。えっと、君は?」
「木ノ宮です」
手を挙げたのは一人の生徒だ。
……興味があることはいいことだ。
「魔物には核があり、核から分泌された魔素の流動によって、魔物は身体機能を操作しているとされていますが本当ですか?」
核というのは、人で言うところの心臓にあたるものだ。
「本当だよ」
「それなら、どうしてスライム……はまだ生きているんでしょう?」
……他の学生たちも、そのことを疑問に思っているのだろう。木ノ宮と名乗った生徒の発言に、周囲の生徒たちも思い思いに話を始めている。
……ウンウン。探究心があっていいね。
改めて、僕は咳払いをしたあと、机の上に置かれた一体の魔物――スライムを手に取った。
「ここにいるスライムは、小型種になる。大型にもなれば、この建物ごと飲み込めるほどのものもいるだろう」
「そんなに大きいのが……危なくないんですか?」
「並の探索者なら、出会った瞬間に体内から放出された強酸で溶かされてしまうだろうね」
「……溶かされる、んですか?」
一瞬、生徒たちにどよめきが生まれた。魔物と遭遇した瞬間、探索者は常に命を落とす覚悟が必要となることも忘れてはならない。
今回の講義では、魔物との共存と探索者の役割について認識してほしいという思いもあった。
「これを見て、スライムには核があるね」
手元にいるゼリースライムを両手で広げてみせると、真ん中に赤い塊が現れる。
「ここの赤い宝石のようなものが、さっきも説明した核になる」
……だが、重要になってくるものは核ではない。
「でも――核が魔物の身体を維持しているなんて、誰も言っていないよね」
「あの……でも、スライムの弱点なんですよね?」
「君は――」
「蓮沼です」
女生徒……蓮沼が言った通り、スライムの弱点は核だが――。
「スライムの核は概念で定義されたものであり、魔素の源じゃないんだよ」
つまり、魔物を討伐する目的であれば、核の破壊が必要になる。だが、魔素を取り除く場合は核から離れた位置にある魔素の流動を切断する必要がある。そうしなければ、全身から魔素に支配され、食材にならないからだ。
「概念……ですか?」
「魔素は概念を作り出している理になる。そこまでは分かるかい?」
僕の言葉に、蓮沼は言葉につまり黙り込んだ。
「魔素抜きをするには、理そのものを書き換えるか、切断を行わない限り、魔物たちはまたダンジョンに吸収されてしまうわけさ」
「では、魔素とは何ですか?」
誰かの言った言葉に、周りの生徒たちは話すのをやめた。こちらを見ている。理解の追いつかない表情で、僕に意見を求めるような視線だ。
「そうだね。形を作るための核となる理――それが魔素の量や種類、放出量によって、概念という形態を変えていくといったらわかるかな」
「それって、魔物はたくさんの種類があっても、魔素の影響で形が作られているだけで、本来は同じものということでしょうか?」
……なかなか筋がいい。立ち上がった木ノ宮が恐る恐る言った。
「その通りだよ。魔素とは、細胞のようなもので、組織の組み方でその姿を変容させていくからね」
そう言ったところで――僕はいったん、難しい話をここで止めた。
学生たちへの講義だし、一応は僕も客員教授としての立場があったから、難しく説明する必要があった。その方が、科学者を目指す学生たちには伝わりやすいだろう。
……魔素を簡単に説明すると、命と言ってもいい。
僕たちは肉体の他に精神、感情、そして……魂という非科学的なものを持って生まれている。
だが、その魂がなくなれば、肉体は機能しなくなる……魔物もまた、それと同じように、魔素から書き出された理が切断された瞬間に、ただの概念の器でしかなくなる。
「そして、ここにいるスライムは、すでに魔素抜きされている……ここまで言えばわかるね?」
魔物は魔素の流動が切断された時点で、その命も失ってしまう。
「魔物も、僕たちと同じ動物……と言えば、語弊があるかもしれないけど――少し変わった形をしたジビエ料理だと思ってくれたほうがいいかもね」
そう言ってから、僕はスライムを机の上のまな板に戻した。
「このスライムだって、ね」
スッ――と、スライムの肉の断面に包丁を入れた先から、ゼリーのように透き通った透明な肉が切り分けられていく。
「ここでスライムを調理するときの注意点は、核を傷つけずに丁寧に切り分けること……」
「そっか、核を破壊されたスライムは水に戻るからですね!」
何かを発見したように、大声を上げる一人の生徒。僕の前で、熱心にノートを取っていた一人である。
「正解。核処理をするときは――……」
僕は肉を切り分けるのを終えると、術式を展開させた。
カキンッ……と、スライムの核が氷の術式――瞬間冷凍で凍結した。
『おおおおおおっ!!』
生徒一同から、大きな声が同時に起こった。
……探索者の能力を間近で見る機会がないのだろう。それはともかくとして――。
「こうしておくと、スライムの肉は料理後も水に戻ることはないんだよ」
僕は一通り説明を終えたあと、切り分けた新鮮なスライム肉を生徒たちに回した。
「ぷにぷにしてる」
「これって、食べられるんですか?」
「何か冷たくて気持ちいい……」
生徒たちの様子を見ながら、僕は後片付けをしていた。
魔物の肉を初めて見る者も多いのだろう。たった一人を除いては……――。
「やっぱり、生で食べても美味しくない」
……うーん。スライムとわかっていて、そのままかぶりついた人は初めて見たよ。
「ねぇ……君は――」
「ミナミだよ」
「講義のあと、中央食堂で魔物の肉を使ったお弁当を販売するから、良ければ食べに来てよ」
と、僕が言うと、スライムから手を離して、机の上に皿ごとぽいっと置いてから、ミナミはこちらをじっと恨めしそうに睨んだ。
「それ! もっと早く言ってほしい」
こうして……――僕の初めての魔物料理講座……もとい、魔学研究の講義は無事に終わった。
無事……だろうか?
さて、そろそろ僕もお弁当の準備に取り掛かろう。
ちらり、と教壇のそばに置かれた椅子を見る。
お腹を上にして、気持ちよさそうに寝ているナッツの姿があった。
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