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葉隠桜は嘆かない  作者: 玖洞
八章

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217/220

208.白き門の先

 行貴の手を取り、転移の感覚に身を委ねる。

 ふっと視界が揺れ、次に目を開いたとき、空を突き刺すような巨大な塔が目の前にそびえ立っていた。


 不思議なことに、塔の周りには一切の影が存在しなかった。現実感がなく、少しだけ恐ろしい。まるでこの塔そのものが世界から切り離されているような――そんな気がした。


 塔の正面にある大きなアーチ状の門へ近づくと、門と内部の空間の境目に、薄い光のベールのようなものが揺らめいている。

 鶫がそっと手を伸ばすと、ぶよぶよとした弾力のある膜に阻まれてベールの先へ進むことができなかった。


「この門は認証式なんだ。案内人である僕と攻略者――鶫ちゃんが揃うことによって初めて入ることができる」


 行貴がそう言って手を伸ばすと、光のベールが水面のように揺らぎ、音もなく消えた。

 鶫は行貴の背中を追うように、そろりと塔の内部へと足を踏み入れた。


 がらんとした塔の内部は、サッカー場ほどの広さの円形空間が広がっており、中央には淡く光を放つ複雑な紋様が浮かび上がっていた。天井は高く、どこか洞窟のような反響がある。


「……外のスロープからは入れないのか?」


「入れるけど、外側もこの門と連動してるからここで認証をクリアしないと登れないよ。ほら、そこの中央にある紋章に乗ると、外側にある各階層の入り口まで転移ができるんだ。ここを便宜上ゼロ階層とすると、六十六階までが転移の範囲かな。――ちなみに、各階層は配置された魔獣によって空間や内部構造が変化するから気を付けてね。相手が飛んだり泳いだりするタイプだと、普通に塔の中に空や海が実装されるから。まあ、創作に出てくるダンジョンとかが一番イメージに近いんじゃない?」


 ――つまり各階層は見た目通りの広さとは限らない、という訳か。

 政府のシミュレーションシステムに近いが、あちらが仮想現実なのに対し、こちらは実体を伴う。


「さっき、一階層の魔獣はそんなに強くないって言ってたけど、そういうのって話して大丈夫なのか? いや、俺としては助かるんだけど……」


 鶫がそう問いかけると、行貴はやる気がなさそうな声音で答えた。


「戦う直前の魔獣に関しては、多少情報を漏らしてもいいって許可を貰ってる。それより上の階層の情報は、過干渉になっちゃうから全部を話すことはできないんだけど。まあ、月読としても鶫ちゃんに攻略してもらうのが前提だからね。僕もギリギリのラインまでは協力するよ」


「そう、なんだ」


 胸の奥に、言葉にしづらい違和感が沈殿する。

 普通のゲームなどであれば、プレイヤーに簡単にクリアさせないようにトラップや敵が配置される。だがこの塔は時間制限を除けば、A級を倒せる実力があればプレイヤーが無理なく上っていけるシステムが出来上がっている。


 塔の存在理由を考えれば正しいのだが――何か大事なものを見落としているような、そんなざらついた感覚があった。


 鶫の胸中をよそに、行貴は話を続けた。


「この塔に出る魔獣はA級からB級に設定されてるけど、第一階層だけはD級の魔獣をB級クラスまで力を底上げしたやつが出てくるんだ。無理な改造だから、あんまり強くはないんだよね。ヘルハウンドって知ってる? 大きな犬の怪異のやつ」


「ああ、あれか。でも、どうしてそんな魔獣が配置されてるんだ?」


 ヘルハウンドは燃えるような赤い目をした黒い大きな犬の怪異である。女神へカテーの猟犬という説もあるが、特筆すべき逸話は少ない。


 鶫がそう問いかけると、行貴は平然とした様子で答えた。


「最初の一体は、朔良紅音にとって特別な存在なんだよ。魔法少女になる前の彼女の家を襲撃し、自身の母親を惨たらしく殺した化け物。そして、彼女が最初に倒した魔獣でもある。朔良紅音の軌跡には、切っても切れない存在だと塔が判断した。ま、結果として素体と力がちぐはぐな魔獣が配置されたってわけ」


 あまりにも最悪な理由だった。

 朔良紅音の母――つまり千鳥にとって祖母にあたる存在を殺した魔獣というわけだ。

 確かに、彼女を語る上で避けて通れない存在なのかもしれない。


 そんな話をしながら、鶫たちは中央の転移紋へとたどり着いた。

 入り組んだ紋様は、鶫には何が描かれているかさっぱり読み取れなかった。


 行貴に手を引かれ、その上に立つ。

 すると柔らかな緑の光があふれ、気づけば外側のスロープのような道の上に立っていた。

 目の前には、塔に繋がる大きな扉が見える。ちらりと下を見下ろすと、先ほど入ってきた門が小さく見えた。


 ……やはり歩いた方が早かった気もするが、ルールなら仕方がない。


 行貴が扉に手を掛け、鶫を振り返る。


「心の準備はできたかな?」


 それに鶫は、小さく頷いた。


「ああ、いつでも大丈夫だ」


 内開きの扉が、ゆっくりと行貴の手によって開いていく。

 そうして鶫は息を整え、扉の先に繋がる真白のベールに身を投げた。



 ◆ ◆ ◆



 足を踏み入れた瞬間、見慣れない景色が目の前に広がった。


 夜に差しかかった薄暗い道。かつては閑静な住宅街だったのだろうが、街灯は消え、道路には破壊の跡が点々と残り、閑散としていた。


 ――まるで教科書で見た黎明期の光景のようだ。

 いや、これが朔良紅音の軌跡ならば、これは正しくその時代の再現なのだろう。

 鶫はちくりとした胸の痛みを感じながら、魔獣の気配がする方へと転移した。


 ――現れた魔獣は、予想通り黒い犬の形をしていた。

 想定と違ったのは、体に錆びた鎖が巻き付いており、二本の角が生えていることだろうか。

 ……おそらく、近似の精霊バーゲストの逸話が混ざったのだろう。

 バーゲストには見ると親しい人が亡くなるというジンクスがあるが、どちらにせよ不吉な象徴であることには変わりない。


 大型トラック二台分ほどの巨体が、じゃらりと鎖を引きずりながら顔を上げる。赤黒い目が、鶫を射抜いた。


 その刹那、何かの術が掛けられたような感覚があった。


 身がすくむような、鋭い悪寒。だが、意識すれば簡単に振り払える程度の術だ。C級程度の実力があれば、すぐにレジストできるだろう。

 何度もイレギュラーと相対したことがある鶫にとっては、まるで児戯のようなものだった。


 ――目を合わせることがトリガーなのか。今度からは気を付けよう。


 そう思いつつ鶫が距離を取っていると、黒犬が地面を滑るような異様な速さで迫ってきた。

 犬の関節では到底出来そうもない、異様な動きと速さ。

 黒犬は瞬く間に目の前へ躍り出ると、誰かの血にまみれた鉤爪を振りかぶった。


 普通であれば、必殺の一撃――けれど、鶫にとっては遅すぎた。


 ふわりと背後へ転移し、あらかじめ潜ませていた糸を操って黒犬を拘束する。

 黒犬は糸から逃れようともがくが、動くたびに細い糸が絡まり雁字搦めになっていった。


「犬の動きをしないなら、本性は精霊寄りだ。手足を落としても再生するか、別の形を取るかもしれない。細かく増殖されても面倒だから――直接魔核を破壊させてもらう」


 鶫の両目が紫に輝く。

 ――黒犬のちょうど胸のあたりに、赤い糸が絡んでいるのが視える。

 赤口町の事件以降、鶫は弱点を看破する魔眼が自由意思で使えるようになっていた。

 


 鶫はくいっと糸が絡んだ手を下に向け――そのまま横に薙ぎ払った。

 糸が連動するように揺らめき、絡んだ赤い糸をなぞるように斬撃が黒犬を襲った。黒犬が瞬きをする暇もなく糸は黒犬の体を切り刻み、魔核を露出させた。


 反応速度、表皮の強度、攻撃手段から何まで、全てがB級相当だとは言い難い。せいぜいC級の上位くらいが妥当だろう。


「……他の魔獣もこれくらいだったら楽で良かったんだけど、そうもいかないか」


 そうぼやきつつ鶫は魔核へ手を向け、握りつぶすように拳を閉じた。

 それと同時に、露出していた魔核が歪んで砕け散った。

 魔核を二つ持つイレギュラーでもない限り、これで起き上がってくることはない。


 戦闘終了後に自動発動した『暴食』が黒犬を平らげていくのを横目に見つつ、鶫は大きく息を吐き、暗い夜空を見上げた。


 今の鶫にとって、強化されたヘルハウンドは取るに足らない相手だった。

 けれど、何も知らなかった頃の朔良紅音――千鳥の母である七瀬あかねには、アレがどんな風に見えていたのだろうか。

 きっと、今よりもずっと恐ろしく、強大な敵に見えていたのかもしれない。


 ヘルハウンドと目が合ったときの、あの体がすくむ悪寒。

 あれは、かつての朔良紅音が感じた恐怖の再現だったのだろうか――そんな考えがふと胸をよぎった。


『暴食』が黒犬を綺麗に平らげるのと同時に、鶫のそばに扉が出現した。おそらく、帰りはこの扉を通れということだろう。


「……次は、どんな魔獣が相手なのかな」


 これからの道行きに、言いようのない不安が胸の奥に燻っている。

 それでも鶫は静かに扉へ手を掛けた。


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― 新着の感想 ―
疑似体験といいつう強化されてる 後半キツイよね
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