207.友の境界線
困惑しながら鶫は壇上を見上げた。
最初は見間違いだろうと思っていた。だが、そこに立っているのはどう見ても鶫の親友――天吏行貴だった。……訳が分からない。
動揺を抑えつつ周囲を見渡すと、広い講堂には大人たちが所狭しと並び、ざわめきすら飲み込むような重苦しい空気が漂っていた。数百を超える視線が、一斉に乱入してきた鶫――葉隠桜へと注がれている。
……もしかして何かの会議中だったのだろうか。
そう思った瞬間、背中に冷たい汗が伝った。
鶫は責めるような目で背後の八咫烏を振り返ったが、そこにはもう誰もいなかった。案内が終わったから、もう役割は果たしたということなのだろうか。……なんて無責任な。
一発くらい殴っておけばよかった、と心の中で毒づきながら、鶫は息を吐いて行貴を見つめた。
行貴は再度鶫と目が合うと、ニッコリと人好きする笑みを浮かべた後、講堂中に響く声で言った。
「これから僕は案内人としての仕事があるから、緊急招集はこれにて終了でーす。詳しいことは舞台袖にタブレットを置いといたからそれで検索してね。大体のルールは記載してあるはずだから。それじゃ」
軽い調子でそう言うと、行貴はひらりと壇上から飛び降り、駆け足で鶫――葉隠桜のもとへ近づき、ばっとその手を取った。
そのまま講堂の外へ引っ張り出すように走り出す。
数十メートルほど、半ば引きずられるように走っていると、行貴が突然立ち止まり、くるりと振り向いた。そして空いている方の手をそっと取る。
鶫が何か言おうと口を開いた瞬間――行貴は静かに口を開いた。
「ここだと話しづらいし、移動しようか。――心配しなくても大丈夫だよ、鶫ちゃん。僕はいつだって、君の味方なんだから」
その言葉と同時に、鶫は身体がふわりと浮くような奇妙な感覚に襲われた。
――転移だ。
そう理解する間もなく、視界が暗転する。
そうして特有の浮遊感が収まり、鶫が目を開けると、そこは見慣れた行貴の私室だった。
「……ここ、女人禁制じゃなかったのか?」
鶫が思わず呟くようにそう告げると、行貴はニヤニヤと笑みを浮かべた。
「鶫ちゃんはノーカンでしょ。それともなに? 心まで女の子になっちゃった? これからは桜ちゃんって呼んだ方がいいかな?」
そのからかう様な声音に、鶫は安堵と困惑が入り混じったため息をついた。
「はー、……お前、本当に行貴なんだな。――いつから俺が葉隠桜だって知ってたんだ?」
「最初から。いやあ、まさか鶫ちゃんが女の子になって戦う日が来るとは思ってなかったけどね。そのうち話してくれるかなーって思ってたけど、残念だよ。どうやら僕は、ぽっと出の女より信用されてなかったみたいだ」
しくしくとわざとらしく泣きまねをする行貴に、鶫は呆れたように言った。
「言ったとしても、揶揄われるだろうから嫌だったんだよ。……それにしても、行貴。お前一体どうしたんだ? 塔の案内人って、なんでそんなことになってるんだよ」
行貴が政府にいたこと。転移の能力を持っていること。そして鶫の秘密を知っていること。
その全てが、行貴が普通ではないことを示していた。少なくとも、人間以上の力を持っていることは確かだった。
在野の魔法少女という可能性もあるが、行貴が神を相手に頭を垂れる姿はどうしても想像できなかった。
「どうも何も、鶫ちゃんが大変そうだから手伝ってあげようと思って。月読とは知り合いだったからさ。その伝手で塔の案内人として無理やりねじ込んだんだよ。鶫ちゃんだって知らない奴に案内されるより僕の方が安心でしょう?」
「アイツと知り合いって……。お前も塔の計画に嚙んでたのか?」
鶫がそう問いかけると、行貴は真剣な顔をしてそれを否定した。
「いや、僕も直前までは知らなかった。この件に関しては、僕は善意の協力者だと誓ってもいい」
「そう、なのか。……でもシロ――月読の知り合いってことは、その、行貴は人間じゃなかったのか?」
鶫が戸惑いがちにそう聞くと、行貴は静かに頷いた。
「まあ、端的に言うとそうなるかな。――僕は結界が張られる前に降りてきたモノだよ。いわゆる逃れ者って奴だね。あ、ちなみにこの体はちゃんと人間だから安心してね。死産の赤子を貰ったやつだから合法だし」
さらりと恐ろしいことを告げる行貴に、鶫は妙に納得してしまった。
普段の行貴の、人を小馬鹿にして玩具扱いするような態度は、確かに上位者特有の仕草だと思えば腑に落ちる。どうりで注意しても直らないわけだ。
「あれ、思ってたよりも冷静なんだね。もっと取り乱すと思ってたのに」
驚いたように言う行貴に、鶫は小さく首を振った。
「驚いてはいるけど、お前がたとえ神様だったとしても、俺の友達の『行貴』であることには変わりないんだろ? ……もし態度を改めた方がいいなら、そうするけど」
鶫は渋々と言いたげに最後の言葉を付け加えた。
これでもし行貴に「お前なんか玩具としか思ってないし、人間ごときが僕と友達なんて鳥滸がましいと思わないの?」と言われたらかなりショックを受けるし、立ち直れないかもしれない。
そうでないことを祈りながら、鶫は行貴を見た。すると行貴は肩透かしを食らったかのように困惑した顔で鶫を見ると、口ごもるようにして言った。
「いや、うん。僕だって友達だと思ってるけど……。僕が言うのもアレだけどさあ。本当にそれでいいわけ? もっと警戒したほうがいいんじゃない?」
それに鶫は苦笑して答えた。
「色んなことがあって混乱してるんだよ。だからせめて、親友の言葉くらいは疑いたくないんだ。まあ、自分でも馬鹿みたいな理屈だとは思ってるけど……」
千鳥とシロが塔に消え、八咫烏には塔を攻略することを強いられ、ベルは小瓶に封じられてしまい、行貴までなんだかよく分からない事になってしまっている。
だからせめて、行貴は敵ではないのだと信じていたかった。
それに、もし行貴が裏切ったとしても、ただの人間である鶫には抵抗すらできない。ならばいっそ、信じたままでいた方が気が楽だ。
すると行貴は大きなため息をつき、嫌そうな顔で言った。
「これで鶫ちゃんに何かしたら、まるで僕が悪者みたいじゃん。あーやだやだ。これだから鶫ちゃんは。――で、なんだっけ? 僕の正体とかも言った方がいい?」
投げやりな調子でそう言った行貴に、鶫は首を横に振った。
「塔の攻略に関係があるなら知っておきたいけど、行貴が話したくないなら別に……」
もし行貴が話したくないのであれば、それは仕方がない事だろう。自分も葉隠桜のことを黙っていた手前、あまり強制はしたくない。
それに行貴の正体が何であれ、どうせ攻略に人や神の手を借りることはできないのだ。
行貴の素性を知って変に助力を期待してしまうくらいならば、いっそ知らないままの方が健全でいられる気がした。
「え、ホントに聞かなくていいの? 興味とかないわけ?」
「興味はあるけど、別にそれは今じゃなくてもいいかな。仮にお前の正体が有名な神や精霊だったとしても、俺からの態度は変わらないだろうけど、それで変な感じになっても嫌だし」
気にはなるが、無理に聞き出そうとまでは思っていない。
行貴が鶫の友人である以上、たとえ正体が何であれの中で行貴の扱いは変わらない。それだけの事だった。
「うーん、いまいち納得いかない気もするけど、鶫ちゃんがそう言うならいいか。ここぞという時にでも話そうかな。――それに最初に言った通り、此処にいる天吏行貴はいつだって鶫ちゃんの味方だから。それさえ忘れないでくれればいいよ」
「分かった。――案内人の事については教えてくれるか?」
「まあ、それは仕事だからね。ちゃんと話すよ」
そうして行貴は塔についての説明を始めた。概ね八咫烏から聞いた内容と同じだったが、少しだけ違う点があった。
「あの塔は朔良紅音の人生を模しているけど、構造の骨子になっているのは君の二人の姉なんだよね。だから余計に、君以外の侵入を良しとしてない。上手く魔道具とかで誤魔化せればワンチャンあるかもだけど、二か月程度じゃ開発は間に合わないと思う。ま、というわけで鶫ちゃんは一人哀れに塔を攻略していくわけなんだけど、ここまでは大丈夫?」
「大丈夫ではないけど、大体は理解した。……塔は今からでも登れるのか?」
逸る気持ちを隠さずに問うと、行貴は呆れたように肩をすくめた。
「事前準備も無しに行くつもり? 塔に出てくる魔獣は模造品とはいえ強さは本物と一緒だし、負けたら普通に死ぬことになるけど? 僕は鶫ちゃんがゲームオーバーにならないように見張る役割もあるからね。無茶な攻略するつもりなら塔は開けないよ」
「無茶はしないけど、無理はする。そうじゃないと、六十六日に間に合わない」
鶫はまっすぐに行貴を見てそう答えた。
すると行貴は不満そうに目を細め、突き放す様に言った。
「本気で間に合うと思ってる?」
「――間に合わせるんだよ。その為だったら何だってする」
六十六日の時間制限。一日一体のペース……と言うのは簡単だが、実際に行うとなると不可能に近い。
それでも鶫は、希望を捨てなかった。
シロ――月読は本当に千鳥を道具として使い捨てるつもりなのだろうか。それならば、わざわざ時間制限を鶫に伝える必要もない。
月読の目的が天照の器の完成ならば、千鳥のことは黙っていた方が事は簡単に進んだはずだ。
なぜなら六十六日のことを知らなければ、だってギリギリの百日に合わせた攻略をしていたからだ。その方が、月読にとってもリスクは少なかったはずだ。
だからこそ鶫は、六十六日という期間に何らかの意図があると思っている。
……恐らくだが、きっと行貴もその意味を知っているだろう。鶫がそれを問いたださないのは、上手く言えないが今は聞くべきではないと感じたからだ。
だからこそ今の鶫にできることは、必死で攻略を進めることくらいしかない。
その思いを込めて行貴を見つめると、行貴は諦めたように肩を落とし、苦笑した。
「あーあ、鶫ちゃんは本当に頑固なんだから。……でもまあ、最初の一体はそんなに強くないし、肩慣らしにはちょうどいいか」
そう言って立ち上がると、行貴はすっと右手を差し出し、芝居がかった口調で言った。
「お手をどうぞ、お姫様。――この悪い魔法使いが、後戻りができない旅へとご案内いたしましょう」
「……そこはお姫様じゃなくて、勇者様とかが良かったな」
鶫はその手を取り、小さく笑った。
◆ ◆ ◆
一方、講堂に残された者たちは、塔の攻略について議論を交わしていた。
天吏と葉隠桜が出ていった直後はまとまりがなかったが、すぐに壇上に八咫烏が現れ、天吏の話していたことが真実であると証明された。
八咫烏は講堂に集まった者たちの前で言った。
「この儀式に神々は介入できない。故に、儀式を為すためには貴殿らの協力が不可である。天照様の為――ひいてはこの日ノ本の為に貴殿らの力を借りたい。各々、最善を尽くしてほしい」
神威を滲ませた八咫烏のその言葉に、誰もが恭しく頭を下げた。
これがお願いではなく、命令だと悟ったからだ。
そして、国の為と八咫烏が言い切るのであれば、従わぬ理由はない。
八咫烏は小さく頷くと、そのまま舞い上がり溶けるように消えてしまった。
――ここからは、人間の時間である。
その後、神祇省からは多少反対意見もあったものの、概ね儀式を遂行する方向で進めることが決定した。
魔獣対策本部と転移管理部は魔法少女たちのシフト再調整を検討し、政府上層部は世間にどこまで情報を開示するか議論を重ねる。
神祇省は半数以上が神々との調整のため退出したが、残った者たちは塔の解析や考察に取り組んでいた。
予算、人員、時間、シミュレーションに費やす人材――そうして天吏が残したタブレットを確認しつつ職員たちは話し合いを重ね、内閣府と連携を取り、塔の建設から十八時間後、ついに緊急事態宣言を発令するに至った。
これは、三十一年前に魔獣が現れて以来の宣言となる。
――少しずつ歴史が動こうとしていた。
だが、その変化が祝福か破滅かを知る者は、まだどこにもいなかった。




