206.黒羽の告解
鶫とベルは、すぐさま政府へと移動した。
ベル曰く、神様専用の通路があるらしく、鶫もそこへ同行させてもらうことになった。本来なら完全にルール違反だが、緊急事態ということで目をつぶってもらうしかない。
人気のない廊下を、ベルと並んで進んでいく。もしかすると鶫には見えないだけで、他にも神が歩いているのかもしれない。だが、見えない以上はどうしようもない。
入り組んだ通路を抜けようとしていたその時、階段の上から大きな影がふわりと舞い降りてきた。
「おやおや、どうなさいましたかこんな夜更けに。もしかして例の塔の件でしょうか?ワタクシも気になっていたんですよ!情報を仕入れに政府へ来てみたのですが……何かご存じで?」
バサリと大仰に翼を広げながら、大鷹がベルへ問いかける。
――ベル様の知り合いなのだろうか。
基本的に、契約していない人間の前に神が姿を現すこと自体が異例である。鶫は驚きつつも成り行きを見守った。
「……今は貴様と話している暇はない。失せろ」
「おっと、随分と機嫌が悪いですねえ。それにしても……ああ、これはまた随分と無理やり剥がされましたね。中身もボロボロじゃありませんか。キミ、体調は大丈夫ですか?」
大鷹は鶫の顔を覗き込むようにして言った。突然の問いに、鶫はびくりと肩を震わせた。
「……え、剥がされるって、一体なにを」
「自覚はありませんか?今までくっついていたモノが全部剥がれているではありませんか。癒着していた部分は――なるほど、カドゥケウスから掠め取った力を使いましたか。実に綺麗に塞がれています。ふむ、ボロボロに見えますが魂自体に補修はちゃんと出来ている。ですが、陰陽のバランスがかなり陰側に寄っていますね。この状態だと、女の子の姿でいた方が楽かもしれないですねぇ」
「おい、どういうことだ」
ベルが不満げに問い詰めた。
すると大鷹は、こてんと首を傾げながら軽い調子で答えた。
「簡単に言うと、貴方の契約者に憑いていた子の魂が抜き取られています。ただ大半は置いて行ったみたいで、残りの細かな粒子が彼の魂の欠けやヒビを塞いでいますね。故に魂のバランスが陰に寄っているのかと。これが定着するまでは、不調は続くでしょうね」
その説明に、ベルは怒気を滲ませた目で鶫を睨んだ。
「――おい、合流する前に何かあったのか。なぜ言わなかった」
「つ、つい忘れてて……千鳥と塔の方が心配で……」
鶫は素直にそう答えた。ベルの顔を見た瞬間、自分の不調よりも千鳥たちのことを伝えなければと頭がいっぱいになり、何かを剥がされたことを言い忘れてしまったのだ。
そして、自分の魂がそんな状態だったと知り、鶫は怯えたように顔色を悪くした。
欠けやヒビ割れの件も気になるが、千鳥たちは沙昏お姉ちゃんの魂を使って何をしようとしているのか――考えるほどに頭が痛くなりそうだった。
ベルは大きくため息をつき、べしりと尻尾で鶫を叩いた。
「そういった事はちゃんと話せ。何のために口があると思っている」
「ごめん……」
そう言って小さく謝る。いくら混乱していたとはいえ、報告を怠ったのは自分の落ち度だ。
……それにしても、大鷹の神が翼で嘴を押さえながら、爛々とした目でこちらを見ているのは大丈夫なのだろうか。
正直、自分の身丈よりも大きい猛禽類の見た目をしているので、うっすら命の危機を感じる。
「まあいい。ヘルメス――お前の話は後で聞く。今は相手にしている時間がない」
そうしてベルが大鷹を無視して先に進むと、大鷹――ヘルメスと呼ばれた神は「ではワタクシもご一緒しましょう。なんだかとても楽しいことが起こりそうな気がするので!」と言って鶫の後ろをテクテクとついてきた。
鶫が助けを求めるようにベルを見ると、ベルは諦めたように首を横に振り、「放っておけ」と呆れた声で言った。
そうして二柱と一人で廊下を進んでいくと、どこか覚えのある圧を放つ部屋の前に辿り着いた。
かちゃり、と誰も手を触れていないのに扉が開いていく。
「――塔のことを聞きに来たのだろう。入るといい」
しゃがれた声が廊下に響く。二柱と一人は顔を見合わせ、誘われるままに部屋へ入った。
――そこにいたのは、緑がかった美しい黒羽を持つ烏だった。
ずきり、と頭が痛む。
ああ、そうだ。――姿かたちこそ違っていたが、自分はこの神に会ったことがある。
「――八咫烏、さま」
沙昏お姉ちゃんが死んだあの日、火傷を負ってボロボロの朔良紅音の姿を借りて鶫に話しかけてきたモノ。
朔良紅音の契約神――八咫烏がそこにいた。
◆ ◆ ◆
二柱と一人を小さな会議室へと招き入れた八咫烏は、静かに話し始めた。
「あの塔は月読様――お前たちがシロと呼んでいた神が作った、天照様の新しい器だ。天照様の器が限界に近いことは、お前達とて耳にしたことがあるだろう」
「……ただの噂では無かったのか」
ベルが驚愕を隠しきれない声音で呟く。
鶫には器という言葉の意味がいまひとつ掴めないが、つまりフレイヤが虎杖の体を借りる時のようなことを示すのだろうか。
……それよりも、八咫烏は今、月読がシロだと言わなかったか。
あのよく分からない姉狂いの白兎が、月読? まるで質の悪い冗談を言われている気分だった。
「貴様らも今回の件に関わっているのか」
「そうだ。……計画を知ったのはつい先日だったがな。最初は月読様の独断だったが、我らはその計画に乗ることにした。たとえそれが天照様の本意でなかろうとも、天照様が損なわれるよりはマシだろう」
そう淡々と告げた八咫烏に、ヘルメスはぽつりと「天の岩戸の時みたいな力業ですねぇ……」と呟くように言った。
八咫烏は続けて、塔の成り立ちと千鳥に残された制限時間を語り始めた。
その声はどこまでも冷静で、まるで決定事項を読み上げるだけの機械のようだった。
「――そうして月読様はあかねの娘の血縁情報を起点とし、塔を作り上げた。六十六日以内に儀式が終わらなければ、あかねの娘は塔から出られなくなる。それは、吾としても本意ではない。そして塔に巡るのに適した人物は、あかねの最後に立ち会った七瀬鶫しかいない。軌跡の最後に七瀬鶫がたどり着くことで、儀式は完成する。これが塔の全貌だ」
――頭の中が、真っ白になる。
つまり千鳥は、月読が塔を建てるための道具にされたのだ。
もう塔が完成している以上、儀式をクリアしなければ千鳥を助ける術はない。
どうして千鳥は、そんな人柱のような役割を受け入れたのだろうか。
そして儀式の条件――六十六日以内という無茶な制限。
まるで最初から失敗させるために設定した様な、そんな悪意さえ感じる。
苛立ちを隠せないベルが声を荒げた。
「つまり、貴様らの勝手な都合で我の契約者を酷使すると? ……貴様ら、我の知らないところで随分と調子に乗っているようだな!!」
怒気と共にベルの神威が膨れ上がる。空気が震え、室内の温度が一瞬で変わった。
その瞬間、ヘルメスがどこからともなく綺麗な小瓶を取り出し、ベルへ向ける。
「rkb ʿrpt aliyn bʿl」
ヘルメスが良く分からない言語でベルに呼びかけ、ベルはそれに反射的に「なんだ!」と答えた。
次の瞬間、小瓶が眩い光を放ち、鶫は思わず目を閉じた。光が収まってから目を開けると――ベルの姿はどこかへと消えていた。
「……え?」
鶫が狼狽して周囲を見回すと、ヘルメスが淡く輝く小瓶に指先を添えながら言った。
「やれやれ、あの方は短気で困ります。ですので、普通に話ができるようになるまでこのワタクシが説得いたしましょう!! ――ああ、心配はしないでください。小瓶の中に危険なことは何一つありませんし、落ち着くまでは出られないだけですから。これ、西遊記の紫金紅葫蘆を参考にしたんですよ。可愛いでしょう? では、また後程会いましょう!!」
ヘルメスは一方的にそう告げると、その場でクルリと回転し空気に溶けるように消えてしまった。
紫金紅葫蘆――名前を呼ばれて返事をした者を吸い込み、溶かしてしまう宝貝。
ヘルメスの言葉を信じるならベルは無事なのだろうが、確かめる術はない。
ヘルメスに悪意はなさそうだったが、ベルがこの場からいなくなってしまった衝撃は大きかった。
――ど、どうしよう。
気まずい空気の中にひとり残された鶫は、真っ青な顔で八咫烏を見上げた。
すると八咫烏はまるで予定調和だと言いたげにその場に浮かび上がると、「付いてきなさい」と鶫に言った。
そうして八咫烏の後ろについて会議室を出て、いくつかの扉を抜け、鶫も知っている廊下へ出る。だが、何故か周りに人の気配が感じられない。
怪訝に思う鶫に、八咫烏は歩みを止めて振り返った。
「人払いをしている。お前に話すべきことがあったからだ」
「自分に、ですか?」
「そうだ。――今回の儀式だが、神々は手を貸すことができない。下手に干渉すると、器が機能しなくなるからだ。お前は自分の力だけで、遅くとも百日以内に塔を登らねばならない」
「……そうですか」
随分と、勝手な話だ。鶫の心は置き去りのまま、ほぼ強制的に儀式とやらに放り込まれる。
別に八咫烏が悪いわけではないと、頭の隅では分かっていた。けれど感情が追い付かない。
――あの日、お前が俺に千鳥を守れと言ったくせに。今度は自分たちの都合で千鳥を儀式の道具にするのか。
鶫の胸に渦巻く黒い感情を読み取ったのか、八咫烏は真っ直ぐに鶫を見つめ、深く頭を下げた。
「月読様は、それでもお前は塔を登りきると言っていた。不甲斐ないことだが、我らはお前に儀式の成否を託すしかない。儀式が成功した暁には、お前が望むものを我らが用意しよう。……引き受けてくれるだろうか」
あの八咫烏が、ちっぽけな人間である自分に頭を下げている。
それは本来なら震えるほどの出来事のはずなのに、鶫の心は冷え切っていた。
――こいつらは、千鳥を犠牲にして天照、ひいては日本を救おうとしている。
たった一の犠牲で済むのだから、きっとそれは彼らの中では正しいのだろう。だが鶫はそれが許せなかった。
薄々分かっていたことだが、あまりにも用意された時間が足りなさすぎる。百日以内と考えればギリギリ達成可能かもしれないが、それでは千鳥は助けられない。
鶫は深く息を吸い、心を落ち着けるように吐き出した。
「千鳥はあの時、俺に『待っている』と言いました。だから俺は、もう一度千鳥に会うためだけに戦います。それには天照も儀式も報酬も何も関係ない。――人をあまり馬鹿にしないでくれ」
鶫はそう言って、八咫烏を静かに見つめた。
――鶫は自分が特別な人間だとは思っていない。自分が動かなければ全てが破綻するような重大な役割を与えられたことすら、悪い夢のように思っている。
けれど、そんな重圧すら跳ねのけるほどに、千鳥を失う恐怖の方が大きかった。
――不満があっても、やるべきことは変わらない。
たとえ誰の手も借りれなかったとしても、ひとりで儀式をやりきるしかないのだ。そこに報酬だの何だの言われても、鬱陶しいとしか思えない。
八咫烏は静かに頷き、翼で前方の大扉を示した。
「文句なら後でいくらでも受け付けよう。――あそこの講堂の中に、塔の案内人がいる。詳細な規則の確認や塔に出入りしたい時は、奴に言えばいい」
鶫は小さく頷き、扉に手を掛けた。
――案内人とは、どんな人物なのだろうか。
そしてゆっくりと扉を開き、薄暗い講堂の中を見上げて、鶫は困惑の表情を浮かべた。
全く予想していなかった人物――行貴がそこにいたからだ。
「rkb ʿrpt aliyn bʿl」
↓
「雲に乗るもの 力あるバアル」




