2-2 問題は多岐な模様
側から入ろうとしたガレオを制し、アレッシェラは、黒い瞳の女性に薄く笑う。
「魅惑的ではないとは、私のことか?」
生まれてからこの方一度も言われたことのない言葉だ。侮辱的な発言に、アレッシェラは紅紫色の瞳を、黒髪の女性に固定すると、薄く笑って返した。
その様子に、相手の態度はいっそう嘲るようになる。
「ええ、そうよ! あなたみたいな貧相な体型の娘は、レナール様にはふさわしくはないもの!」
「ほう――そこで、私を貶める言葉に、不細工や愚かといった言葉を選ばなかったお前の選択については、褒めてやろう」
「なっ……!」
瞬時に相手の顔が引き攣る。その前で、アレッシェラは薄い金髪を手に取ってさらりと流した。顔の側の髪が、柔らかく流れる。
「確かに私は美しい。お前が勝てるのは、その胸の谷間ぐらいだろう。高雅、優美、端麗いくらでも褒め称えていいぞ」
『それを初対面で言うか!』
思わずつっこんできたのは、ジャミマス神の声だ。
(あいつ……姿を隠してどこかで見ているな……)
見回したが、アレッシェラにもわからないほど巧妙に隠れているようだ。こっそりついてきていたのには呆れるが、その前では先ほどの女性が、悔しそうに手を握り締めている。
「よくも、そこまで自画自賛を……」
「違うぞ、単なる事実だ」
きょとんと明るく告げると、否定できないと思ったのだろう、相手はいきなり背を翻した。
「ど、どちらにせよ、あなたとの婚約なんてレナール様は嫌がるのに決まっていますわ!」
(まあ、今の時点で逃げ回っているからな……)
事実だから、腹を立てる気にもならない。走り去っていく女性の姿を目で追うと、ガレオが申し訳なさそうに頭を下げた。
「失礼をして、申し訳ありませんでした。彼女はこのザディッド王国のテディス公爵夫人なのですが、二日前からここに滞在をされておりまして」
「随分とレナール様を気に入っているようだな」
「数年前にご夫君を亡くされたそうで……。レナールが、若い頃のご夫君の姿によく似ているとおっしゃっているのですが……」
「なるほど」
二日前。その言葉に、ふむと首を傾げる。
「これは、ひょっとして恋敵というものなのか?」
「い、いえまさか! あの女性が来られたのは、アレッ……いや、アレシナ様にお話をして帰ってきてからですし。それにレナールはこれまでの女性たち同様、まったくそういう気にはなれないようで!」
慌てたようにガレオが説明をしている。それにと、ひそっと声を下げて付け加えた。
「彼女は社交界では有名な遊び人らしいのです。おそらくレナールについても、本音では、珍しい噂を持っているので、遊び相手として、自分の恋愛遍歴に加えてみたくなったのでしょう」
「ほう――」
つまり、彼女にとっては、ハーレム要員の一人ということなのだろう。
それは、グラフォーレ辺境伯から見れば、とても息子に勧めたい相手ではないのに違いない。
なにしろ縁談相手の命を守るために、結婚を拒んでいる息子だ。同じ理由で、家族と書類上の縁さえ切っているのだから、どうせ恋をするのなら、問題を解決したのち、末永く幸せに暮らせるような相手を選んでほしいのに決まっている。
(とはいえ、その問題を解決するために飛びついた私の伴侶募集の噂も、碌なものではなかったが……)
とりあえず、アレッシェラとしては、ハーレムを作るつもりはない。運命の相手は、夢に出てきた一人だけ――と考えたところで、先ほど引っかかった言葉を思い出した。
(だが、二日前とは――)
腕を組んで、少し考える。
「で、ではアレシナ様。どうか、とりあえずお茶でも――」
今の女性の言葉で不快になったのではないかと不安になったのだろう。急いで、母のエディットが案内を始める。
「レナールも、間もなく帰ってくると思いますので」
ガレオも慌てて取りなすように言ってくる。
その言葉に、アレッシェラはガレオを見上げた。
「ありがたいお申し出だが、馬車で長く座りすぎたので、お茶はレナール様が帰ってから一緒にいただくのでもいいだろうか。その待っている間、よかったら、レナール様について、少しでもよく知っておきたいので、育ってきたこの屋敷や庭を拝見したいのだが」
命を吸い取っている犯人を捜すためと意味を隠しながら言うと、立っていたガレオはわかったのか、ハッとした表情をした。だが、周囲にいる妻や兄は、レナールのことを知りたがっていると感じたのだろう。嬉しそうに顔が輝く。
「もちろんですわ! レナールが育ったこの屋敷には、あの子のお気に入りの場所がいくつもあるのです!」
エディットが、大喜びの表情で手を合わせている。
「では、奥様。この庭の奥にあります泉などはいかがでしょうか」
あとから来た四十代の半ばを越えたようなメイドが微笑む。結った黒い髪が美しく、耳たぶに黒いほくろのあるメイドだ。
「あら、ニコル。それはいい案ね! あの子が一番気に入っている場所だし――」
「ええ、そこならば、レナール様と仲の良い動物もたくさんご紹介できますよ」
「そうね、そこを選ぶなんて、さすが長年勤めてくれているだけあるわ」
笑顔で両手を合わせたまま、ニコルの提案を明るく受け入れている。
アレッシェラの真意が、あの予言者が隠れていないか探りたいということだと、後ろにいるルイサは気づいているのだろう。
「いいんですか、アレシナ様。すっかり誤解されていますよ?」
「まあ、仕方あるまい。本当に夢に出てきた運命の相手ならば、誤解でもなくなるのだから、かまわないだろう」
「あの、その話し方は……」
ご令嬢らしくないですと囁くのに、「ああ」と頷く。
「奥方様、モーリス様。小さい頃から、人を束ねる話し方を学ばされたので、このような言葉遣いなのだが、失礼ではないだろうか」
「まさか! むしろ凜々しくてステキですわ!」
そうエディットは気にしていないように答えると、そのまま、奥に通じる庭へと案内していく。
美しい庭だ。歩いている周囲にはピンクや紫の花が咲き誇り、遠くには愛らしい小さな白い花がいくつも咲いている。おそらくカモミールだろう。色とりどりに咲く花たちは、とても鮮やかだ。
「いろんな花々が植えてあるのだな」
「とても華やかですわ」
後ろからついてきているルイサも感嘆したように、咲き誇る花たちを見つめている。
「ありがとうございます。私が育てましたの」
「奥方様が?」
「ええ、昔から植物の世話をするのが好きなのです。子供たちも、小さい頃からよく一緒に世話をしてくれましたわ」
今でも、手が空いている時には、よく手伝ってくれますという言葉には、温かい家族の触れ合いを感じる。
「レナール様も、一緒に花のお手入れを?」
「ええ、あの子は、本当はとても優しい子ですの。昔から、領民たちにもとても愛されていて。それに泉の側にいる動物たちを、とてもかわいがっていますの。あの子が現れれば、いつもたくさんの動物たちが姿を見せます」
多くの木々が緑の葉を伸ばす庭の奥へと続く道を歩きながら、エディットは説明をしていく。
「だから、今回アレシナ様があの子を見初め、婚約を受けてくださって、とても嬉しいのです」
「――あ、ええ……」
正直、まだ夢に出てきた相手かどうか確かめてはいないから、本当に結婚するかはわからない。だが、とりあえずレナールの命を吸い取ろうとしている相手を見つけ出すまでは、そういうことにしておいたほうがいいだろう。
そう思って頷くと、その前でエディットは少しだけ俯きながら、困ったような顔をしている。
「だから、どうか出迎えなかったレナールのことは怒らないでやってくださいね。あの子は、今までに来たお相手が、全部うちの援助がほしい親に、強引に連れてこられた娘たちばかりだったものですから……」
なるほどと納得した。どうやら、ここまでに縁談が皆無だったわけではないらしい。生贄婚――そう言われるぐらいには、花嫁を人身御供同然に差し出そうとした縁談があったようだ。
(だが、それでも頷かなかったと――)
道理で、ガレオがアレッシェラのあんな噂を聞きながらも、自分の息子との結婚を受けてもらえないかと申し込もうとしたわけだ。
(まあ、確かに私ならば、普通の人間から見たところの早死にの心配は薄いが……)
歴代の大聖女は、生まれる前に神々によって定められ、数百年という寿命を与えられている。これは、大聖女と、稀に生まれる人でありながら神の力を持つ神皇だけのものだ。
(とはいえ、これは、なかなか頑固な性格みたいだな)
真面目で女癖が悪くなく、他人の命のためならば、自分の幸せを諦めても意志を貫く――正直に言えば、かなり好ましいタイプだ。
(これで、夢の相手ならば、私としては喜ばしいことなのだが――)
そう心の中で呟きながら微笑む。
「心配は必要ない。私は、レナール様の話を聞いて、余計に興味をもったのだから」
そう話した瞬間、エディットの顔が嬉しげに輝いた。
「ありがとうございます! そうおっしゃってくださる方が現れるなんて!」
「本当に早死にするかどうかなんて、普通はわからないものなのだし」
そう話せば、よほど剛毅な性格と映ったのだろう。エディットがじんと感動したように、アレッシェラを見つめている。
「ええ、ええ……そうですわ。本当かどうかなんて、未来はわかりませんもの」
目元に薄く光った涙を指先で拭い、笑顔を浮かべると、やがてもう一度いそいそと嬉しそうに歩いていく。
「こちらが奥の泉ですわ。ここには、幼い頃からレナールが世話をしている動物たちがいるのです」
そう話しながら到着した泉には、なぜか今日は動物たちの姿が見えない。代わりに、ひどくシンとした静けさが広がっているではないか。
「あら、いつもはたくさんの動物たちがいるのに……」
今日に限ってどうしてと、エディットが不思議そうに泉の周囲を見回している。だが、その時、泉を囲む深緑の繁みの中で、唸るような声が聞こえた。
ハッとして首を向けた瞬間、躍りかかってきたその姿に、咄嗟にアレッシェラはエディットを庇って手を広げる。
「危ない!」




