2-1 恋愛に問題はつきもの
アレッシェラを乗せた馬車は、山麓から続く深い森の中を走っていた。軽快な音が響く馬車内で身に纏っているのは、貴族の令嬢が旅で使うようなドレスだ。品のいいラベンダー色のドレスで、年頃の貴族の娘にしか見えない。
あのあと、ガレオの部下がレナールを見つけたものの、このまま旅を続けて、父親に迷惑をかけるのは嫌だと戻るのを拒んだので、アレッシェラのほうが領地に帰ったレナールに会いに行くことにしたのだ。レナールを狙っている闇魔法の使い手に大聖女とは気づかれない姿で。
馬車の窓から外を見回せば、走っているのは昼間でも魔物が出そうなほどの鬱蒼とした森だ。
このグラフォーレ辺境伯爵領は、アレッシェラがふだん住むソ・レイジェラ山から遠く離れていることもあり、このあたりでは魔物の出没が頻繁だと聞く。
今の時代魔皇と呼ばれる統率する存在はいないため、魔族の結束力はそれほど高くはないが、魔物が一体でも現れれば、人に害をなしてくる。
「ソ・レイジェラから派遣した神官が、この地にも加護を伝えているはずだが、山から離れているのでかなり力が弱まっているようだな……」
外を覗きながら感覚を研ぎ澄ませば、森の中には剣呑な雰囲気をもったものたちがいる。狼や熊――ではない。なにか禍々しい気配を感じて、外出着を纏ったアレッシェラは、ぼそりと呟いた。
「グラフォーレ領は、かなり西の谷に近いですから。おそらく魔族もよく出没するのでしょう」
「西の谷か……」
過去に魔皇が住んでいたといわれる地域だ。そのせいか、この大陸でも西の谷に近い場所ほど、魔物の出没が盛んになっている。
「その割には、今まであまりソ・レイジェラに嘆願のようなものはなかったな。話したグラフォーレ辺境伯は、この地の役目にふさわしい実力の持ち主だと見える」
そう窓の外の森を眺めながら話すと、目の前に座っていたルイサは、少し不安そうな表情になった。
「ですが、私は心配ですわ」
「うん?」
頬に手をあてながら呟く彼女に、軽く首を傾げる。
「いくら闇魔法を使っている者を捕らえるためだとはいえ……。命を吸い取る術をかけられている者の婚約者として訪れるなんて……。もし、アレッシェラ様になにかがあったら」
「なに。いくら闇魔法を使う者だとはいえ、私にかかればたいした敵ではない」
いつも真面目な侍女を安心させるように微笑む。
「ただ、術をかけている者が誰かわからないため、そういうことにして相手の様子を見ようと思うのだ」
(――それに、今までの中で、一番可能性のありそうな人物だ)
正直、夢に出てくる運命の相手かどうかはわからないが、これまで求婚に来た者たちとは、初対面の感覚が全然違った。
とりあえず、もう一度会って、確かめてみるだけの価値はあるだろう。
そう心の中で頷くと、ルイサは聞いたアレッシェラの言葉に、ホッとしたような表情を見せた。
「そうですわね……! それに、アレッシェラ様には、神々がついておられますし。私、ジャミマス神のお姿を最近見かけないので、変に心配してしまって……」
(あいつ、逃げたな!)
思わず心の中で叫んでしまう。きっと、フロールの伝言を黙っていたことがばれたので、まずいと思って、姿を見せないのだろう。
(あやつ……もし現れたら、伝え忘れていた内容について、もっとつっこんでやろうと思っていたのに……!)
そうすれば、レナールがその相手かどうかが早くにわかるはずだ。それなのに、こういう時のジャミマス神の危機察知能力は本当に早い。
とはいえ、神々の気まぐれは今に始まったことではないので、毎日のように顔を見せることもあれば、呼び出さない限り長期間出てこないことも珍しくはない。
(しかし、今回は最初からしらばっくれていたことを考えると、おそらく心当たりがあるのだろうな)
ふん、とアレッシェラは腕を組んだ。長い連珠を巻いた髪が、後ろで馬車の背もたれにあたる。
「どうせちょっと分が悪いと思って、姿を現さないだけだ」
いざとなれば、天から引きずり出してやると顔をしかめながら呟くと、同時に、馬車はカクンと道を曲がった。
どうやら話している間に森を抜け、人里へ入ったらしい。
そのまましばらく馬車は道を走り続け、やがて村を越えた先にある街へ辿り着くと、奥にある立派な屋敷の前で車輪を止めた。
「ようこそおいでくださいました!」
馬車が門から現れて、すぐに屋敷の外まで出迎えに来たのは、グラフォーレ辺境伯爵のガレオだ。
停まった馬車の横まで来て、降りるアレッシェラに笑顔で頭を下げている。
「こんな遠い地までありがとうございます! お疲れではございませんか?」
「いや、むしろ久々の馬車旅で楽しかった」
アレッシェラが令嬢らしいドレスで降りながらそう微笑むと、相手も安心したのだろう。すぐに一緒に出迎えにやってきていた者たちを指し示す。
「ご紹介いたします。私の妻のエディットと、長男のモーリスです」
「初めまして、しばらくお世話になります。今回レナール様の婚約者となりましたアレシナです」
「アレシナ?」
こそっと深緑の侍女の服を纏ったルイサが囁く。
『偽名だ。術をかけた者が近くにいるのなら、正体がばれるわけにはいかないだろう。グラフォーレ辺境伯爵にも協力を頼んで、家族にも帝国貴族の令嬢ということにしてもらっている』
心話で返す。その間にも、目の前で頭を下げていた二人の顔は、パッと輝いた。
「では、本当にレナールとの縁談を受けてくださったのですね!」
「なんと……! 父から話を聞いた時は驚きましたが、こんなにも美しい女性が、道中でレナールを見初めてくださるとは……! 兄として、心から感謝いたします」
二人とも初対面だから必死で抑えているが、顔中が輝き、本音ではその場で踊りだしそうな雰囲気だ。
よほど、レナールのことが心配だったのだろう、心から歓迎してくれている。
(――しかし)
くるりとあたりを見回しても、肝心のレナールの姿は見えない。
「あの、レナール様は……」
控えめに尋ねると、ガレオが少し慌てている。
「それが……出迎えるように言っておいたのですが……。帰ってから連日どこかに出かけておりまして」
「なるほど」
(逃げる気だな!)
どうやら婚約については、ガレオから聞いていたとおりの人物らしい。
(まあ、自分のせいで人が死ぬと聞けば、乗り気になれないのは当然だろうが……)
無礼な男と、こちらが断りやすくする口実を作るつもりなのかもしれない。それを察したのだろう。
「あの、すぐに帰ってまいりますので……!」
母親のエディットがうろたえたように口を開く。
「そうです。弟が出かける先は大体わかっておりますので、すでに追跡隊を向かわせております!」
兄を含め家族のほうが必死だ。それになぜか、ひどく家出慣れしているような気配がする。
(それだけ何度も家出をしそうになったのか、それともされそうで、家族がふだんからレナールのことを見張っているのか)
どちらにせよ、これは本人とお近づきになるのが、なかなか大変そうだ。
そう思った時、不意に奥のほうから声がした。
「あら、その娘が帰れば、レナール様は、きっとすぐに戻ってこられると思いますわ」
誰だろう。アレッシェラが顔を向ければ、いつの間に現れたのか、家族の後ろからは、胸の大きさを見せつけるように引き締まった深紅のドレスを纏った女性が、こちらを挑発的に眺めているではないか。
「そんな魅惑的ではない娘――たとえあの予言がなかったとしても、レナール様は願い下げに決まっておりますもの」
「ほう……」
挑むような女性の眼差しに、アレッシェラの目がスッと細くなった。それに女性は傲慢とも思える表情で、アレッシェラを見下すように睨みつけた。




