1-2 次なる者も浮気者
突然空中から響いた声に、アレッシェラは空を振り仰ぐ。
「結婚相手に人間の男なんてやめておけ。面白くもなんともないぞ」
「うるさい。また来たのか、お節介が」
いつの間にやってきたのか。視線を上げると、青い空を背にして、アレッシェラより頭二つ分上のところに、凜々しい男の姿が浮かび上がっているではないか。
青い空に輝く髪は、燃えるような朱金色。出たばかりの太陽が、眩しく空を染めて昇っていく煌めきさながらの髪を翻した男が、琥珀の散った青い瞳で、空中からアレッシェラを眺めている。その顔は、明らかに面白そうだ。
「ソ・レイジェラの大聖女に人間の男などふさわしくないだろう。番がほしいのなら、いくらでも神々から選ぶといい」
じろりとアレッシェラが見つめれば、男は楽しそうに空中から身を乗り出してくる。
「希望するのなら、俺が伴侶に名乗りを上げてやるぞ? どうだ、申し分ない相手だと思わんか?」
「ジャミマス神、それは、貴男の交友関係を振り返ってから言ったほうがいいだろう。ダリオ殿下の浮気などかわいいぐらいの女性を相手にしながら、さらにその一人になれとは。本気にすると思ったのか?」
「まあ、お前ならばそう言うだろうとは思ったが……。だが、なんでいきなり伴侶探しなんだ? ソ・レイジェラの大聖女が伴侶を探していると聞いて、各国がざわついているぞ?」
ソ・レイジェラ神殿の最高位である大聖女は、誕生する前に、天界によってどの魂がなるのか決められるといわれ、代々生まれてすぐに神託で見いだされる。その魂は、生まれてくるまでに天界や精霊界など隣り合う次元の世界を修行のために回り、あらゆる神の声と力を伝えられるようになる存在だ。それだけに、神々に最も近いその大聖女が結婚したいと言い出し、伴侶となる相手を探していると聞き、各国が、色めき立たないはずがない。
興味深そうなジャミマス神に、アレッシェラはふっと笑って答えた。
「ああ――先日神託があったのだ。私の運命の伴侶が間もなく現れるだろうと」
「運命の伴侶!?」
驚いたのは、後ろから神殿で飼っている大きな鳥に乗って、追いかけてきたルイサだ。確かに大聖女の結婚は禁じられてはいないが、長年仕えてきたアレッシェラからそんな話を聞いたのは初めてだ。
優しげな緑の目を大きく開けて問い返すルイサに、アレッシェラは二十歳ぐらいにしか見えない美貌で柔らかく笑った。
「ああ、実は私には、定められた運命の相手がいるそうなんだ。幼い頃からよく夢に見る相手がいるので、神に以前尋ねたらそう教えてくれた。ただ、その相手が私と同時期に誕生するのには、なにか問題があったそうで、転生するのを待つようにと言われていたのだが……。その相手がどうやら二十年前に生を受けていたらしく、そろそろ巡り会える時期なはずだと、先日女神フロールから神託があった」
「二十年前って……! アレッシェラ様は、今百八十歳ですよね。それだけ待ち続けられたのに、さらに二十年もそれを伝え忘れておられたんですか!?」
「女神フロールは、細かいことには、こだわらない性格だからなあ」
思わず苦笑をする。とはいえ――。
「フロールによると、生まれる前に、いつも私の近くにいる神に伝言を頼んだはずだということなのだが……」
ちらりと側に浮かぶ神を見上げた。
「あ――……」
ぽりと体裁が悪いように ジャミマス神が頬を掻いている。
「誰だろうな、伝え忘れたのは」
「忘れたのか? それとも意図的か?」
「お前、それを訊く時点で俺だと断定しているだろう!?」
「身に覚えは?」
「せめて形だけでも否定しろ!」
焦りながらも、どうしても認めたくはないらしい。それに、アレッシェラは髪を括っている連珠に手を伸ばしながら詰め寄った。
「いい機会だ。今度会ったら、その相手が誰か貴男に訊こうと思っていたのだ。素直に口を割るか、それとも――」
気迫をこめて見つめると、相手の背中がうっとのけぞる。
「知らん! 第一俺だと決まったわけではないだろう!?」
「あ、待て! 逃げるな!」
そう叫ぶ間にも、ジャミマス神の姿は、さらに上空へと飛び上がる。
「その姿のどこがなにも知らないように見えるというのだ!?」
さっと髪の連珠を手に取った。巻いているのを引き抜くと、手で神力をこめてしならせる。
鞭にように円を描いて、その先端が、ジャミマス神へと向かった。
「お前、本気でやる気か!?」
当たりかけたそれをかわしながら、ジャミマス神が叫ぶ。
「それで、貴男が話すのならば!」
そう言いながら、持った連珠にさらに神力を込めようとする。その時だった。
「きゃあああ!」
突然の音に振り返れば、突然大きな黒い塊が下から飛んできて、鳥に乗ったルイサを囲もうとしているではないか。
「ルイサ!」
咄嗟に振り返り、手にした連珠を振る方向を変えた。パンと連珠が当たるのと同時に、黒かった塊は、バラバラの蝙蝠の姿になって、あたりに飛び散る。
「大丈夫か!?」
「ありがとうございます、アレッシェラ様」
「しかし、なぜこんな昼間に蝙蝠が……」
話す間にも、また何匹もの蝙蝠が襲いかかってきて、黒い翼を翻している。
「くっ――」
ルイサに近寄ろうとするのを連珠で弾き飛ばす。一撃、二撃と襲いかかる蝙蝠たちに、容赦なく当て霧散させていく。
だが、あまりにも数が多い。
反対側から迫ってきた蝙蝠たちに、ルイサの乗っていた鷲が反撃するため、大きく羽ばたいた。
「わっ」
ばさりと蝙蝠を払うために迫ってきた巨大な翼をよける術がない。もし翼を攻撃すれば、大きく反り返った鳥の背中からルイサが落ちてしまうだろう。
「くっ――」
だから、咄嗟に、アレッシェラは連珠を広げて羽の衝撃を受け止めた。とはいえ、連珠に込めた神力を鳥を傷つけない程度にしたので、アレッシェラを覆うほどの大きさがある翼の勢いを抑えきることができない。
「しまった!」
(連珠に最小限の力しかこめなかったから――)
翼の衝撃でアレッシェラの体のバランスが崩れた。そのまま、高い空から地上へと落ちていく。
「アレッシェラ様!?」
驚いたルイサとジャミマスの顔が遠くに見えるが、あまりにも一瞬のことだったので、体のバランスを立て直すことができない。
「くっ――」
背中が下だった体の向きを斜めに変えて、少しでも衝撃を和らげる方法を探した。そのおかげで、下にある大木の伸びている枝が目に入る。
「あそこならば――」
枝を掴んで、地上へと下り立てるはずだ。だから、節くれた枝に手を伸ばそうとしたのに、その瞬間、また黒い蝙蝠が横からアレッシェラの顔めがけて飛んでくるではないか。
「危ない!」
どこからか叫ぶ声と同時に、黒みがかった銀色の髪の人影が、自分の側へと駆け寄ってくる。咄嗟に呪文の詠唱が聞こえた。
「――え?」
一瞬なにかを感じた。
かろうじて手が枝に触れる。掴むと折れてしまう太さだったので、速度の勢いを殺しただけで乾いた樹皮を離すと、その落ちていく体がふわりと浮かび、二本の腕に受け止められる。
(この感じは――……)
ひゅんと、側を黒い蝙蝠が通っていく。それを目の端に見ながらも、包まれた腕には、なぜかひどく懐かしい感じがした。
「大丈夫?」
その瞬間、抱き寄せてかばった相手の視線が、アレッシェラの瞳を捉える。
瞬間的に、不思議な感覚がアレッシェラの中を走り抜けた。
なんだろう、名状しがたい感覚だ。懐かしいような、泣きたくなるほどなにかがこみ上げてくるような――名前のつけようもないその感情に一瞬瞳を奪われる。すると、受け止めた美しい顔立ちの青年もなにかを感じたのか、青紫の瞳で同じようにアレッシェラを見つめたまま、言葉を途切れさせている。
しばらく黙って見つめ合い、ふと相手の口が動いた。
「君……どこかで出会ったことがある……?」
その言葉に相手も同じ感覚に囚われていたのだとわかる。だが、次の瞬間、相手は自分が言ったことに気がついたのだろう。ハッとした顔をすると、一度頭を横に振った。
「いや、そんなはずはないな。俺は、ここには初めて来たし。すまない、巻き込んで。とにかく、ここは危ないからすぐに逃げて!」
そう言ってアレッシェラを柔らかな草が生えた地面に下ろすと、受け止めてくれた相手は、また急いで走り始める。
「待って――」
咄嗟に呼び止めようとしたが、すぐに相手は森の中へと入っていく。
誰なのか。なぜあんな感覚に囚われたのか――。
それに相手が使ったのは、落下の衝撃を弱める初級魔法なはずなのに、なぜか違う感覚に襲われた。
どうしても、このまま別れてはいけないような気がするのに、走っていく相手は、まったく足を緩めない。
そのまま森の奥へと駆け込み、木立の中に、背中が見えなくなってしまった。
「どこに……」
行ったのか――。見回すアレッシェラの後ろで、突然声が響く。
「レナール!」
聞こえた声に振り返れば、一人の男性が郊外の道を、遠くから走ってくるではないか。
「すみません、この辺に黒っぽい銀髪の青年はいませんでしたか?」
「それならば、今私といた青年だと思うが……。彼の知り合いか?」
尋ねると、おそらく四十代ぐらいの相手は、アレッシェラの一般聖職者とは違う身なりに気がついたらしい。おずおずと答えてくる。
「はい、私は彼――レナールの父親ザディッド王国グラフォーレ辺境伯爵のガレオと申します。もしかしてですが、聖山ソ・レイジェラのお方ですか?」
(レナール――)
その名前を心で繰り返してから、頷く。
「ああ、私はソ・レイジェラの大聖女アレッシェラだ」
「おお、あなた様が――」
名乗った途端、相手の目が輝いた。
そして、突然地面に膝と両手をつく。
「どうか、レナールを伴侶にしてはいただけないでしょうか!?」
「は――!?」
あまりにも突然の話に、アレッシェラは見動くことも忘れて、その場に固まってしまった。




