1-1 まさかの隠し子疑惑
「すまない、君を不幸にした」
目の前では、両手を鎖に繋がれた男が涙を流している。
白い靄の中で、ジャランと鳴る音は、両手と足に繋がれた鎖同士が触れ合う音だ。
「君のことが好きすぎて……! どうしても、諦めることができなかった……」
目の前の男の顔が、涙に濡れているのはわかるのに、目鼻立ちはどうしてもアレッシェラからは、はっきりとは見えない。
「待って、どうしてそんなことを言う!?」
必死に金の髪を振り乱して、アレッシェラは呼びかけた。しかし、男からその言葉への答えはない。
「君を好きになってはいけなかったのに――」
「待って!」
どうして呼び止めても聞いてはもらえないのか。
留めようとする声もむなしく、相手の姿は、周囲にいる者たちによって無理やり土の上を歩かされていく。
「ごめん――」
再度、白い靄の中で、ジャラッと鳴った鎖の音が生々しい。
「違う、それは――」
叫んで遠ざかる姿を止めようとしても、足はなぜか思うように動かない。引き離されていく男に少しでも近づきたいのに、相手の姿は白い靄の奥で、さらに多くの者たちに周りを取り囲まれていくではないか。
(待って、まだ!)
アレッシェラが必死で手を伸ばした先で、相手の姿は、周りを囲んだ者たちの唱える呪文によって、すさまじい銀色のうねりに包まれる。
まるで炎のようだ。うねりながら男の体を取り込み、体だけではなく、魂の根源まで焼き尽くすように紫銀の火柱となって男の輪郭を消滅させていく。
「――!」
咄嗟に、口を開いて必死に相手の名前を叫んだ。けれども、間に合わない。
(勘違いだ! 私はあなたが思っているよりも、ずっと――)
ずっと、ずっと好きだったのに――。
口から言葉にするのも間に合わず、燃えさかる火柱にあらん限りの力で手を伸ばしたところで、はっとアレッシェラの意識は、目覚めた。
「……夢か……」
瞼を開けた先には、大聖女の住まう部屋の石の天井が、穏やかな昼の光に照らされて白く広がっている。いつもどおりの澄んだ清浄な石だ。
瞼を二三度瞬くと、アレッシェラはそこに向かって伸ばしていた自分の白い手のひらを握りこんだ。
「……これで、何度目だろう……」
握った手を、パタンとうたた寝していた青いソファに落とし、窓の外に広がる空へと目をやる。幼い頃から繰り返し見てきた夢だ。今では、何度見たのかすら思い出せない。
「いったい、あれは誰なんだ――」
記憶を探っても、夢の中で出てきた相手は、どうしてもわからない。
金色の髪を垂らしながら、はあとソファに寝そべった姿勢でため息をついた時、部屋の白い扉が外から激しく叩かれた。
「失礼いたします! 大聖女アレッシェラ様」
側近のルイサの声だ。いつもは物腰の柔らかい彼女が、今日はひどく慌てた声を出している。
「なんだ、騒々しい――」
急いで扉を開けて入ってきたルイサに、紅紫色の瞳で軽く微笑んだ。
「そんなに慌てなくても、私は、今日はどこにも抜け出してはいないぞ」
身を起こしながら、軽口を叩く。アレッシェラが上半身を起こすのと同時に、腰まである長い金色の髪がさらりと流れた。後ろの一部を大聖女だけに許された連珠で巻いてはいるものの、幸い頭の下にはなってはいなかったので、乱れずにはすんだようだ。うたた寝をしていたことがばれずにすむかと思いながら微笑むと、傍目には二十歳ぐらいのアレッシェラより、少し年上に見えるルイサの顔色は真っ青になっていた。
「ルイサ?」
不審に思い尋ねると、彼女は両手を握りしめながら報告する。
「今、帝国の神官から知らせがありまして――。アレッシェラ様の婚約者候補であるダリオ殿下に隠し子の疑惑があるそうなのです!」
「なに!?」
長年仕えてくれているルイサが震えながらもたらした突然の知らせに、赤紫色の目を大きく見張る。
「ダリオ殿下といえば、先日皇帝陛下が私に、直々に縁談を申し込んできた皇子ではないか。それなのに隠し子とは、どういうことだ!?」
「詳しくはわかりません。ただ、縁談相手が女性関係の多いダリオ殿下ということで、念のため神殿で身辺調査をさせていたのです。その中で、ダリオ殿下が以前交際していたシモンヌという女性が、街の医者を密かに訪ねていましたことがわかり、神殿で詳しく調査をさせましたら、どうもそれらしいと……」
「あの皇子……!」
脳裏に思い出したダリオ殿下の甘い容貌に、思わず唇を噛み締めてしまう。女性の目を引くオレンジブラウンの髪に、魅力的な青い瞳の持ち主で、整った唇から紡がれる言葉は、女心をくすぐりそうだった。
初対面の時の様子を思い出しながら部屋を飛び出ると、ルイサを引き連れて水晶のように澄んだ白い廊下を歩き出す。
「私と婚約できるのなら、すべての女性と別れる。過去を清算すると言っていたが、清算しては、大問題ではないか!」
「いかがいたしましょう?」
「とりあえず、ダリオ殿下は私の婚約者候補から除外だ! そのシモンヌという女性の居場所はわかっているのか!?」
「どうやら故郷に戻ったあと、すぐに身を隠したみたいです」
「では、至急シモンヌの故郷に神官をやって捜し、身の安全を図らせるように! それで肝心のダリオ殿下は!?」
「それが……昨日から、行方がしれないそうで……」
「あの皇子……」
額に青筋が浮かんでくる。
「大聖女への不敬を隠すため、自分の子供の命が帝国から狙われるかもしれないという時に、まさかのんきにうろついているとは……!」
神殿の白い柱が並ぶ部屋に入り、すぐに集まった神官たちに下知を飛ばす。
「すぐに帝国の皇帝陛下に連絡をして、婚約の断りと、シモンヌという女性に手出しをさせないように申し入れをしろ!」
「はいっ!」
天界の神々に繋がるソ・レイジェラの大聖女アレッシェラの伝えた言葉に、神官たちが深く頷いている。その姿を確かめて、アレッシェラも首を縦に振った。
「頼む。その間に、私はダリオ殿下を捜してくる」
信頼している彼らに任せて神殿の階に近づくと、遙かな高みにあるソ・レイジェラ山から、とんと空中へ飛び下りる。
「あ、お待ちください、アレッシェラ様」
驚いたルイサが、慌てて呼びかけた。おそらく、一緒に来るつもりなのだろう。
とはいえ、アレッシェラと行こうにも、このソ・レイジェラの神殿は、地上とは離れた山の上にある。そこの最高位である大聖女は、誕生する前に、天界によって数ある世界から大聖女になる魂が決められると言われ、代々生まれてすぐに神託で選ばれる神の声と力を伝える存在だ。それ故、多くの神力で空を飛ぶ術も使えるが、大聖女のアレッシェラとは違い、側近のルイサには、自分で飛ぶような力はない。
急いで身を翻して奥に行ったのは、神殿で飼っている大きな鷲の背に乗るためだろう。
鳥舎まで行けば、すぐにあとを追ってくるだろうと思い、アレッシェラは先にダリオ殿下の行方を捜し始めることにした。
上空の冷えた空を帝国の近くまで飛び、そこから様々な場所へと神力を広げてみる。
「いない……?」
知っている者ならば、だいたいこの術で気配を探れる。
それなのに、今日はまるでなにかの術か魔法で姿を消したかのように、まったく気配が感じられないではないか。
「ダリオ殿下――どこに行った」
普段よく足を運ぶという社交場や劇場、よく女と通ったのだろうと察せられるほど知っていた有名なカフェなども捜したが、ダリオ殿下らしき姿は見つからない。
「まさか……私を恐れて、どこかへ身を隠したのか……?」
帝国の皇帝陛下直々に、諸国の崇敬を集める大聖女へ縁談を申し込んだ皇子が、ほかの女性との間に子供を作っていた――。当然、大スキャンダルだ。
皇帝陛下に知られれば、母子の命はもちろんのこと、ダリオ殿下にだって処罰はあるだろう。
逃げたくなる気持ちはわからないでもないが、それでは困る。
生まれてくる前とはいえ、子供に対する責任があるのだ。ましてや、その命を宿している母親に対してはどうするつもりなのか。
「普通ならば、シモンヌという女性だって、幸せに暮らしたかっただろうに……」
空を飛びながら、下にいる多くの親子連れに目を向ける。
(きっと、あんなふうに将来すごすことを夢見ていたはずだ――)
捜しながら、ふと、庭で遊んでいる親子に目を留めた。
都の外れにある庭で、母親が抱いているのは、まだ幼い赤子だ。その近くでは、緑の芝生であひるを追いかけている幼い女の子がおり、側にいる男性と一緒に、その子たちを柔らかな笑みで見守っている。
家族ですごす時間の和やかな笑みは、今が幸せなことの証だろう。
その温かな様子を見つめ、ふとアレッシェラは、寂しい思いに囚われた。
「……私が、あんなふうにすごした最後は、いつだっただろうか……」
ソ・レイジェラの大聖女――。人々を導く存在でも、この世界に生まれた時には、ほかの者たちと同じように家族がいたのを思い出す。
地上の緑に包まれた領地で、小さな手を伸ばして両親の手を握り、そっと愛おしそうに抱き上げてくれたのが、とても嬉しかった。
父と母が大好きで、同じように愛してもらえて――。
「と、言っても軽く百年以上昔なことなのは、間違いないが……」
小さく息をついた。
今となっては、もう生まれたあの屋敷に、父も母も生きてはいない。幼い頃にアレッシェラがゆりかごを覗き込んで、指を掴んであやした妹も、とうに冷たい石の下で眠ってしまっている。
そこを訪れても、今触れることができるのは、石に刻まれた墓碑銘だけだ。
「――だから、せめて夢の中の相手に出会うことができたら、またあんなふうにすごせるのではないかと思ったのだが……」
ふと、夢に出てくる顔もはっきりとわからない相手を思い出した。
幼い頃から繰り返し見た夢。大聖女ではなく、ただのアレッシェラの頃から、好きだと言ってくれたのは、今ではもうあの夢の人ぐらいだ。
以前、女神フロールに夢の人のことを尋ねた時の言葉を思い出す。
『大聖女アレッシェラ。あなたには、運命の相手がいるのです。その記憶を少しだけ覚えているのでしょう』
『運命の相手?』
『ええ、同じ時に誕生するのには、いささか問題があったので、今しばし生まれるのを待っていてくださいね』
華やかに笑いながら告げられた。その相手が、やっとそろそろ巡り会える時期なはずだという――。
(だから、ダリオ殿下が夢に出てきた相手なのかどうか、見極めようと思っていたのだが……)
どうも違うような気がする。
「あーあ。あの夢の人はどこにいるのか……」
(会えれば、なにがあったのかは知らないが、誤解だったと伝えたいのに……)
頬杖をついて、空中に座り込む。アレッシェラだけを、ただ好きすぎて、どうしようもなかったと言っていた相手。だけど、そもそもどこで会ったのかもわからない。
大聖女として生まれる前に、魂が隣接する精霊界などを転移していた時に会ったのだろうか。
元々、アレッシェラの魂は、別の世界で生まれたものだったそうだ。ヨーロッパや地中海という地名のある世界で、母子ともに死んでいたところへ通りがかったこの世界の神が、まだ体が温かかった赤子を哀れに思い、魂を連れ帰って、朝空に輝く雲を固めて作った体に転生させたというのが前世らしいので、おそらく身内もいなかったのだろう。
「とはいえ――」
空で座ったまま手を上げ、長い金色の髪を、思わずぐしゃっと掻き回してしまう。
「これで、婚約者除外は、十三人目か……。どうして、こう問題のない相手が来ないんだ……!」
次から次へと縁談の申し込みは来るのに、碌なのがいない。
苦虫を噛み潰したような顔をしていると、アレッシェラの頭上から笑うような声が響いた。
「話は聞いたぞ、結婚なんぞやめておけ」
人ではありえない場所からの声だ。それに、アレッシェラは迷惑そうに空を振り仰いだ。




