4-3 悠久の孤独
突然、誰もいないはずのベランダから音がしたので、部屋にいたレナールがびっくりしている。
視線を急いで窓にやると、開けたままだったカーテンから、アレッシェラがベランダの手すりに立っている姿に気がついて、慌てて駆け寄ってきた。
「危ない! なんでそんなところに……!」
どうやら作戦は成功したみたいだ。下手な方法では、部屋には入れてもらえないと思ったので、手すりに立っていたのだが、このままではアレッシェラが落ちかねないと思ったのに違いない。
急いで窓を開けて、レナールがこちらへ手を伸ばしてくる。
「なにかあったらどうするんですか!? ここは三階ですよ!?」
「レナール様と話がしたかったので」
にっこりと笑いながら言うと、一瞬レナールの目が、月の光の中に立つアレッシェラの姿に留まった。
アレッシェラの金色の髪が月光を弾き、柔らかく夜の風に流れている。
白い光を受けながらまたたいた赤紫の瞳に、レナールの目が、まるで吸い寄せられたようにアレッシェラの顔に見入っている。
「ここではなんだから、とりあえず、部屋に入れてくれるか?」
柔らかく微笑みながら尋ねると、動きを止めていたレナールの顔がハッとした。そして、辛そうに下を向く。
一瞬目を隠したが、すぐにアレッシェラに手を伸ばすと、細い体をそっと支えてくれる。
「まったく……帰るように勧めたでしょう?」
アレッシェラが、自分では下りる気がないと感じたのか、危険から遠ざけようと、ふわりと両手で抱えてくれる。
その手から、ほのかに体温が伝わってきた。
今は手袋を嵌めていないので、レナールにもアレッシェラの体温が感じられたのだろう、一瞬目を大きく見開いて、表情が変わる。
そのまま両腕に抱えて、静かにベランダの床に下ろしてくれた。
そして、室内に促すと、再びベランダには出ないようにすぐに窓の鍵を閉めてから、困った顔で見つめてくる。その瞳に、アレッシェラは静かに笑いかけた。
「そうだが、まだ肝心なことを話してはいなかったからな」
「こんな危ない真似をしてはダメです。訪ねるのなら、朝にドアからという方法があるでしょう?」
どうやら、口うるささが戻ってきたみたいだ。
とはいえ、話しながら、アレッシェラをそのままドアへと案内するつもりだったのだろう。すぐに歩きだそうとしたレナールの背中へ声をかける。
「でも、それだとまた逃げてしまうだろう?」
そう微笑んで返すと、相手の顔が振り返って面食らったようになった。そして、溜め息をついている。
どうやら、そのつもりだったらしい。
黒が混じった銀髪をくしゃりと掻き上げ、閉めた窓辺から動かないアレッシェラを弱ったように見つめている。
「だいだいどうしてそんなに俺と話をしたいんですか? 父がなんと言って婚約を承諾させたのかは知りませんが、俺の話を知った今ならば、君だって本心では嬉しくない縁談のはずでしょう?」
「そんなことはない。なにしろレナール様は、私の運命の相手かもしれないのだから」
より深く知りたいのは当然のことだと話せば、レナールの顔が、虚を突かれたようになっている。次いで、その手が強く握りしめられた。
見つめる前で、レナールの顔が苦しげに歪んでいく。
「俺が……運命の、相手……?」
絞り出す声はかすかに震えているようだ。
その言葉に強く頷いた。
「うむ、まだ確定ではないがな。神々から言われた私の運命の相手だという可能性は高いと思っている」
その言葉に、レナールの目が大きく歪んだ。
「そんなはずは、ない……です! 俺は自分の家族や親戚すべてを不幸にする人間だ! それなのに、神が、俺を君の運命の相手になんて、定めるはずがない!」
「そうだろうか。私から見れば、顔よし、身持ちよし、素行も家出歴以外は特に問題がない。超優良な相手な気がするが」
「君は、本当は、俺のことについて、きちんと聞かされてはいないのでしょう? 俺は――俺と縁が繋がった人の命を縮めてしまう存在です。だから、本当は、俺は誰とも繋がってはいけなくて……!」
「だったら、なぜここにいる?」
苦しそうな告白に問うと、レナールは一瞬目を見開いた。
「え……?」
「誰とも繋がってはいけない。家出までした。縁談もすべて断っている。そこまでの覚悟を決めながらも、勘当してもらったあとは、別館ではあるがこの屋敷に住み続け、さらに母親の趣味の庭仕事や、今日は兄の仕事まで手伝っている。レナール様の言動には、かなり矛盾があると思うが」
「それは……」
ぐっと深く眉が寄せられた。
「私は――レナール様は、本当は独りでいたいのではないと思う。だから、家族を守れるようにしながらも、ここに住み続け、完全な形で永久に別れることはためらっている。そうではないのか?」
レナールの唇が、強く噛みしめられる。
「本心を話してほしい。本当は、私は、レナール様を助けるために来たのだから」
「俺を助ける……?」
「ああ。神から告げられた運命の相手かどうかは置いておいても、私はレナール様が気になっている。心を惹かれていると言ってもいい。それに、初めて会った時に、落下する私を助けてもくれたしな。だから、私もレナール様のことを助けたいと思うのは、おかしなことではないだろう?」
そう話すと、レナールが深く俯いた。
「不思議な人だな、君は……」
「うむ、似たようなことはよく言われるぞ?」
不思議なまでの力だとか、不思議な存在と言われるのは日常茶飯事だ。だから、アレッシェラがそう勝ち気な笑みで返すと、レナールの瞳からは、ぽろっと涙がこぼれていく。
「……本当は、独りは好きではないのです……」
「ああ」
「家族が――大好きなんです。だけど、俺のせいでみんなが死ぬかもしれなくて……。俺が死ぬか、もしくは、この家を出て行って二度とみんなに会わないのがいいのはわかっています。でも、本心ではそれをしたくはなくて……!」
もう少し。独りで生きられるまで――いや、大人になるまで。せめて、あと一年――いや、もう少しだけ。そんなふうに何度も心の中で、あと少しだけと言い訳をしながら、家族と一緒にいたかったと、血を吐くような声で、告白をしている。
その姿を、ふわりとアレッシェラは抱き締めた。
「わかるよ。私も永久の孤独は、とても恐ろしい――」
優しく泣いているレナールを抱き締める。驚いて腕の中で瞬いている姿に告げた。
「私も――とうに親はこの世にはない。兄も妹もすでに他界し、私を幼い頃慈しんでくれた者たちはみんな死んだ。だから、それを恐れるレナール様の気持ちはとてもよくわかる」
どうして、ただ独りで生きたい者がいるだろう。
悠久の孤独――それを背負わされたレナールの辛さはよくわかる。
そっと優しく抱き締めると、腕の中のレナールの瞼が、ぐっと歪むように伏せられた。その隙間から、我慢しきれなかった涙が落ちる。
「安心してほしい。私があなたをこの状況から救う――だから」
「そんなこと……どうやって……」
そうレナールが絞り出すように尋ねた時だった。
突然、空間にキンと張り詰めたような音が響き渡る。
「やっと出てきたな」
どうやら、これ以上時間をかけるつもりはないらしい。私が会いに来たのに気がついたか、と呟きながらアレッシェラが顔を上げると、レナールは怪訝そうに突然広がった黒い闇を見回している。
月が隠れただけではない。室内にも濃い闇が煙のように立ちこめ、明らかにおかしい。
「どうやら早くに有言実行できそうだ。私があなたを守る」
だから、安心してほしいと闇の一際暗いほうに向かって立つと、レナールの顔が驚いたようになった。
「ア、アレシナ嬢……?」




