4-2 とりあえず挑戦!
屋敷の灯りがたくさんついている本館を抜けて、隣にある別館へと歩いていく。
勘当してもらってから、レナールが自分で荷物を動かし、ここの空いた部屋を自室にしてしまったらしい。
それまでは来客の多い時にたまに使う程度だったそうだが、レナールの部屋ができたので、今は廊下に埃一つなく綺麗に掃除がされている。窓から差す月明かりの中を、ルイサに追いかけられながら、アレッシェラは廊下を歩いた。
「お、お待ちください、アレシナ様。夜に殿方の部屋を訪問されるなど、本気ですか!?」
「もちろんだ。もしうまくいけば、運命が私たちに味方をしたことになるし、不首尾ならば別の方法を考える」
「ですが……いくら、レナール様が縁談を拒んでいるとはいっても、相手は殿方ですよ!?」
どんなことになるか――と、汗を掻きながら追いかけてくる。
「なったらなったで、それこそ間違いなく神が定めていた私の相手ということだ」
「お待ちください。そんな乱暴な見定め方!」
私は、アレッシェラ様が不本意な目に遭われるのは嫌ですと、ふだんとは違う侍女が纏うようなドレスを翻しながら、慌ててルイサが後ろをついてくる。
ルイサの心配性はいつものことだが、さすがに今回のことは、あまり時間をかけるわけにはいかない。
それにと、廊下の奥に見えた光景に、アレッシェラはひそっと声を潜めた。
「その心配には、どうやら先客がいたみたいだぞ」
「え?」
廊下にあった彫像の陰でアレッシェラが足を止めると、後ろからルイサが肩の向こうを覗き込む。
見れば、月明かりに照らされた人気のない廊下には一組の男女が立ち、まるで密会をするように体を寄せ合っているではないか。
「なっ……!」
叫びそうなルイサの口に、慌てて指をあてた。
出しかけた声を、ルイサは咄嗟に呑み込む。
廊下に立っているのは、レナールと昼間も会ったテディス公爵夫人ではないか。魅惑的な体を、レナールの胸にすり寄せるようにしながら、その頬へと手を伸ばしている。
「ねえ――私では、レナール様のお相手には、そんなに役不足ですこと?」
月の光の中で、露出した肩から輝く肌が見事だ。金色の光の中で、真珠色に輝き、胸までの曲線を鮮やかに夜の中に描き出している。
「少し年が離れていても、私は気にしませんわ。妻は年上のほうがうまくいくと言いますし、私愛した方には尽くすタイプですの」
そっと触れる指先の動きは、その魅惑的なボディラインと相まってとても官能的だ。
「まあ! まあ――まあ」
一度は閉じた口を、声を潜めながらパクパクとさせているルイサの仕草も、無理のないものだろう。
正直、これで落ちない男はいないのではないかと思えるほど、彼女の笑みは蠱惑的だ。
そっと指先が、レナールの頬をなぞっていく。
あまり気持ちのいい光景ではない。
そのまま唇に辿り着き、そのラインを辿るかと思われたが、それよりも早くにその白い指先は横から伸びてきた手によって握り込まれた。
「公爵夫人、申し訳ありませんが――」
レナールの手が、静かにその指を、自分の顔から離していく。
「俺は誰とも結婚する気はありません。あなたを不幸にはしたくないのです」
「あら?」
とはいえ、夫人にとってこの言葉でかわされるのは、予想の範囲だったのだろう。テディス公爵夫人は、百戦錬磨の微笑みを浮かべると、もう片手を首へと回していく。
「では、もっとオシャレな関係を楽しむのはどうかしら?」
「オシャレ?」
さすがに、この言葉はレナールにとっては予想外だったようだ。公爵夫人の片手を握ったまま、真意を問うように見つめている。
その瞳に視線を合わせ、公爵夫人は挑発的に笑った。
「そう――いわゆる一夜の夢ですわ。今はただ、情熱的にお互いに楽しみたい。それだけではいかがかしら?」
「夫人、それは……」
「もちろん、一夜が二夜になっても三夜になっても私は歓迎ですけれども。ですが、これならば結婚するわけではないのですし、レナール様がお気にされていることもご心配なく楽しめますでしょう?」
くるっと首に回した腕は、まるで蛇のようだ。ゆっくりと自分に引き寄せ、その唇に近づこうとしている。
「まあ、まあ、まあ!」
後ろでは、ルイサが卒倒寸前だ。
だが、見ている前で、レナールはふいっと顔を背けた。
「そんな不誠実なことはできません。第一、それが縁となり、あなたの命が危なくならないと誰が保証ができるというのですか」
「ほう――あの、胸の谷間に靡かないとは……」
私の運命の相手候補は、なかなかしっかりとした身持ちだな、とアレッシェラは、思わず呟いてしまう。もやっとしていたが、少しホッとした。
だが、逆にルイサは心配になったのだろう。
「安心しましたが……あの、逆にあの方が運命のお相手で、アレッシェラ様は大丈夫でしょうか?」
女性に興味がないのでは――と、今度は別の心配が起こったらしい。
「とりあえず、今のところは、こちらの心配の解消だけで十分だ」
そう答えて見つめていると、テディス公爵夫人は引き寄せる腕から逃げられて焦ったのだろう。
「私はそんな話は気にしませんわ! 私がレナール様を気に入ったのですもの!」
「申し訳ありません。お言葉は嬉しいのですが、俺には応えることができないのです」
そう言うと、そのまま身を離し、近くにあったドアの中へと入っていく。
「レナール様!」
パタンと扉が閉まり、やがてがちゃりと鍵をかける音が響いた。
しばらくテディス公爵夫人は、部屋の前でドンドンと扉を叩いていたが、やがて応答がないことに諦めたのだろう。
扉から離れていく姿を見送り、アレッシェラは彫像の陰から動きだした。
「よし、どうやら一人きりになったようだな」
まさかあの魅惑的な谷間にさえ、まったく関心を示さないとは――。嬉しいが、同時に心配にもなる。
「さて、私の夜這いには反応をしてくれるかな。徹底的に頑固だが」
「アレッシェラ様、夜這いだなんてそんな言い方……。第一、どうやって訪ねるのですか」
たぶん、扉を開けられるつもりはありませんよと青くなっている。
「そうだな、私もそう思う」
頷き、近くにある別の部屋のドアを探してノブを回すと、幸い二つ隣は空き部屋で、鍵がかけられてはいないようだった。だから、そのまま部屋に入り、窓からベランダへと出る。
「それならば、こうするしかないだろう。幸い夜這いの作法にもかなっている」
そう言うや否や、ベランダから身を乗り出し、とんと隣のベランダへと飛び移る。
「きゃあ! ア、アレッシェラ様……!」
驚きすぎて、咄嗟に叫んでしまったルイサに軽く目配せをする。
「先に部屋に戻っていてくれ。私は、隣のレナール様の部屋にこのまま行くから」
後ろでは、ルイサが真っ青になって止めようとしているが、かまわずに、さらに隣のベランダへと飛び移る。そして、真っ暗な部屋の前へと辿り着いた。
ベランダの手すりに乗ったまま、窺ってみれば、中では、レナールが扉の前で立ち尽くしているではないか。その顔は、ひどく沈鬱だ。先ほどテディス公爵夫人によって紡がれていた、なまめかしい雰囲気はどこにもない。
その姿を確認し、窓の横からアレッシェラはコンコンとガラスを叩いた。
「誰だ!?」




