3-8 予想外の事態
どうして、グラフォーレ領に、ダリオ殿下がいるのか。
ダリオ殿下は、付き合っていた女性が身ごもっているという疑いが出るのと同時に、行方をくらましたはずだ。
今も皇帝と帝国にある神殿が日夜捜しているというのに、その行方は掴めてはいなかった。
関所の近くでそれらしい人物の目撃があったので、帝国を出た可能性があるというのが、ここに来るまでにあった最新の知らせだが、それがなぜ今グラフォーレ領にきているのか。
ごくりと唾を飲み込んだ。その前で、ダリオ殿下はアレッシェラを見つめると、突然地面に両手をついた。
「すまない! 俺は女性関係で、君に申し開きのできないことをした!」
一番に告げたのは、謝罪の言葉だ。深々と頭を下げて地面に土下座をしている姿からは、以前の色男ぶりは窺えない。
「だから、どうか、俺との婚約の話はなかったことにしてくれ!」
額を地面につけながら叫ぶ声に、隣に座っていた女性も、庭に膝をついて慌てて頭を下げている。
「シモンヌ、お前はおなかに障るから」
「いえ、私も謝らなければならないことですので」
どうやら、報告にあったことは間違ってはいなかったらしい。
ダリオ殿下も、シモンヌのことをどこかで知って、そのあとを追いかけたようだ。とはいえ、この二人はどこまで今の事態がわかっているのか。
(帝国中から命を狙われかねないことになったというのに――)
しばらく考え、スッと眼差しを細くした。そして、威圧を与えるように、二人の姿を眺める。
「ほう――ダリオ殿下の女癖が悪いというのは、最初から知っていた事実だが。今、私に頭を下げるとは、どうやら聞いていた報告は本当らしいな」
立った姿勢のまま、腕を組んで、目の前にいる二人を見下ろす。その紅紫色の眼差しは、初めてダリオ殿下と会った時と同じく大聖女としてのものだ。微かな風に、薄い金色の髪をさらりと流しながら見下ろすと、目の前に座ったダリオ殿下は、明らかにびくっと体を強張らせた。
「たしか私との婚約話が出た時に、今までの女性関係はすべて清算する。これからは決して浮気はしないと誓っていたと思うのだが――どうやら現状は違うことになっているようだな」
そう半月ほど前の縁談が出た時に、ダリオ殿下が婚約の申し込みと同時に神殿で誓っていた言葉を口にすると、ふだんは世の女性に甘い言葉ばかりを囁いているだろう唇が、一瞬息が詰まったように音を途切れさせた。
「あ……、それについては……」
一瞬伏せたダリオ殿下の目が、窺うようにアレッシェラに向けられる。
困惑するような視線に、敢えて厳しい眼差しを向けた。
「まさか、このソ・レイジェラ山の大聖女アレッシェラを堂々と謀ったのか?」
どうやら今の様子だと、子供ができたことに責任を取るつもりはあるみたいだ。とはいえ、アレッシェラに誓ったことを反故にして、帝国とソ・レイジェラに恥を掻かせたことをどれだけ重く受け止めているのか――。
一歩間違えば、大聖女への不敬罪で、その女性共々帝国に罰せられる内容だ。
だから覚悟を測るために酷薄にも見える表情で薄く微笑むと、ダリオ殿下の頭は、また地面へと深く伏せられた。
「嘘を言ったつもりはなかったんだ! 実際、君に会う前の女性関係はすべて清算するつもりだった。ただ、その別れ話の時に、シモンヌのお腹に俺の子供がいることを聞いて……!」
「ほう、それで今までの言葉のすべてを翻して、私と別れたいと」
世間一般の感覚で言えば、明らかにとんでもない話だ。この縁談を申し込んだ帝国の皇帝陛下と、ソ・レイジェラの大聖女、どちらの面子も完全に潰すものに違いない。
場合によっては、皇族からの追放。いやソ・レイジェラの大聖女の怒りを買ったとなれば、皇帝と大聖女への二重の不敬罪に問われて、そのまま罪人として扱われても文句の言えないものだろう。
それゆえに、アレッシェラが怒りさえも感じさせるような迫力を瞳にこめて見つめると、ダリオ殿下の顔色は完全に青くなった。
「申し訳ない! もちろん、謝罪してすむことではないのはわかっている! だが、お腹の子にはなにも罪はないんだ! 俺は、帝国と神殿両方から罰を受けてもいい! だが、どうかシモンヌのお腹にいる子供だけは!」
許して、どうかこの世に生まれさせてほしいと頭を下げているダリオ殿下の姿からは、ふだんの浮ついた様子は少しも感じられない。
その側で、貴族令嬢にしてはひどく質素な衣装を纏ったシモンヌが、身を起こした。
「いえ、すべて私が悪いのです! ダリオ殿下にとっては、あまたの女性の一人だと知っていたのに、少しでもお側にいたくて、夜も無理に引き留めてしまいました……! お願いです、悪いのは勝手にお慕いした私なのです! 一生子供の父親の名前は言えなくてもかまいません! だから、どうかこのおなかの子とダリオ殿下だけは、なにとぞお許しいただけないでしょうか」
泣きながら、最後には深々と頭を下げている。
「シモンヌ……」
腕を組みながら、アレッシェラはジッと二人の様子を眺めた。
大聖女アレッシェラに不敬を働き、怒りを買ったとなれば、信仰の厚い帝国民と皇帝は決してこの二人を許しはしないだろう。
ダリオ殿下は皇籍の剥奪と追放ぐらいですむかもしれないが、その原因となったシモンヌは、命ごと存在を消すことで、大聖女とソ・レイジェラへの詫びとされる可能性が高い。場合によっては、考えられる限りの残虐な処刑方法が採られるだろう。
とはいえ、澄んだ涙を静かに流している彼女の言葉に嘘の気配はなく、ただ、子供と愛する人の命を救いたい――その強い願いだけが感じられる。
「シモンヌ! お前に罪はない。悪いのはすべて、こうなる可能性があると知りながらも、自制をしなかった俺なのだから――」
だから、お前は絶対生きて子を育てろという二人様子を見つめ、アレッシェラは、ふうと軽く息をついた。
(どうやら、ダリオ殿下に、子供と母親の命を守るつもりはあるようだ――)
最初に会ったときは、その笑みに軽薄さすら感じた男だったが、今はしっかりと父親の覚悟が定まっている。
だから、アレッシェラは、二人の視線が逸れている間に、静かに微笑んだ。そして、地面に座る二人を見つめながら口を開く。
「確かに――通常ならば、帝国がこの大聖女に縁談を申し込んだ者に、すでにほかの女性との間に子ができていたなど、許しがたいことだ」
厳かなアレッシェラの言葉に、ダリオ殿下の背中がびくりと跳ねる。
「大聖女アレッシェラの面目を潰したとして、ソ・レイジェラ大神殿から帝国に与える加護の減少、場合によっては神々の怒りを招きかねない」
「あ……」
「とはいえ、大聖女の私にとって、新たに生まれてくる命は、どのような経緯があったとしても、祝福するべき存在。ダリオ殿下が二度と浮気をせず、その母子のために尽くすと約束をするのならば、ソ・レイジェラは帝国からの縁談そのものをなかったものとして扱おう」
その言葉に、ハッとダリオは目を見開いた。
「あ、ありがとうございます……! このご恩は決して忘れませんので」
「ふん、ならば、生涯その子供を大切にすることだ。このソ・レイジェラ山の大聖女よりも優先したのだ。もし、その子供と母親を不幸にしたりすれば、そのときは神に代わって私がお前と帝国に罰を下す。それを皇帝陛下にも伝えろ」
その言葉に、ダリオ殿下が、一瞬まばたきをし、すぐに輝くような笑顔になった。
「はい――ありがとうございます! 必ず二人を幸せにしますので!」
その言葉が、シモンヌと子供に罰を加えさせないためのアレッシェラからの贈り物だとわかったのだろう。もし、誰かがこの件で二人を罰しようとすれば、帝国に災厄が訪れる。
これでは、たとえ皇帝陛下だろうと、帝国民の誰であっても、ダリオ殿下たちに危害を加えることはできない。
「大聖女アレッシェラ様――なんとお礼を申し上げたらいいか――」
側にいたシモンヌも、また、はらはらと涙をこぼしている。けれども、今度は喜びの涙だ。静かに嬉しさをたたえながら、アレッシェラに感謝の瞳を向けている。
その顔に優しく微笑んだ。
「もう泣くな。母親は笑っていたほうが、おなかの子供によい」
「はいっ……!」
返事の間も、涙をまたこぼしながら、嬉しげにアレッシェラを見上げる。その顔に頷いた。
そして、ダリオ殿下に視線を戻す。
「だが、よくここに私が来ていることに気がついたな」
「あ……それは、偶然なのですが……。身を隠したシモンヌを追いかけて、こちらに来ておりましたら、先ほど博物館に入られるお姿をお見かけしまして……。それでなんとか、こっそりお話ができないかと思い、急いで、あとを追いかけてきたのです」
「なるほど」
それならば、彼らがなぜここにいたのかがわかった。見ればダリオ殿下は、捜索から逃れる護符のペンダントを身につけている。道理で見つからなかったはずだと納得をした。おそらく博物館で感じた視線は、ここに連れてきた後ろの男のものだったのだろう。
「なかなかお一人にはなられなかったので、少々強引な方法を使わせてもらったのですが……」
「それは、先ほどの煙のことか?」
尋ねると、ダリオ殿下が頷いている。
「グラフォーレのご子息なら、火事の可能性があれば、そちらの対応に行かれるだろうと思いまして……」
完全に行き当たりばったりだ。だが、確かにここでなければ、もう一度会うのは難しかっただろう。なにしろ、ダリオ殿下は、帝国と神殿から逃げ回っている身、迂闊に辺境伯の館を訪ねてくるわけにはいかない。
だから、納得して首をすくめた。
「ああ、それだけではなく、呼び出し方も大胆だったな――大聖女に剣を使うとは」
後ろに立っていた男を、ちらりと見て笑いながら呟く。その言葉にダリオが、慌てて膝立ちになった。
「お前! あれだけ呼び出しは丁重にと言ったのに!」
「え、こういう意味の丁重ではなかったんですか!?」
頼まれた男は、着ている服を見ると、どうやら下町に住んでいる者のようだ。ダリオ殿下は、侍従も連れていなかったので、おそらく小金で雇っていたのだろう。
「その様子だと、滞在しているのはあまり治安のいいところではないみたいだな。私からもソ・レイジェラへ先ほどの言葉を伝えておくから、母子のために、もっと治安のいいところへ移ってやれ」
ソ・レイジェラに伝えれば、瞬く間に各国の神殿へと伝わる。もう誰もダリオ殿下たちに危害を加えることはできないだろう。
「ありがとうございます、大聖女様……」
「シモンヌ……」
はらはらと涙を流すシモンヌの肩を抱くダリオ殿下の顔は、すっかり一人前の男になっている。
(子供の存在が、ダリオ殿下を成長させたのだな……)
今の姿なら、きっと子供と妻を命がけで守る立派な父親となるだろう。
なにが人を変えるかはわからない。
かけがえのない家族の絆――それを見た思いがして、アレッシェラの心に温かいものが満ちた。
「ならば、行け。最早、これ以上の謝罪は無用だ」
そっけなく言い放つと、ダリオ殿下は再度地面に額がつく勢いで頭を下げている。そして、何度もお礼を述べると、皇族とは思えない振る舞いを見せたのを取り繕う様子もなく、シモンヌに手を差しのべて下がっていく。
その姿を見送り、アレッシェラも今来た道を戻った。
火事の騒ぎはもうだいぶ収まり、庭にいた来館者たちも大半が帰ってしまったようだ。
(まあ、煙自体は、レナール様と引き離すための工作だったのだから)
被害もほぼないだろう。
だから、先ほどよりは随分と静かになった博物館の側を歩いていく。
途中で、わらや生木や葉が灰になったものが遠くに見えた。おそらくあれで、煙を大量に出して、火事と誤解をさせたのだろう。
(人が少なくなった割に、まだどこかで騒がしい声がするな?)
火事の心配もなくなり、来館者もほとんどが帰ったというのに――。なにか慌てているような声がする。
(まだなにかあるのだろうか?)
だとしたら、レナールは、今どこにいるのか。捜すべきか、元のところで待つべきかと悩んだところで、突然走ってくる音がした。
そして、ぐいっと腕を掴まれる。
「どこに行っていたのですか!? すごく捜したんですよ!?」
「えっ」
驚いて見つめれば、それはまさに今脳裏に描いていたレナールではないか。
焦った顔で汗を掻きながら、青紫の目は、必死で腕を掴んだアレッシェラの顔を見つめていた。




