3-7 第二の恋敵?
叫び声に目をやれば、博物館の奥のほうから白い煙が漂ってくる。
「え、煙!?」
「どこが燃えているの!?」
声とともに流れてきた煙に、来館者の多くが慌てたように白くなっていく廊下の奥を見つめている。
「火事!?」
突然の煙に、モーリスも慌てたように叫ぶ。
「火事ですって!?」
「火事だと?」
レナールとアレッシェラの声が重なった。
(――おかしい。それほど激しい火の気配は感じられないが……)
感覚を研ぎ澄ましても、燃え狂う火の気配は感じられない。単なるボヤか。それにしては、先ほどまであった視線が、いつの間にか消えているが――。そうアレッシェラが思う間にも、モーリスが急いで走り出す。
「俺は、煙の出所を捜して、火を消してくる! レナール、お前は、来館者のほうを頼む!」
「わかりました!」
レナールが素早く頷いた。その間に、モーリスが口と鼻を腕で押さえながら走っていく。兄の姿が煙の元へと向かう一方で、レナールは、一階にいた人たちに声を張り上げた。
「今すぐ、庭に出てください。煙が出ているので、念のために!」
(ひょっとして、これも敵の仕業か?)
誰かは知らないが、先ほどは感じた視線が、いつの間にかいなくなっている。
(陽動かどうかはわからないが――)
余程、レナールとアレッシェラのデートを邪魔したいのだろう。
とりあえず、敵の動きを見るかと周囲の様子を眺めながら思っていると、突然横から白い手を掴まれた。
「あなたも、急いで逃げてください。ここも火が来ないかわかりません!」
驚いて見つめると、レナールが必死な顔で、手袋に包まれた手で、ぎゅっとアレッシェラの手を握って走り出す。
「レナール様」
初めてだ。レナールが、自分からアレッシェラの手を握ってくれたのは。
「煙だけでも有害なものがあります! すぐに外に出ないと」
皆さんも――と言いながら、煙の中で、アレッシェラがはぐれないように手を掴んでくれる。
手袋をはめているから、体温が伝わってくることはない。それでも、心が温かくなった。
目を上げて、前を走るレナールの背中を見つめる。思っていたよりも広い。
ずっと――ソ・レイジェラで人々を守る大聖女となってから、こんなふうにアレッシェラの心配をしてくれた人はいなかった。
崇拝する大聖女としてもちろん大切にしてもらってはいるが、こんなふうに普通の一人の女性として、腕を掴んでくれる者なんて――。
なんだろう、ずっと昔に忘れていた、ただの少女だった頃の感覚が戻ってくるようだ。
「大丈夫です! すぐそこから外に出られますから! 皆さんも、煙を吸わないように頭を低くして出口に向かってください」
後ろからは、白い煙がもうもうと迫ってくる。
廊下に充満しているのは、かなりな量だ。それでも、その中で自分の手をしっかりと引いてくれるレナールの黒革に包まれた手が嬉しい。
(この人が、私の運命の相手だったらいいな……)
なんとなくそう思った。頑固者で、一筋縄ではいかないのに、大聖女とは知らないアレッシェラであっても、出会った時から大切にしてくれる人――。ずっと拒んでいるのだって、アレッシェラを守りたいからだ。
そう思ったから、アレッシェラも掴まれている手の指を伸ばして、レナールの広い手を自ら握った。革の感触でも、繋いだ手が嬉しい。
幸い、出口はそう遠くはなかったので、まもなく庭の明るい光の中に出た。振り返って眺めてみたが、やはり博物館のどこにも炎は見えない。
「大丈夫ですか?」
建物から離れたところで、やっと立ち止まり、レナールはようやく自分から手を握っていたことに気がついたようだ。少し決まりが悪い顔で、繋いでいた手に視線を落としてから、慌てて離している。
「し、失礼しました」
「いや、はぐれなかったので感謝をする。おかげで、煙も吸ってはいない」
「そうですか、よかった――」
アレッシェラが笑顔で答えるのに、レナールにも一瞬笑みがこぼれた。そして、コホンと決まりが悪そうに咳払いをしている。
「では、俺は職員を集めて対応を相談してきます。兄のこともわかるでしょうし。少しだけ、ここでお待ちいただけますでしょうか」
「ああ」
「ちょっと、レナール様。怖かったのに、私とは一緒にいてくださらないの!?」
甘えた声をあげたのは、後ろから一緒に外に出てきたテディス公爵夫人だ。しなを作るような声に、レナールの目がちらりと後ろに向けられた。
「申し訳ありません。これから俺は煙の原因を探ってきますので、もし馬車を待たせておられましたら、今日はお帰りになったほうが安全かと思います」
そう言うと、頭を下げて職員たちのほうへと歩いていく。
「もうっ!」
叫びながら、テディス公爵夫人が両手で赤いドレスを握りしめた。
「レナール様と二人きりになれないのなら、こんなところに用はないわ!」
そのまま、ふんと背中を翻すと、遠くに見える馬車の停車場へと歩いていく。
「さて――」
残されたアレッシェラが周囲を見渡せば、出てきた来館者たちは、みんな戸惑っているようだ。
「なにがあったのかしら?」
「さあ――。煙だったから、ひょっとして、厨房などで火の不始末があったのだろうか」
ざわざわと声がする。突然のことに、みんな戸惑っているのだろう。
周囲に気を巡らしながら、アレッシェラはただ立っている風を装った。
(さあ、どう出てくる? 私は一人になったぞ)
もしこれが敵の仕業ならば、今が邪魔者を消す機会と襲ってくるはずだ。先ほど石に塗られていた毒といい、この煙といい、誰かがアレッシェラとレナールのデートを邪魔しているのは間違いない。
(それならば、今がチャンスのはず――)
そう思ってその場に立っていると、人混みの中から突然背中に固いものが押し当てられた。
「お静かに。どうか、騒がずにご同行いただけますでしょうか」
「ほう、まさかここまで古典的な手でくるとは――」
もう少しひねりのきいた方法にするかと期待していたが。後ろにいるのは、声からして男のようで、背中に当てているのはおそらく剣の柄だろう。
(特に怖くはないが、相手の目的を知りたいな)
こちらを攫うつもりなのか、それともほかの場所で殺そうと狙っているのか――。
「わかった」
そう短く返せば、相手が催促するようにアレッシェラの背中を柄で押す。歩かないと、これを抜くという脅しなのだろう。
どこに向かわせようとしているのか。
庭の端を歩くと、時々短く「曲がれ」とか「左だ」と指示をしてくる。
周囲から人の気配がなくなっていく。みんな前庭に集まっているから、そこを離れた別館への道には誰もいないのだろう。
人気のなくなった庭を歩き、緑の葉を広げるホオノキが並んだ小道を抜けた先で、男は急に足を止めた。
「止まれ」
その言葉に前を見ると、小道の先にあるひっそりと枝に覆われた場所に椅子があるではないか。
(ほう、女性か)
見えた座っている姿に、瞬きをする。隣には背中を向けた男性がいるようだ。
「連れてきたぞ」
その声に、女性の視線がこちらを向き、側にいた男性も振り返る。男の海のように青い瞳がアレッシェラを見つめた。
「アレッシェラ様――」
記憶にある顔だ。覚えのある姿に咄嗟に目を見開く。
「ダリオ殿下――」
婚約者候補の自分ではなく、ほかの女性をはらませて行方をくらました縁談相手がなぜここにいるのか。突然の出現に、アレッシェラは瞬くことも忘れて二人の姿を見つめた。




