【4】不本意な説
地獄聚楽第にて 豊臣秀吉と明智光秀
「そもそも私はアレについて聞きたくて、お前に会いに来たのだ。だから後で必ず話す」
「分かった」
「さっきお前は、自分が負ける要素が一つもなかったと言ったよな。ならば、どんな状況ならばお前は負ける可能性があると感じたのだ?」
「あの時、俺にとっての負けとは、お前に負けるか味方に負けるかだ。お前に負ける可能性があるとすれば、家康以外にも積極的にお前に味方するやつが現れて、お前の兵が倍以上に増えていた場合だな。
だがそれは気にする必要もなかった。信長様を討った時、お前の兵はどのくらいだった?」
「一万だ」
「そうだよな。じゃあ山崎の戦の時は?」
「八千くらいだろうな」
「なんで減ったんだ?」
「逃亡する者がいたからだ」
「その理由も分かるよな?」
「痛いところを突くな。織田家の兵だった者を、私の都合で謀叛に与する兵にしてしまった。本能寺を襲撃する直前に、私は兵に、信長様を討ち室町幕府を再興するから、逆賊の汚名を着ることはないと言った。
しかし信長様を討って何日経っても、幕府どころか、周囲の城主ですらほとんど味方に付かなかった。失望と不安で去っていく兵を、私は止めることができなかったよ」
「畿内の城主の何人かは、お前に呼応してもおかしくはなかった。そういうやつらには、俺からも一応、お願いと脅しの手紙を送っておいた。あとは、お前が信長様の首を取れなかったのも関係しているかも知れんな」
「信長様の首を取っていたとしても、日和見だったやつらは どうせ動かなかったはずだと、信長様自身に言われたよ」
「ああ そうかもな。首がなくても、お前に付くやつは付くし、付かねえやつは付かねえってことか。まあそこは、賭けみたいなもんだから仕方ねえよ。主君を殺しますから、その時は味方に付いてくれますかなんて、前もって聞けるわけがねえからな」
「だがそのせいで、私が何の根回しもせずに謀叛を起こしたのは、神経が耗弱し、自棄っぱちになっていたからだとかいう、実に不本意な説ができてしまった」
「どんな説でも、そう思い込んだ者にとっては真実なんだ」
「素直に思い込めるほうが、むしろ幸せなのかな」
「それは分からんが、お前は細川藤孝や筒井順慶に、勝手な思い込みをしていなかったか?」
「あの二人に関しては、根拠もなく、駆けつけてくれると思い込んでいたよ。なぜ疑いもしなかったのか、今でも分からない」
「お前ほど頭が切れるやつでも、思考から抜け落ちるものがあるってことだ。細川藤孝と筒井順慶、どちらかだけでもお前に付いていたら、それに同調して他のやつまでそうしていた可能性がある。そうなれば勝負は分からなかった。だが、お前に付いたやつはほぼいなかった」
「藤孝や順慶に限らず、私に呼応する者がいてくれれば、兵の逃亡も少しは抑えられただろうな」
「そうだ。だがお前の兵が、増えるどころか減っているのを知って、負ける要素がないのを悟ったんだ。なんなら、もっと待てばもっと減っていたと思うぞ。だから無闇に急がなくても良くなった。最速で京に着く必要はなかったっていうのは、そういう意味でもある」
「そこまで見破られていたのか」
「悪いな。そんでもう一つは、味方に負けるってやつだ。俺より先に、味方の誰かがお前を討ってしまったら負けだ。だが、こっちはもう説明不要かな。むしろお前のほうが詳しいんじゃねえか?」
「上杉景勝や一向一揆を警戒するあまり、即断できなかった柴田(勝家)殿と、事なかれ主義で、命令なしには動かない丹羽(長秀)殿か」
「そうだ。あの二人は、信長様の下でなら有能だっただけなんだよ」
「柴田殿の軍と対峙していた上杉景勝は、攻めて来られたから応戦していただけだ。信長様の死を好機と捉え、思い切った行動をする気配もなかった。条件次第で、さほど日数をかけずに停戦できたと思う。それか、越中に一万ほど残し即座に撤退しても良かった。だが柴田殿は、決断までに日数をかけ過ぎた」
「丹羽殿は、四国攻めの軍を、そのままお前に当てれば良かっただけなのに、わざわざ俺が戻るのを待っていた。豊富な物資を抱えてな。だから、丹羽殿と合流すれば、食い物の心配もなくなる。ますます行軍が楽になっちまったよ」
「なるほどな。お前が研ぎ澄まされていたから余計にそうなのだろうが、お前が負ける要素がないと判断するのに、十分過ぎる状況だったのだな。まるで、時代がお前を次の覇者に選んだかのようだ」
「そうだな。正直言って、俺自身もそんな風に感じていたし、周りからもそう見られると分かっていた。
だが…だからこそ逆に、大迷惑なことも一つあった」
「ああ、あれか。同情するぞ」
「お前になら分かるよな」
「よく分かる」
「あまりにも事が上手く運び過ぎたせいで、羽柴秀吉が本能寺の変の黒幕だなどと…
実に不本意な説が生まれてしまったんだ」




