【3】中国大返しの裏側
地獄聚楽第にて 豊臣秀吉と明智光秀
「お前の言う通り、山崎で戦った時の俺の詰めは甘かった。そのせいでお前を逃がしてしまった」
「やること為すこと上手くいき過ぎると、逆につまらん失敗もするのではないか」
「言われてみれば、そうかも知れんな。備中で毛利軍の撤退を見届けてから、京まで軍を返す間に、あらゆる布石も打ったからな。お前と山崎で対峙した時には、あの戦は絶対に勝つと分かっていた。兵数、装備、士気、すべてで上回っていたし、勝龍寺城は籠城には不向きだった」
「そうだな。私も、負けると分かっていた」
「まずはそれだな。お前にもほんの少しで良いから、勝機があるように思わせなきゃダメだった」
「さすがに、まったく戦いもせず逃げるわけにはいかなかったから、一応ぶつかっては見せたが、勝ち目がないのは分かりきっていた。だから早々に、城も捨て総退却を命じた」
「お前のあの判断は早かったよ。背後に一隊を回り込ませる暇もなかった。だから戦には完勝だったが、肝心のお前を捕らえることができなかった。俺も調子が良すぎたせいで、最後の最後に気が抜けていたんだろうな。
お前と手を組んだ家康の軍が、三河を発ったのも分かっていたのにな。あの時、徳川軍は形の上では織田家の同盟軍だったんだから、お前の退路を断ってくれって要請して、配下も送り込んでおけば良かった」
「もし そうされていたら、家康殿は要請に従ったように装って進軍し、最後は私と合流せざるを得なかったかな。それが、こちらには最悪の展開だった」
「もう少し待って狸の化けの皮を剥いでから、お前もろとも討ってしまえば良かったのにな。なんでそんな簡単なことにも気が回らなかったのかな」
「好事魔多しってやつかな」
「あの時だけは、そういう ありがちな現象も撥ね除けられると思っていたんだがな」
「ならばもう一人も、お前に匹敵するほどの状態だったのではないか?」
「家康のことか?」
「そうだ。一見そうは見えなかったがな。しかし家康殿にとっても、ずっと従ってきた信長様がいなくなり、天下取りに打って出る絶好の機会だったのだ」
「それも原因の一つだな。俺は雪辱、家康は執念かな」
「お前のほうが上回っていたと思うが、家康殿もそれに近いくらい、執念を燃やしていたのだろう。それがお前の完璧な動きを、ほんの少し狂わせた」
「そうだな」
「今 思い出したが、家康殿だけではなく、家臣団もやる気満々だった。信長様に暗殺されそうになったのが、余程 気に入らなかったようだ。あの軍団の気合いも合わさっていたのだろう」
「徳川軍団な。信長様さえも恐れていたし、俺も数年後の戦で手を焼いた」
「信長様襲撃の前の日の夜、堺で家康殿に会って手を組むことになったが、あの軍団も敵に回さずに済んで、本当に良かったと思ったよ。とにかく、圧が半端ではない」
「よく分かる。そういう色々な要素が重なって、山崎でお前を逃してしまったんだな」
「そして私は、お前より長生きすることになってしまった」
「なかなか面白いものも見られたとか言ってたじゃねえか。だったら別に構わねえだろ」
「ああ、そうだな。…さて、聞く順序が逆になってしまったが、毛利と講和した後、京に戻るまでの行軍はどういうものだったのだ?」
「あれは大げさに言われているが、実は行軍速度は普通だったぞ。俺が誰よりも早く京に着けたのは、毛利との講和までが早かったからだ」
「やはりそうか。後から計算してみて気づいたが、本当に急げば、あと数日早く京に着いていたよな」
「そうだ。俺が考えていたのは、最高のタイミングで京に帰還することだ。最速ではない」
「…どうしてだ?」
「早いに越したことはねえんだが、あまりに急ぎ過ぎると、都合が悪いこともあったんだ」
「急ぎ過ぎると都合が悪いとは、毛利に異変を悟られるということか?」
「いや。さっきも言ったように、俺が撤退し始める頃には毛利も異変に気づいていた。でも追撃はして来ないと確信していた。だからそれは関係ない。
むしろ問題なのは、こっちの将兵だ。まだ一部の者以外には、信長様が死んだことは伏せていたんだ。騒ぐやつがいると面倒だからな。急ぎ過ぎれば、京で何かあったと勘ぐるやつが出ただろう」
「そうだな。しかし、いつまでも隠し続けることはできないだろう。どこで本当のことを明かしたのだ?」
「姫路城でだ。つまり、あの行軍で最も難しかったのは、高松城から姫路城までなんだ。正直 俺は、一刻も早く京に着きたかったが、それを兵に感じさせないように、すげえ気を遣ったぞ。それで姫路城に着くまでは、なんとか隠し通せたと思う」
「姫路城に一日滞在したのは、将兵に信長様の死を明かすためか」
「そうだ。全軍が一堂に会するわけにはいかないから、帰ってくる将兵全員に、一日かけて順番に説明した。泣きながらな」
「お前は、必要なときに本当に泣くのがすごいと、何度も思った」
「あれは自分を騙すのがコツだ。教えてやろうか」
「やることがなさ過ぎて、死ぬほど暇なときに頼む」
「まあ 泣くのも大事だったが、やっぱり手っ取り早く人を動すには、ご褒美が一番だ。
姫路に着いてすぐ状況を整理し直してみたら、俺が負ける要素はただの一つも見つけられなかった。だからもう、姫路に戻ることはねえ。それで毛利攻めのために蓄えてあった金や物資を、ほぼすべて将兵に恩賞として先に与えたんだ。兵も道具じゃねえからな。普通は、あっちを攻めろとか今度はこっちを攻めろとか言われると、いくら上からの命令でも、やる気が下がるもんなんだ。でもあそこで恩賞をやれたおかげで、もう一度 兵の士気を上げることができた」
「金や物資を、ほぼすべて与えてしまった…。万が一、ということは考えなかったのか?」
「言っただろ。何がベストかなんて考えなかった。あの時は、俺がやることがベストだったんだ」
「…やはり、アレの仕業だったのか…?」
「アレ?アレってなんだ?」
「いや…それは後にして話を続けよう」
「まあ、それは構わねえが…後でちゃんと説明しろよ」




