第9話 「こんばんは。オーガー様」ですの
食人巨鬼は人を食う。
言うまでもない常識だが、では食人巨鬼の食う「人」とは何なのか、あなたは答えられるだろうか?
まず、迷宮都市ラビリントゥムも加盟する統一王国での基準を見てみよう。
王国法では、広義の八大種族(粘体生物、新古樹族、竜鱗の裔、奈落鍛冶、緑肌矮人、食人巨鬼、吸精鬼、それに人間)が「人」とされている。これは星教団大乗派の主張に沿ったもので、大崩壊の際に混沌と戦った諸種族であり、これに異論を唱える者は多くない。粘体生物を除けば概ね形も似通っており、直感的にも納得しやすいところだ。
しかし、これに他の少数種族を加えると線引があやふやになってくる。
たとえば牛頭鬼は形こそほぼ「人」であるが、凶暴で知能が低く、言葉もほとんど通じない。仮に彼らを人として扱ったところで、彼ら自身はその意味を理解できないだろう。せいぜい、布告に向かった法務官を美味しいおやつと認識するだけだ。
他方、同じ獣頭種族でも犬頭族は知能が高い上に愛想もよく、広い地域で「人」として認められている。農村部は言うまでもなく、都市住民であっても、露店で犬頭族の行商の世話になったことの一度や二度はあるだろう。
では、翼腕鳥人や人胴馬体、有腕魚鱗、二足蟻、喋蝦蛄などはどうか。まず形からして「人」かどうかが議論の俎上に上りつつ、知性については「人」と交流が可能であり、また彼ら独自の社会と文化も持つ。かといって生活を共にできるかと言えばそれはまた別の話で、違いすぎる価値観、生活習慣を考えると決して愉快な隣人とは言い切れない。そのため、これらの種族は地域によって「人」であったりなかったりと扱いが様々だ。
では、ここで冒頭の問いに戻ろう。
食人巨鬼の食う「人」とは何か。
答えはこうなる。
――時と場所と状況による
意地悪問題のようだが、他に答えようがないのだ。
迷宮都市ラビリントゥムでも事情は同じで、基本は王国法に則りつつ、評議会が実情に合わせ、領法により「人」の範囲を調整している。
「人」の定義にこだわる理由は、ひとえに行政の都合である。
まず一番大事な税金だが、これは都市に関わる「人」から取り立てることになっている。この視点では「人」はなるべく広く適用したい。
他方、治安維持という側面もある。法律とは「人」を縛り、「人」を罰するものだ。例えば食べ物にたかる蠅まで「人」としたとしよう。巡察はぶんぶん飛び回る食い逃げ犯の対処に追われて過労死するし、食品を扱う商売人が斬首台に列をなして、処刑人も斬首斧の刃を研ぐ手が間に合わなくなってしまう。この観点からは「人」はなるべく狭く適用したい。
そして評議会にも名を連ねる食人巨鬼の事情。
彼らからすると食べられるものがたくさんあった方がよいのだから、法的な「人」の範囲はなるべく狭いほうがいい。なぜなら、「殺人」は禁止されているからだ。なんなら食人巨鬼以外はぜんぶ「人」ではないと認定したいのが本音である。
しかし、そんな本音が通るほど迷宮都市の政治はシンプルではなく、食人習慣を持つ食人巨鬼との共生に当たって、こんなところが落とし所となった。
――殺人は違法だが、食人は違法ではない
これなら、一体どの種族が「人」なのかというややこしい議論からは半歩離れられる。本質的な解決にはちっともなっていないのだが、目眩ましとしては十分だ。政治の本質とは目眩ましそのものに他ならないのだから。
そして、この規定の必然として、こんな商売が生まれる。
墓荒らし、である。
* * *
イスグングゲズィは食人巨鬼で、墓荒らしだ。
毎夜毎夜、身の丈三メートルを超える巨躯を丸めて共同墓地にこっそりと侵入し、葬られた死体を持ち帰るのが仕事だ。それを食肉業者に引き渡し、駄賃を受け取るのである。
共同墓地に眠る死者は貧民ばかりで、埋葬も粗末である。
ほとんどの場合、家族や友人が掘った浅い穴に遺体を納め、薄く土を被せるだけだ。多少手厚い場合でも、墓堀人に手間賃を払い、あまり浅くはない穴にする程度の違いしかない。(なお墓堀人を頼む理由の大半は、墓穴を掘るときに別の死体を掘り起こしてしまうのが嫌だから、というものである)
墓堀人に払う手間賃の総額を数えたならば、むしろイスグングゲズィたち墓荒らしの方が多い。墓荒らしは墓堀人から死体を埋めた場所の情報を買うのだ。彼ら自身が埋めずとも、日中ずっと共同墓地を見張っている彼らなら、その日に増えた死体の場所を知っている。
その日も、イスグングゲズィは墓堀人に小銭を渡し、新鮮な死体の場所を聞いた。墓堀人は情報を教えてはくれるが、決して案内はしてくれない。夜の共同墓地が、屍奪蟲どもの晩餐会場となっていることも知っているからだ。
屍奪蟲どもは、墓荒らしにとって一番の商売敵である。
数匹程度なら問題ない。蹴散らし、踏み潰して、獲物を横取りするだけだ。しかし、いかに怪力を誇る食人巨鬼とはいえ、大群に襲われては分が悪い。慎重に相手を見定めなければ、やつらの晩餐に自分自身を差し出す羽目にもなりかねないのだ。
そんな危険な怪物がなぜ放置されているのか、その理由がはっきり公表されたことはないが、想像はつく。共同墓地は街区から離れた郊外にあり、いくら怪物が現れても市民に被害が出る恐れがないからだ。おまけに屍奪蟲は死体が腐る前に速やかに処理をしてくれる。もし屍奪蟲が存在しなければ、墓穴をもっと深くするか、火葬を義務づけないと、腐乱死体から湧き出す瘴気でひっきりなしに疫病が引き起こされているだろう。
「虫けらに喰わせるくらいなら、俺らにくれりゃあいいのになあ」
イスグングゲズィは思わず愚痴る。
食人巨鬼にとって人肉とは嗜好品のようなものだ。食べなければ死ぬというわけではないが、酒や煙草のようなもので、たくさんあるに越したことはない。さらにいえば、品質の問題もある。腐りかけの死体など、上等とは到底言い難い。
その晩も、イスグングゲズィは慎重に歩を進めた。
墓場の冷たく湿った空気が、うなじの産毛を撫でる。
筋引き月が墓地を仄白く照らし、歪な墓標がでたらめに影を伸ばしている。影の部分は真っ暗で、そこに何が隠れていても視認するのは難しい。食人巨鬼は緑肌矮人や奈落鍛冶と違って、あまり夜目が効かない。かといって、松明やランタンを持てば屍奪蟲どものいい的になる。やつらは屍肉を食らうが、生者の肉だって好物だ。不用意に目立てば、共同墓地中からわらわらと集まってくるだろう。
(なんでこんなびくびくしながら死体を漁らなきゃいけないんだ)
身を低くし、耳を澄ませ、足音を立てないようそろりそろりと足を動かしながら、イスグングゲズィは思う。
本来の食人巨鬼は、中原を駆ける狩人であり、戦士だ。
食人を尊ぶ習性も、もともとは倒した敵の力を取り込むために始まったとされている。敵は強ければ強いほどいい。それを正々堂々、真正面から打倒してこそ、その肉には価値が生じる。食人はそういう武張った精神性の発露だったとも言える。(若い女子供の肉も好むのだが、それはそれ、これはこれだ)
その偉大なる戦士たちの末裔が、何が悲しくてこんなこそこそ死体を漁る暮らしをしているのか。これを知ったら、ご先祖様たちはどんな顔をするだろう。
(もしも俺が、大崩壊時代に生まれていたら――)
先陣を切って混沌に突撃していただろうか。あるいは、戦乱に乗じて覇を唱えていただろうか。激戦が繰り広げられる戦場の真っ只中、三国無双の誉れも高い敵方の将軍との一騎討ちだ。あちらは大剣、こちらは戦鎚。一合、二合、ぶつかり合って火花を散らす――そんな子供じみた空想に耽りながら、イスグングゲズィは墓堀人から教わった場所に向けて進む。
がさり
「ひいっ」
墓標の陰で草むらが揺れて、イスグングゲズィは思わず小さく悲鳴を上げる。勇ましい空想をしていたところだが、本当のイスグングゲズィは小心者だ。勇気があるのなら大崩壊時代と言わず、いまの時代でも遺跡荒らしなり迷宮探索者なり、危険で英雄的な仕事はいくらでもある。それらに就かず、共同墓地の墓荒らしなどしている時点でお察しだろう。
(な、なんだ? 屍奪蟲か? 一匹や二匹で現れたって恐ろしくなんかねえぞこの野郎。も、もし現れても、俺のヌ=エンドで叩き潰してやるからな)
イスグングゲズィは姿勢を低くし、草むらを睨みつけて腰帯に手挟んだ得物を握りしめる。傍目にはへっぴり腰にしか見えないのだが、本人は大真面目に戦闘態勢だ。ちなみにヌ=エンドとは、食人巨鬼神話の英雄マコマが用いた鉄槌から、名前を借りただけのただの鉄棒である。
がさり
草むらが揺れ、黒い影が這い出した。
「うわっ、うわぁぁぁああああ!」
イスグングゲズィは情けない悲鳴を上げ、自称ヌ=エンドをめちゃくちゃに振り下ろす。ぐちゃりと嫌な手応えが数度。ほとんどは地面を叩いた手応えで、手のひらがじんじん痺れてくる。
「はあ……はあ……や、やったか? ざ、ざまあみやがれ!」
無惨に掘り返された地面に、屍奪蟲の死骸が散乱している。おそらく幼生だろう。30センチほどのダンゴムシの怪物は、その原型を完全に失っていた。なお成虫でも体長1メートルに満たず、最初から大人の食人巨鬼の敵ではない。こんなに大騒ぎする方がどうかしているのだ。
がさり
「んひっ!?」
また草むらが鳴って、イスグングゲズィは再び情けない悲鳴を上げる。
ち、ちくしょう。驚かしやがって。や、やってやるやってやるやってやるやってやるぞ。俺は食人巨鬼の英雄マコマの魂を継いだ者。自称だけど。緑肌矮人の占いババアには前世は野良猫につく蚤だったとか言われたけどあんなのはインチキに決まってる誇り高き食人巨鬼の戦士は屍奪蟲如きに遅れは取らないんだ屍奪蟲の一匹や二匹……いや百匹だったらどうしよう十匹でも逃げた方がいいよなそうしようよし逃げよう。
一歩後退った片足に体重をかけたときだった。
「どなたかいらっしゃいますの?」
鈴を鳴らすようなかわいらしい声が響いて、
「まあ、こんばんは。オーガー様。今夜は月がとってもきれいですわね」
月明かりの下。
ひらひらのドレスを身にまとった、ドリルを彷彿とさせる見事な巻き髪の少女が、ブリキのバケツを片手にあどけなく微笑んでいた。




