第10話 お友だちを弔いにまいりしたの
「こ、こんばんひゃ……?」
あまりにも唐突な登場に、イスグングゲズィは頓狂な声で挨拶を返してしまった。こんなところに人間の少女? もしかして不浄霊? いや、両足がきちんとあるし身体も透けていない。
「わたくし、ホウオウイン・レイカと申しますの」
呆けたイスグングゲズィを尻目に、人間の少女はバケツを置くと、スカートの裾をちょこんとつまんで膝をわずかに折り曲げた。なんと言ったか、貴族やいいとこのご令嬢がやる挨拶だ。いつだったか、幻画で見たことがあるぞ。『食人巨鬼の休日』で王女様がやっていた。そう、カーテシー。
「…………」
少女の碧い瞳が、じっとこちらを見つめている。
月光を返すその瞳は、まるで大粒の紫水晶のようだ。その瞳にじーーーっと見つめられて、だんだん居心地が悪くなってきて、しまいには冷や汗までかいてきた。どうしてこの少女は俺をずっと眺めているのだろう。あっ、もしかして。
「お、俺はイスグングゲズィだ。英雄マコマの魂を継ぎ、今代のヌ=エンドを振るう者!」
なぜか胸を張り、ヌ=エンド(自称)を掲げてしまう。
それはいつか謝肉派の寺院で見た英雄マコマの肖像と同じポーズである。
幻画を連想したことで、芝居がかった気分になっていたのかもしれない。
「まあ! イスグングゲズィ様、よろしくお願いいたしますの! マコマ様のお知り合いでいらっしゃるのね! とってもお懐かしいですわ!」
「へっ? ま、まあ知り合いっちゃ知り合いなのかな……」
わけのわからないことを言う少女だが、自分もわけのわからない名乗りをしたものだから強く言い返すわけにもいかない。マコマは千年前の英雄である。少女がマコマの知り合いのはずがなく、たぶん誰か別の食人巨鬼と取り違えているのだろう。
では、こっちはどうなんだと言えば、イスグングゲズィはもちろんマコマを知っているし(伝聞だが)、謝肉派の教えでは祖霊は子孫たちを等しく見守っているというから、マコマの方もイスグングゲズィを知っているということになる。よって、知り合いと言っても嘘ではないはずだ。うん、嘘ではない。
「それで、ええっと……お嬢ちゃんは何しにここに来たんだい?」
少し余裕を取り戻し、純粋な好奇心から少女の用件を尋ねる。共同墓地は、人間の少女でなくとも夜中に訪れるところではない。
「むう、わたくしは立派な淑女ですのよ。お嬢ちゃんなんて存じ上げませんわ」
桜色のほっぺたを、ぷくりと膨らませる。
イスグングゲズィは姪っ子を思い出して苦笑いした。これくらいの女の子は、やたらに背伸びをしたがるものだ。そうそう、『食人巨鬼の休日』も姪っ子にせがまれてわざわざ幻画館でリバイバル上映を観たんだと思い出す。
イスグングゲズィは芝居っ気たっぷりに片膝をついて、
「これは失礼しました。淑女……ホウオウイン?」
舌が回らず、奇妙な発音になってしまう。
食人巨鬼の外見は骨太な人間を拡大して額に何本かの角をつけたようなものなのだが(角の数には個人差があり、イスグングゲズィは二本角だ)、口蓋の作りに多少の差異があるし、下唇から突き出した牙もある。人間には簡単でも、食人巨鬼には難しい発音がしばしば存在するのだ。
しかし、少女――ホウウィニはちっとも気にした風もなく、にっこり微笑んで、
「わたくしは、お友だちの帰幽を弔いにまいりましたの」
「キユウ……? ああ、なるほど?」
言い回しの意味は少し考えてわかった。
弔うというのだから、ペットでも埋葬しに来たのだろう。
というか、それ以外の目的なんて考えられない場所だ。
しかし、そう言ってホウウィニが掲げたのはブリキのバケツである。中身に動物の死骸でも入っているのかと覗いてみれば、赤錆の塊が山盛り一杯に詰まっているだけだ。
「とっても大切なお友だちでしたのよ」
とバケツを持ち上げるホウウィニを見て、
(なるほど、大切にしていた玩具か何かかな?)
と一人合点する。
イスグングゲズィにも似たような思い出がある。夏至祭の露天で親に買ってもらったマコマの木彫人形だ。細かい経緯は忘れたが、近所の悪ガキと口喧嘩になって、「英雄マコマに火なんか効かない!」と焚き火に放り込み、半分灰にしてしまったのだ。そのときは、畑の端にマコマの下半身を泣きながら埋めたものだった。
「でも、どこに埋めたらよいのかわからなくって。すっかり困っておりましたの」
ホウウィニは眉間にしわを寄せ、反対の手の園芸用スコップを見せる。
共同墓地はまともな区画整備など何もされていない。道らしい道すらなく、あちこちが掘り返されて剥き出しの土を晒し、またそうでない場所は手強い雑草がびっしりと根を張っている。これではどこに埋めたらいいものかわからないだろう。
「それで、もしイスグングゲっ……こほん。イスングングっ……こほんこほん。イスグンググンググン……」
「グング、でいいよ」
何度も舌を噛むホウウィニに、イスグングゲズィは助け舟を出す。
名前の発音に苦労するのはお互い様だ。
「ごめんなさい。ありがとうございますの。グング様は、こちらの墓所にはお詳しくいらっしゃるのかしら?」
「ま、まあ多少は……」
詳しい。墓堀人の次くらいには詳しいだろう。
しかし、イスグングゲズィは言葉を濁してしまう。
なぜ詳しいのかと尋ねられたら答えに窮してしまうからだ。
事実上黙認されているとは言え、墓荒らしは一応犯罪である。通報されたところで巡察が動くこともないだろうが、「自分はケチな犯罪者です」と自己紹介するようなもので気が引ける。
そんな心配をよそに、ホウウィニには碧い瞳を輝かせて、
「まあ! それは助かりましたわ! では、どちらを掘ればよいのか教えていただけないかしら?」
と、きた。
これから掘る予定の場所は先客が眠っているのだ。まさかそこを案内するわけにもいくまい。少し考えて、先ほど少女が出てきた草むらに踏み入る。最近掘り返したような跡はない。ここなら屍奪蟲の食べ残しとばったりご対面する心配もないだろう。
「この辺なら大丈夫だと思うよ」
そう言ってしゃがみこみ、足下の地面を素手で掘る。
食人巨鬼の強靭な爪は金属鎧や竜鱗の裔の鱗をも引き裂くのだ。雑草の根がいかにしつこく絡んでいようと問題にならない。根ごと掘り返し、バケツがすっぽり納まる穴を作ってやった。
「さあ、淑女ホウウィニ、こちらにご友人を」
気取った仕草で手のひらで穴を示す。
「ありがとうございますの! グング様はとっても親切な紳士ですのね。ラスティ店長様もきっと感謝をされているわ」
ホウウィニはスカートの裾をつまみ――つまもうとして両手が塞がっているのに気が付き、ちょこんとお辞儀をした。これといった理由があるわけではないが、気取ったカーテシーより、こちらの方がなんとなく似合っている気がした。
ホウウィニが小さな墓穴にバケツを納め、膝をついてうんしょうんしょと土をかける。これも手伝おうかと思ったが、自分がやるとひとすくいで終わってしまいそうだ。大切な友人――ラスティ店長様と言ったか。玩具にずいぶん変わった名前をつけるものだ――とのお別れを、あまりあっさり終わらせるのもしのびない。
小さな手で懸命に土を運ぶ姿をぼんやりと見守る。
うんしょうんしょと言うたびに、ドリルのような金髪がびよんびよんと揺れる。その間から、白くか細いうなじが見える。二本の指でつまんだら、あっさり折れてしまいそうな華奢な首。鳥の骨より脆そうだ。これにかじりついたら、どんな歯応えがするだろう。溢れ出る血の鉄臭さ、甘い脂の舌触り――想像して、唾液が溢れてきてしまう。
いや、待て待て。
殺人は重犯罪だ。墓荒らしなんかと違って巡察も簡単に見逃したりはしない。ホウウィニはどこからどう見てもいいところのお嬢さんだ。たぶん、夜中に屋敷を抜け出してきたとか、そんなところだろう。今頃は使用人や、ひょっとして巡察も探しているに違いない。下手に手を出せば破滅が待っている。
でも。
食肉目的の殺人が禁止されているのは、偉い連中の勝手な都合だ。そして、貴族や金持ちはこっそり新鮮な人肉を楽しんでいるとも聞く。謝肉街の代表評議員である、暴食公ウドライェドワなどが有名だ。なぜ捕まらないのかと言えば、金や権力を使って隠蔽しているだけだ。罪が隠されている限り、法など何の意味も持たない。そして、金や権力がなくとも隠す手段は存在する。
だから、
「ほ、ホウウィニ。君のおうちはどこなんだい? この辺は物騒だし、家まで送っていくよ」
言葉にしてしまう。
ここで殺すことはできない。新鮮な血の匂いを嗅ぎつけた屍奪蟲がすぐに集まってくるだろう。とても食事どころではなくなってしまう。
もし、もしもだ。
ホウウィニを家に送り届ける途中で、丁度いい場所があったなら。
人目につかず、安全に、ゆっくり食事のできる路地などを通るならば。
それは、祖霊が哀れな子孫に授けた恵みってことじゃないだろうか。
生唾を飲み込んで、新鮮な肉の返答を待つ。
心臓が高鳴って、その音で屍奪蟲が引き寄せられてしまうのではと心配になる。
柔らかく、脂の載った小さな唇が、艶めかしく蠢く。
「わたくし、おうちはございませんの」
「はぇ?」
聞こえた言葉に、思わず間抜けな声を洩らしてしまう。
おうちがないってどういうことだ? 家出したってことか? いやいや、家出した子供なら何度か見たことがあるが(イスグングゲズィ自身にも経験があった)、そういう雰囲気じゃない。もっと拗ねたような態度をしているものだ。ひょっとして、本当に家がないのか? なんで? 没落貴族とか? 夜逃げした商人一家? それにしたって夜中に共同墓地にひとりってのは――
「そ、そうなんだ。じゃあ、うちに来る?」
口が勝手に動いていた。
家に連れて帰れれば、人目の心配なんてなくなる。
慌てて詰め込む必要もない。それどころか、謝肉派の教えに沿った処理さえできるだろう。長屋の誰かに勘付かれても、お裾分けをすれば黙ってくれるはずだ。新鮮な人肉なんて高級品は、生まれてこの方一度も食べたことがないような連中ばかりだ。自分も含めて。
「まあ、本当にいいんですの?」
ホウウィニの瞳が無邪気に輝いている。
ぷちゅりと噛んだらどんな滋味が溢れ出るんだろうか。
思わず舌なめずりしそうになるのを、生唾を飲み込んで我慢する。
「も、もちろんだよ。じゃあ、早くお友だちを埋めてしまおう。手伝うよ」
返事も待たず、掘ったばかりの墓穴を埋める。
バケツの姿はほんのひと掻きで見えなくなった。
「それじゃ、行こうか――」
ホウウィニの小さな手を引こうとした、そのとき、
「待て、不審者」
闇の中から、男の声がした。




