第7話 さあ、闘争《踊》りましょう?
「鱗なしがァァァアアアッ!」
計画を乱されたスルクズィールが、激昂のままにミニガンを乱射する。
特大のミシン目が床板を走り、階段を這い上がり、傷ついた手下を穴だらけにして、黒い人間――たしか名前はセバスと言ったか――に迫る。
しかし、そこに蜂の巣となるべき目標はいない。
ダダンッ
何かを叩くような音が連続して響いた。
壁、天井、スルクズィールは咄嗟に振り返ろうとするが、重いミニガンが暴れて動作が遅れる。
「グゲぁっ」
「ごブっ」
「フぐっ」
立て続けに低い苦鳴。
ようやく振り返った頃には、3人の部下が地に這っていた。
それを踏みつけ、端然と立つのは黒い人間。
「曲芸師かよォ!」
スルクズィールも歴戦である。
すでに何が起きたか把握していた。
黒い人間は壁を蹴り、天井を跳んで、立体的な軌道で鋼鉄の暴虐から逃れていたのだ。
だが、ネタが割れても弾は当たらない。
スルクズィールの銃口よりも、黒い人間の方が速い。
酒場に穴を増やしているうちに、一人、また一人と部下が倒れていく。
最後の一人が倒されて――
「チィッ!」
舌打ちとともにミニガンを捨てる。
ヴァズラ・スルクズィールとあろう者が、火力に酔っていた。
腰の剣帯から、左右の手で二振りの山刀を引き抜く。
半透明の刀身が、無数に空いた壁の弾痕から差す月光を浴びて琥珀色に煌めく。
大崩壊をも生き延びたという老大島亀の甲羅の削り出し。奈落鍛冶の石工が鏨を叩き、緑肌矮人の祈祷師が呪詛で仕上げたこの世に二つとない逸品。スルクズィールが赤鱗党を継いだとき、ぶち殺した先代が愛用していた宝剣。
「シャッ!」
重荷を捨てたスルクズィールの巨躯が、赤錆色の砲弾と化す。
黒い人間の白い首を刈り取るべく交差。二枚の刃が黒髪をぱっと散らす。仰け反りかわしたセバスからスクラズィールの顎を跳ね上げる蹴り。腕を下げての十字受け。衝撃。重い。が、スルクズィールの剛腕には及ばない。片腕で蹴り足を払い、もう片腕は胴を狙って山刀を振り下ろす。セバスが素早く体をひねる。琥珀色の刃がテールコートの裾をかすめる。セバスは回転の勢いのまま壁を蹴り、天井を経由してカウンターに着地する。
「なるほど、多少手こずらせてくれたが――」
スルクズィールが双刃を風車の如く振り回す。
豪風が吹き荒れ、奇跡的に無事だったテーブルを微塵に切り刻む。
「――山刀なら問題なさそうだ」
双剣の鋒をセバスに向け、べろりと舌なめずりをする。
はったりではない。山刀の二刀流こそスルクズィールの本領である。愛刀に吸わせた命は数知れず。音もなく弾切れもない刀剣は、皆殺しを以って旨とする赤鱗党の仕事にはうってつけだった。
「なるほど、カリスに似ている」
アーカイブを参照したセバスが、かつてフィリピンと呼ばれた諸島の古武術の名を口にする。カリ、あるいはエスクリマとも称され、短刀あるいは短棍の二刀流の技術体系を持つ。旧人類の武術がよもや竜鱗の裔に継承されるはずもあるまい。収斂進化というものだろう。だが、たとえ似て非なるものであっても、似ているのならば応用がきく。
「あン?」
案の定、スルクズィールに言葉の意味はわからない。そもそも流派も何もない、見様見真似の我流である。しかし、黒い人間が何かに気づいた様子は察知する。警戒もする。そして――
ダンッ
巨体が跳んだ。
飛びかかったわけではない。
その場で真上に跳ねただけだ。
セバスのように壁や天井までの跳躍などそもそもできない。
純粋に、単純に、ただただ理にかなわぬ跳躍であった。
説明するまでもなく、両足が地から離れれば、宙にいる間は身動きが取れない。
致命的な隙。
当然、それを見逃すセバスではない。
カウンターを蹴ったセバスが一本の矢と化して風を切り、右拳がスルクズィールの顔面を射抜かんと迫る。
「かかりやがったァ」
その顔面がにたりと歪む。
有り得べからざるか、宙にあったはずの赤錆色の巨体が前方に打ち出され、琥珀色の剣閃がセバスの胴で交叉する。間合いを狂わされたセバスは、その直撃を受けてしまう。
「がはっ!?」
セバスの身体がカウンターまで吹き飛ばされる。
背中が叩きつけられて、まだ無事だった皿やカップが床に落ち、けたたましい音を立てて砕け散る。
「ガラガラガラガラ! 竜鱗の裔にはよォ、尻尾があるのを忘れたかァ。なァ、鱗なしよォ。いや、尻尾なしと呼び直そうかァ」
スルクズィールが勝ち誇り、丸太のように太い尻尾をこれみよがしにゆらゆらと振る。有り得べからざる空中移動の正体がこれであった。両脚を浮かせたと見せて、尻尾で床を蹴る。竜鱗の裔同士の闘争では何の役にも立たない子供じみた不意打ちだが、尻尾なしには有効だった。
セバスの態度から、スルクズィールの技を何らか既知の武術に重ねたことを察したのである。まずもって人間の武術であろう。人間が武術を学ぶとしたら、同じ人間からしかあり得ない。体型が異なる種族の武術は使えないのだから考慮の外だ。体型の似た新古樹族や吸精鬼が人間如きに武術を教えるはずもないが、やつらも尻尾なしなのだから教えていたとしても結局は同様だ。それらの武術は尻尾の存在を前提としていない。
ならば、すかさずその裏をかく。
スルクズィールは海千山千の大盗賊である。頭が回らなければこれまで生き抜いてこれたはずもなかった。もちろん、裏の裏をかかれる可能性もあった。セバスが竜鱗の裔の体術を知っていて、罠を仕掛けたと考えることだってできる。だが、スルクズィールはその可能性を見切った。そして、その賭けに勝ったのだ。強運もまた、盗賊の実力の内である。
「それにしても、呆れるほど丈夫なおべべじゃねえか」
スルクズィールは崩折れたままのセバスを冷静に観察する。
その黒い執事服には、切れ込みひとつ入っていない。腰の入っていない一撃だったとはいえ、手応えは十分だった。見た目によらず、凄まじい防刃性能があることは明らかだ。ひょっとすると、緋々色金の繊維でも織り込まれているのかもしれない。
そして、そういう貴重な品を持つものは、往々にして切り札を隠し持つ。
勝利を確信したその瞬間、伏せ札がめくられて、勝者が敗者に転落するのだ。
そういうことが、この世界ではよくある。
ならば。
気取られぬよう半歩下がって一足一刀の間合いを出る。
構えを変えるふりをして、山刀の柄を口元に寄せ、細い舌先を使って仕込んだ錠剤を一粒含み、奥歯でがりりと噛み砕く。強烈な苦み。そして強烈な高揚感。視界がはっきりし、疲労がぽんとどこかへ吹き飛んでいく。
――竜聖骸
そう呼ばれる秘薬である。
太古に斃れた飛天鱗甲の骨から作られる薬で、竜鱗の裔が服用すれば祖先の力を呼び起こせると云われている。赤鱗党の先代を殺すときにも使ったスルクズィールの切り札だ。希少ゆえに高価。強力ゆえに用量を誤れば死ぬこともある。だが、ここぞというときに出し惜しみはしなかった。その慎重と剛胆が、スルクズィールを今日まで生き残らせてきた。
大きく息を吸い込み、胸を膨らませる。
体内を巡る魔素を操り、火嚢に着火する。
生来の臓腑が分泌する液体が火嚢で沸騰、揮発し、猛烈な勢いで体積を膨張させる。
「錆びて朽ちれや!」
スルクズィールが大口を開ける。
前後2列に並ぶ牙の奥から、赤黒い気体が噴き出す。
気体は動けぬままのセバスを包み込み、猛火のごとく逆巻いた。
「ぐ……」
セバスの端正な口元が歪み、苦鳴が洩れた。
執事服が赤錆色の――否、赤錆そのものに侵食されていく。
服だけではない。
艷やかだった黒髪も、白蝋の如き滑らかな肌も、穢らわしい赤錆に覆われていく。
――赤錆の吐息
スルクズィール生得の吐息である。
竜鱗の裔は生まれながらに吐息の能力を持つが、その性質は個体によって異なる。炎、氷、酸などの系統に大別され、素人目にはまったく同じに見えることも多いが、研究者に言わせれば誰一人同じものはないらしい。人間で言う指紋のようなもので、一卵性双生児でもなければ親子兄弟であっても差異がある。汎国家刑事警察機構では犯罪捜査に役立てられないかと研究中だそうだが、これはさすがに余談がすぎるか。
スルクズィールの吐息は酸の系統。あらゆるものを腐食する錆の吐息であった。生物には効き目が悪く、闘争においては主に装備や兵器の破壊に用いられるが、スルクズィールはこれを竜聖骸と組み合わせることによって、対生物でも十分な効果を発揮できるようにしていた。
セバスに何らかの隠し玉があるとして、それを破壊しつつ、抵抗する体力も削る一石二鳥の策だった。
(なんだァ? 思った以上に効きやがる。もう死にかけてやがったのか?)
強化をしているとはいえ、赤錆の吐息がセバスにもたらしている効果はスルクズィールの予想を超えていた。気にしてもいなかったが、隣に横たわる女の死体と、腐食速度がさほど変わらないのだ。
(ちっ、竜聖骸はもったいなかったか? まあいい、王墓の宝が手に入ればお釣りがくらァ。このまま錆の塊に変えてやる)
吐息の勢いが強くなる。
厨房の奥、余波を受けた食器棚が崩れ、床に落ちた鍋がこおーんと場違いに甲高い音を立て、スルクズィールの意識が一瞬だけそちらに奪われる。
そのときだった。
「なァ!?」
セバスと女の死体の姿が消えていた。
残っているのは今にも崩れ落ちようとしている朽ちたカウンターのみ。
「セバス、大丈夫?」
幼い人間女の声。
すぐさまそちらに目を向ける。
そこには、金色の切削刃のような髪型の少女が、わずかに残った壁に赤錆た女の死体をもたれさせているところだった。それはさながら、星教団に伝わる聖女が幼子をそっと寝かしつける聖像画のようで、スルクズィールははっと息を呑んでしまった。
「……ご、ご心配は無用にございます」
傍らには、片膝をつく黒い人間。
錆にやられた喉から言葉を絞り出している。
「嘘よ、セバス。あなたに心配は必要だわ」
「……し、心配は無用に……」
「嘘よ」
凛とした少女の声。
「……はい。しかし、私がお嬢様を守らねば……私が、もっと強く……」
「いいのよ、セバス」
セバスの言葉を遮って、同じ言葉を繰り返す。
「いいのよ、セバス。あなたは十分に強いもの。それに、本当はわたくしの役目」
「しかし、お嬢様……」
「いいのよ、我が剣よ。あとはわたくしに任せて」
「お嬢――」
なおも言い募るセバスの肩に、そっと手を置いて、
――舞踏会の時間よ、救星の魔剣
それは天上から呼びかけるような荘厳さで、
セバスの身体が光りに包まれ、ぼろぼろと崩れ去る。
黒く細かな粒子と化して、渦巻き、集まり、ひとつの具体を形象する。
それは黒い大剣だった。
その身幅は少女の腰より広く、
その刀身には罅割れのような溝が走り、
その溝からは極彩色の光が溢れて穏やかに明滅し、
その柄をたおやかな指でそっと握って、鋒をスルクズィールへ静かに向けて、言った。
「さあ、闘争りましょう?」




