第5話 広がった赤
あれからしばらくした。
ラスティの店――飛竜の巣穴亭は黄色い声で満ちていた。
客の種族は多様で、人間の中でも裕福な者を筆頭に、新古樹族、奈落鍛冶、緑肌矮人、果ては巨体の食人巨鬼までもが身を縮こめて小さな椅子に尻を収めている。
「セバスさ~ん、また会いに来ちゃった♡」
「おかえりなさいませ、お嬢様。私もお嬢様に会えて幸いですよ」
「セバスく~ん、紅茶のおかわりくださ~い♡」
「かしこまりました、お嬢様。どうぞごゆっくりおくつろぎください」
「あーん、セバス様~♡ クッキーが固くて割れないの~。ぴえんだよ~」
「少々お待ちくださいませ、お嬢様。割って差し上げますね」
ひょんなことから従業員を二人抱えることになったわけだが、そのうちのひとりであるセバスという青年は今日もウェイターとしてフロアを歩き回っている。決して駆けたりはせず、なんなら優雅にさえ見えるのに、恐ろしく対応が速いものだから魔法でも見せられているような気分になってくる。
しかし、あまりの盛況にセバスだけでは接客の手が足りない。ラスティ自身も忙しく働いているのだが――
「こっちも紅茶おかわりくださ~い♡」
「はーい、ただいまー」
「ちっ、おばんはお呼びじゃねえんだよ」
「は?」
新古樹族の暴言に、ラスティのこめかみがぴくりと跳ねる。
なんだよ「おばん」って。今日日「おばん」なんて言わねえだろ。おまえこそ「おばん」じゃないのか。そもそもこっちはまだ20代だ、ギリギリだけど。客だと思って甘い顔してると思ったら怪我すんぞこの野郎。
なんて内心は飲み込んで「すみませんねえ。うちは指名とかそういうのないんでえ」と愛想笑いを浮かべながら紅茶のおかわりを注ぐ。おいこら舌打ち聞こえてんぞ露骨なんだよ不老だけが取り柄の新古樹族が。
一旦、厨房に戻って客席に背を向けて、
(どうしてこうなった……)
はああ、と若干深めのため息をつく。
いや、原因はわかりきっているのだ。
多様な種族で構成される客たちの唯一の共通点は性別である。
全員が、女なのだ。
彼女らの目当ては明白で、給仕に勤しむセバスである。
先日は文字通りバタバタして(これでも生易しすぎる表現だが)気にする余裕もなかったが、冷静に見ると背筋がぞっとするほどの美形なのだ。暗闇烏の濡羽のような漆黒の髪に、まばたきのたびに風が起きそうな長い睫毛、それに縁取られた黒曜石を思わせる瞳、半歩間違えば青褪めて見えるほどの白い肌、そして同じ人間なのかと疑いたくなる長い脚。
普通、異種族の男に胸をときめかせる女はいない。しかし、例外というのはあるものだ。飛び抜けて美しいと、種族の垣根など易々と越えてしまうらしい。おまけに下にも置かぬ過剰なまでに丁寧な接客。まるで自分が貴族の令嬢になったかのように扱ってくれるのだからたまらない。
セバスが給仕に出るようになってから、みるみる女性の常連客が増えていった。
あまりの誘引力に、じつは人間ではなく吸精鬼なのではないかとか、男夢魔と契約しているのではないかなど、そんな噂まで飛び交う始末。
なお、繁盛の要因はそれだけではない。
「ほほう、この開放感……貴族庭園の四阿を彷彿とさせますな。これだけ風通しが良ければ湿気も気にならないわけですな」
「この立地では悪臭が流れてきてもおかしくないものですが、なるほど、消臭草を植えて対策をしていると」
「鉢植えを宙吊りにするとは思いつきませんでしたな。やや、土をご覧ください。炭を混ぜて除湿と消臭の効果を高めてますな」
身体で払うと言われても、働ける店がなければ始まらない。
というわけで、半壊した店をセバスが一晩で直してしまったのだ。(なおこのときに、看板に「執事喫茶」の文字が加えられた。初めは何のことかわからなかったが、いまは理解した。いや、させられた)
材料はスラムなどから拾い集めた廃材やガラクタばかりのはずなのに、どういう手妻か元々よりもずっと立派でお洒落になってしまった。評判を聞きつけた大店の関係者や建築士などが視察に訪れるほどである。
一方、望まれない客もまだいるにはいて。
「大した繁盛じゃねえかよォ。おっと、料理に虫が――」
「GRRRrrrrrrrr……」
「天気もいいし、ちょっと愛銃の手入れでもしようかしら」
「イシシシ、今日は絶好の呪詛日和ねえ」
「――む、虫くらい気にするやつはいねえわなあ。ガラ、ガラララララ……」
嫌がらせをしようとするチンピラ竜鱗の裔が来てはいるのだが、常連になった女子たち――食人巨鬼が牙を剥いて唸り、奈落鍛冶が黒光りする銃器を磨き出し、緑肌矮人が呪い用の髑髏を撫で回したりするものだから、せっかくの意気地も刹那でへし折られる。
というか、そんなことで折れるのならば最初から来なければいいのに。
そう思うが、彼らは彼らで部外者にはわからない事情があるのだろう。主にメンツとかメンツとかメンツとか。三等市民の破落戸である彼らにとって、メンツとは最後に残ったなけなしの財産なのである。
執事セバスが八面六臂の活躍を見せる一方。
その主人たるホウオウイン・レイカ嬢と言えば――
「ラスティ店長様、こちらのお料理はどちらに運べばよかったかしら?」
「あ、レイカちゃん。それは7番テーブルね。待って、急がなくていいから。落ち着いて、深呼吸ね、ゆっくり、ゆっくり、転ばないようにね」
「そんなに心配なさらなくても大丈夫ですわ! 大船に乗ったつもりでお任せ……ああっ、あっ、あっあっあっ」
「あっあっあっ! ……あ、危ない。……ギリギリセーフ……」
「まあ、ありがとうございます! たいへん助かりましたの!」
「いいからお盆を持ったままお辞儀しないで! こぼれる! こぼれるから!」
――八分の一人前くらいの働きを見せている。
雇い主であるラスティの言うことはよく聞いて、やる気もばっちり満々なのだが、いかんせん不器用すぎる。
皿を洗わせればことごとく割り、配膳を任せればテーブルを間違えるか、先程のようにすぐこけるし、掃除をした場所は高確率でかえって汚れる。かまどの番をさせたら大鍋になみなみのスープがどういうわけだか極彩色の謎の液体に変わっているし、包丁仕事は空恐ろしくなったのでそもそも触れさせていない(当人は「刃物の扱いはお任せください!」と自信満々だったが、とても信じられるものでない)。かといって、何もさせないでいると大きな瞳に決壊寸前まで涙を溜めるので、目の届く範囲でできる配膳や掃除をさせているのだ。
とはいえ。
(ひさしぶりに仕事が楽しくなってきたなあ)
思い描いていた店とはだいぶ様子が変わっているが、客の笑顔で満ちる店というのは心が浮き立つ。八分の一人前の仕事しか出来ない割に、まかないは十人前以上食べる少女については頭が痛いが、年の離れた妹が出来たようで嬉しくもある。
……足りないぶんは、セバスの働きで余りある、という事実が心の余裕を生んでいるという点も否定はできないが。
筋引き月が砕けた兄弟姉妹の残滓を連れて中天を過ぎたあたりで、やっと客足が途絶える。
最後の客を送り出し、トイレにも客が残っていないのを確認してから、ふうと大きく息を吐き、シャッターを下ろして店じまいする。(このシャッターもセバスが作った。一体どうなってるんだ?)
「ラスティ店長様! フロアのお掃除が終わりましたわ!」
手文庫の売上を数えていたら、モップ片手に得意げな顔のお嬢様のうしろに澄まし顔の執事。手際から考えて、掃除の9割――いや、12割くらいはセバスがやっている可能性が高い。超過の2割はレイカが増やした手間の分だ。
でも。
「おつかれさま。冷晶庫にプリンがあるから食べていいわよ」
「プリン! ありがとうございますの!!」
紫水晶のような瞳をきらきらさせて、レイカが冷晶庫へと小走りに駆ける。
「わあ! とってもおっきなプリンですの!」
そして歓声。
「入店一ヶ月のお祝いね。あ、セバスさんもよかったら。ちょっと大きすぎるかもしれないけど」
ちょっとどころではない。
バケツプリンを2つ作ったのだ。
「ありがとうございます。ですが、私の分はお嬢様に」
「わあ! わたくしが頂いてよろしいんですの!?」
「ええ、もちろんです、お嬢様」
いくら主人のポンコツな姿を見ても、この執事の忠誠心は小揺るぎもしない。
端からすると、従者というか保護者にしか見えないのだが。
いや、実際執事の内心はそうなのかもしれない。
そんな関係性も、間近で見ていて心地が良い。
心地の良さに甘えて、二人を手放せないでいる。
初日の飲食代なんて、店の改装をしてもらった時点でお釣りが出るほどなのだ。
正直に話して、正式に従業員になってもらおうか……とも思うけれど、それで出ていってしまわれるのも怖いのだ。自分のずるさに軽い自己嫌悪を抱きつつ、本当に嫌なら二人とも勝手に出ていっているのでは、と都合のよい想像もしてしまう。
「プリン! おいしかったですの! ごちそうさまでしたわ!」
「はいはい、ちゃんと歯を磨いてから寝るのよ」
ちょっと考え事をしていたら、空のバケツが2つできていた。
一体あの小さな体のどこに吸い込まれているんだろう。
執事に手を引かれ、階段を上る背中を見ながらそんなことを考える。
二人とも二階の空き部屋に住み込んでいるのだ。
どこぞのお嬢様かと思えば、どうやら家無しらしい。
詳しい事情は聞いていない。
どうせややこしい事情があるのだろうし、言いたい事情とは限らない。というか、十中八九言いたくない事情だろう。余計なことを聞いて、出ていかれたら目も当てられない。
(でも、いつまでもちゃんとしないわけにはいかないよね)
売上の集計を終え、帳面を付ける。
それを金庫にしまいながら、
「よし、明日こそちゃんと話そう。それで正式な従業員になってもらう!」
声に出して自分に言い聞かせた。
そのときだった。
激しい銃声が轟いて。
シャッターに特大のミシン目のような弾痕が穿たれて。
貫通した弾丸が生まれ変わった店内をずたずたに引き裂いて。
そして、ラスティの身体もついでのように引き裂かれて。
真っ赤に濡れて、内臓をこぼしながら崩折れて。
「なん……で……」
血とともに、そんな言葉がこぼれ落ちて。
見開いた目の端から、一雫の涙が垂れて。
エプロンにぽつんと小さな染みを作って。
でもそれは、広がった赤にすぐさま塗り潰された。
虫食いのカーテンのようになったシャッターが力任せに引き剥がされる。放り捨てられた残骸が、湿気った路地に落ちて耳触りな騒音を立てた。
そして、踏み込んでくる男たち。
「最初からこうしてりゃあよかったんだよなァ。下手に慎重にやろうとすっから、すっかりめんどくせえことになっちまった。はあァ、俺様もヤキが回ったかねえ」
ガラガラガラガラ。
痰が絡んだような不快な笑い声。
男たちを率いていたのは、赤錆色の鱗に覆われた大柄な竜鱗の裔だった。




