第4話 セバス、おかわりがほしいわ
まるで自動幻画でも観ているかのようだった。
酒場の切り盛りに忙しいラスティだが、息抜きに幻画館に足を運んだことぐらいはある。
幻画のタイトルはなんと言ったか――『燃えよ竜鱗の裔』だったか、『竜鱗の裔危機一髪』だったか、あの頃は少しでも竜鱗街の文化に馴染もうとして、竜鱗の裔が出演する幻画をよく観ていた。
竜鱗の裔の美醜はよくわからないが、幻画の俳優は格好良かった。徒党を組んで襲い来る悪党どもを、主演の俳優が無手でばったばったとなぎ倒すのだ。降りかかる青竜刀を片手で払ってカウンターの肘を入れ、切り詰め散弾銃を蹴り飛ばして隣の男の顔面を潰し、殴りかかった凶器の椅子を掌底で破砕、炎の吐息をかいくぐって地を掃くような足払い、背後から掴みかかる腕を捕らえて風車のように投げ飛ばし、テーブルが食器とともに砕け、床板に大穴が空き、壁が崩れ落ち――
「ハッ!?」
我に返ったとき、眼前に広がっていたのは廃墟だった。
客席に原型を留めているものはほとんどなく、壁は風通しが随分よくなって、貧弱な柱が頼りない姿を剥き出しにしている。スイングドアは片方がどこかに失くなって、片方が半分になっている。路地から吹き込んだ風が、かろうじて壁にぶら下がっていたイルカの平版画を揺らし、がちゃんと床に落とした。
竜巻の直撃でも受けたかのような有り様。
あちこちから苦しげな呻き声。助けを乞う声も上がる。
トカゲに先祖返りしたかのような四つん這いで逃げ出す者もちらほら。
惨状の中で唯一、原型を留めている場所があって、
「セバス、喉が渇いてしまったわ。飲み物はまだかしら?」
「これは気が付かず失礼を致しました。女将、すまないが飲み物だけでも急いでくれ」
「はっ、はい!?」
ラスティは何も考えられないまま、弾かれるように厨房に入り(こちらは奇跡的に無傷だった)、ジョッキにビールをなみなみ注いで(こんなときでも泡と液体のバランスは完璧だ)、少女のテーブルにことりと置いた。
少女は碧い瞳を見開き、それをまじまじと覗いて、
「セバス、これはどうやって飲めばいいのかしら?」
「お調べいたします、お嬢様。女将、お嬢様に飲み方の作法をお教えしてくれ」
「えっ!? 作法!?」作法と言われても、「こう、ぐいぐい飲んでもらうのが一番美味しいと思いますけど……」
「ぐいぐいね。むずかしいわ。こうかしら?」
ぐびっぐびっぐびっ。
小さな喉仏が規則正しく上下に動いて、
「んぐぐ……」少女は真っ赤な顔で口をつぐんで、
「あ、あの、ぷはーって息継ぎするといいですよ」
「ぷはー」
そしてまた、ぐびっぐびっぐびっ。
「ぷはー。こちらのお飲み物、喉がすっきりしてとってもおいしいわ」
白いヒゲをつけて、少女はにっこり微笑んだ。
* * *
竜巻はまだ終わっていなかった。
第二の災害が酒場を襲っていたのだ。
「ぐびっぐびっぐびっ。ぷはー。セバス、おかわりがほしいわ」
「かしこまりました、お嬢様。女将、ビールのおかわりを」
「は、はい! ただいま!」
「ぱくっぱくっぱくっ。この煮込み料理もおいしいわ。何のお肉なのかしら?」
「女将、これは何の肉だ?」
「ええっと、肉屋で格安だった屑肉の寄せ集めです」
「クズという肉でございます」
「クズね! わたくし、このクズのお肉がとっても気に入ったわ!」
「女将、このクズの煮込みをありったけ頼む」
「は、はい! ただいま!」
食べる量が尋常ではなかった。
厨房の食材が次々に底をついていくが、少女の食べる勢いは止まらない。
好き嫌いはなく、何でもかんでもうまいうまいと喜んで食べる。
もう何人前――いや、何十人前を平らげただろうか。
片付けが間に合わず、少女のテーブルには空の皿が何枚も積み上がり、ビールジョッキやワイン用のマグが隙間を埋めている。
そのくせ、テーブルマナーは完璧なのだ。
ナイフとフォークを丁寧に使い分けながら、大口を開けてかぶりついたりするようなことはなく、子リスのように小さなお口でぱくぱく食べている。食べこぼしもしないし、食べ終えた皿は磨いたようにぴかぴかだ。
だのに、異常な速度で料理が消えていくのだから、まるでカドメシアの女狐にでも化かされたのではないかという心持ちにさえなってくる。
そして当然の帰結として、
「セバス、おかわりがほしいわ」
「かしこまりました、お嬢様。女将――」
「す、すみません。食材がぜんぶ切れてしまいまして……」
冷や汗をかきながら、精一杯申し訳なさそうな声を絞り出す。
食いっぷりは見事だし、悪党ではなさそうだが、竜鱗の裔の集団を一蹴した武力もまた本物である。機嫌を損ねればどんな目に遭わされるかわかったものではない。
「そうか。お嬢様、残念ですが、品切れになってしまったようです」
「そうなの? 残念ね。ではまた日を改めて伺いたいですわ」
「かしこまりました。この店の座標は優先順位Aのフォルダに記録いたします」
「これで忘れる心配はないわね。ありがとう、セバス」
「もったいないお言葉です。執事として当然でございます。では女将、これにて失礼する」
少女が立ち上がるのに合わせて、セバスが音もなく椅子を引く。
そしてそのまま半壊した扉を出ようとして、
「お、お勘定!」
無意識に叫んでしまって、ラスティは後悔した。
無銭飲食を試みる客が多すぎるため、勘定の済んでいない客に声掛けするのがすっかり習慣となっていたのだ。(もっとも、それで素直に支払ってくれる客は少なかったが)
呼び止めた二人が、振り返ろうとしている。
ああ、どうしよう、なんで呼び止めちゃったんだろう。勘定なんてどうでもいいじゃないか。命のほうがずっと大切だ。ああそうだお店なんか今日限りやめようまた来るなんて言ってたぞこの調子で食い尽くされたらすぐに破産だ竜鱗の裔よりもたちが悪い次の仕事はどうしようかな給仕からやりなおすか休みは取れるかなたまには幻画くらいは観たいしいま幻画館でかかっているのはなんだっけなんでもいいやほっとする感じの生きているだけでえらいそんな気持ちになれる
「女将、これで頼む」
「ひっ、すみません! お、お勘定は結構……え? いいんですか?」
「支払わなければ無銭飲食だろう。ウォークスルー決済だと思い込んでいただけだ。まさか、お嬢様が無銭飲食などという下劣な犯罪をなさるとでも?」
「いっ、いえ、そんなめっそうもない!」
雲行きがおかしくなりそうで、差し出された札束を慌てて受け取る。
だが、見たことのないデザインだ。「100000」という数字はわかるが、単位がわからない。凄まじく緻密な線で装飾や肖像が描かれているから偽札ってことはないと思うが、これでは両替商に持ち込まなければ価値がわからない。
「す、すみません。大陸共通貨でのお支払いは可能ですか? あっ、難しかったらラビリントゥムの領札でも、神殿の贖宥符でも結構なんですけど……」
「…………」
セバス青年が無言になった。いや、硬直した。
蝋人形のように固まったかと思ったら、一箇所だけ、眼球だけが激しく揺れ動いている。
「ひ……」
思わず悲鳴が洩れてしまう。
顔が整っているだけに、この異様なリアクションが怖すぎる。
「まあ、セバスがフリーズしてしまったわ。ごめんなさい、セバスは想定外に弱いの。お支払いのことだけど、大陸共通貨? も、ラビリントゥムの領札も、神殿のトークンというものも持っていないわ。日本円はもう通用しないのかしら?」
「ニホンエン?」
従者に任せきりだと思っていた少女が、意外にきちんと話しはじめたので驚いてしまった。そして、ニホンエンという通貨はやはり聞いたことがなかった。
「それなら仕方がないですわね。レストランで支払いができないときの方法を、わたくし存じてますの。わたくしだって、ちゃんとアーカイブで勉強しておりますのよ」
「はあ……」
何を言い出すつもりなんだろう。
少女の無邪気にしか見えない笑顔が逆に怖い。
「食べたぶんは、身体でお支払いしますわ!」
「はあ?」
渾身のドヤ画を決める少女に、ラスティは思いっきり間抜けな顔で聞き返してしまった。




