第3話 ごきげんよう、はじめましてトカゲ様
(な、何この人たち……)
「な、なんだこいつら……」
それは、ラスティと竜鱗の裔たちの心がひとつになった初めての瞬間だったかもしれない。あまりにも場違いな二人組に、酒場中の視線が吸い寄せられていた。それは庶民が豪奢な天吊燭台に見惚れるようなものか、あるいは光に誘われる飛蛾のようなものなのか。
「女将、ビル・オブ・フェアを頼む」
「び、びる……? そんな料理はうちには……」
「失礼。メニューブック、品書き、献立表だ。分かる単語はあるか?」
「あ、品書きならそこに……」
少女の斜め後ろに端然と佇むセバス青年。
ラスティは問われるがまま、壁の黒板に指を向ける。
用意できるメニューはその日その日の仕入れ次第で変わるので、蝋石で毎日書き換えているのだ。飲み物はビールと葡萄酒、真水の三種しかないため、そちらは木札に墨で書きつけている。
「ほう、スペシャルボードのみとは思いもよらずこだわりがあるようだ。――お嬢様、あちらが品書きにございます。お気に召すものはございますか?」
「いいえ、わからないわ、セバス。だって、ぜんぶ知らない文字ですもの」
セバスの問いかけに、少女は可憐なおとがいを左右に振る。
それに合わせて、ドリルヘアーもびよんびよんとゆっくり上下する。
(いいところのお嬢様みたいなのに、大陸公用語が読めないの?)
少女の言葉に、ラスティは違和感をおぼえる。
上流階級において、大陸公用語は実用重視の野卑な言語とされるが、それでも学ばないということはありえない。ひょっとしたらこのお嬢様は――
「わからないから、ぜんぶ注文してちょうだい。わたくし、こういうお店は初めてだから、ぜんぶ気になりますの」
「かしこまりました、お嬢様。女将、品書きものをすべて頼む」
――ものすごい世間知らずのバカなのかもしれない。いや、たぶんバカなんだ。
少女の美しい顔に浮かぶ、脳天気な(これでも精一杯好意的な表現で。実際のところ、ほとんど呆けたような)表情を見て、ラスティは確信した。これはひさびさの上客かもしれない。常連になることはないだろうが、無銭飲食上等の竜鱗の裔どもなんかよりよっぽどマシだ。ここは腕によりをかけて料理を振る舞おう。ついでに裏メニューと称して品書きにないものも追加してしまおうか。
「おい、鱗なしのガキが生意気だな。ここはてめえらみてえな劣等種族が来る街じゃねえぞ」
悪い妄想から現実に引き戻される。
竜鱗の裔の一人が、お嬢様に因縁をつけたのだ。
(しまった。これを忘れてた……)
たちの悪い竜鱗の裔のチンピラどもが、こんな場違いなお嬢様を放っておくはずがない。他種族から劣等種と見られている人間の中にも成功者はいて、そういう存在は他種族の下層階級から激しい嫉妬を向けられる。このお嬢様がまさにそうで、さながら飢えた野犬の群れに差し出された上等の生肉のようなものだった。
それでなくとも、このチンピラどもは同族の常連でさえ嫌がらせをして追い出したのだ。年若い人間の二人連れなどに遠慮する可能性は絶無だった。
「うろこなしのがき……?」
少女は、おとがいにしなやかな指を添え、小首を傾げる。
「それもお料理ですの? セバス、うろこなしのがきは注文しましたか?」
「いえ、品書きにございませんでしたので。女将、うろこなしのがきとやらも注文する。他に裏メニューがあれば、それもすべてだ」
「は、はい?」
「聞こえなかったか? うろこなしのがきと、裏メニューすべてを――」
「スカしてんじゃねえぞ、クソガキゃあ!」
無視された竜鱗の裔が、椅子を蹴って立ち上がる。
瞳が黄緑色に充血し、棘状のとさかが逆立っている。
演技ではない。本気で激昂していた。
「なんとか言えや、ゴラァ!」
片手でセバスの襟首を掴み、片手で拳銃を抜いて首元に突きつける。
小口径の回転式拳銃。竜鱗の裔からすれば至近距離で撃たれても「すごく痛い」で済む代物だが、人間ではそうはいかない。引き金が引かれれば、ごく当たり前に脳漿が飛び散る。
しかし、セバスの怜悧な表情はぴくりとも変わらない。
長い睫毛に縁取られた黒い瞳を少女に向ける。
「お嬢様、下賤がこう申しておりますが、返答はいかがなさいますか?」
「ううーん、お断りするほどの御用ではございませんし、ご希望の通り『なんとか』と答えて差し上げたらよいのでは?」
黒い瞳が竜鱗の裔に向けられて、
「なんとか」
ぶちぶちぶちと、血管が切れる音が聞こえた気がした。
「ぶっ殺すぞクソガキゃあ!」
破裂音。
酒場に満ちていた喧騒が、時が停まったかのように遠のく。
飛び散る脳漿、崩れ落ちる執事服の体、床に広がる赤い水たまり、遅れて漂う硝煙の焦げ臭い匂い……
ラスティの脳裏に走った連想は、しかし、最後の一項しか現実にはならなかった。
セバス青年は何も変わらぬ表情のまま、
「脅威度、極低。敵対行為の可能性95%。お嬢様、いかがなさいますか?」
「まあ、どうしましょう。でも5%は敵対していない可能性がございますのね?」
「一部の下賤は全力の闘争行為ののちに友愛を育むことがあります。アーカイブの事例ではそのほとんどが河川敷で行われますが、酒場が舞台となる事例も見られますね」
「なるほど」
少女はもみじのようなお手々をぽんと打って、
「そちらのトカゲ様はお友達になりたいのですね? ごきげんよう、はじめましてトカゲ様。わたくし、ホウオウイン・レイカと申しますの。世界を救う勇者をして――」
「トカゲだとぉ! ナメんなよ! ドクソガキどもがァッ!!」
銃口が少女を向いて、
破裂音。
破裂音。
破裂音。
重い破壊音。
竜鱗の裔の姿が消えていた。
セバス青年の姿勢が変わっている。
右手を天に突き上げている。
頭上から埃が舞い落ちる。
天井。
竜鱗の裔の下半身が、力なく垂れ下がっている。
天井板を破って突き刺さった上半身は隠れて見えない。
「お嬢様への敵対行動を確認。優先順位A。事後報告となりますが、防御行動を取らせていただきました」
セバス青年が左手を開く。
変形した鉛玉が三つ、こぼれ落ちる。
床に跳ねる乾いた音が、静寂にやけに響く。
わずかの間。
「やりやがったな! 鱗なしがぁッ!」
「ぶっ殺すぞこの野郎ォッ!」
「生きて帰れると思うなよッ!」
双眸を黄緑に血走らせた竜鱗の裔の群れが、セバスへと殺到した。




