第30話 テロが勃発しましたの
広場で起きた異変を、リンネはじっと観察していた。もし眼球が備わっていたなら、その双眸は好奇心に爛々と輝いて見えただろう。
アルドールに招待されたのは想定外だった。公開処刑に立ち会わせることで捜査のきっかけを探ろうとしているものと思われたが、あえて乗ることにした。どうせ数日もすればイワナガが残してしまった証拠を嗅ぎつけられるだろう。いまさらその程度のことを恐れても仕方がない。
それに、どうせならこの実験を特等席で観察したかったし、多くの目撃者が得られるのもかえって好都合だった。
「何が起こった!?」
アルドールが元から青白い顔をいっそう蒼白にしてこちらを振り返った。
「さあ、勇者でも再臨したんじゃないですかね?」
肩を竦めてみせると、アルドールの額に血管が浮いた。
「ふざけるなッ! 何か知っているんだろう! 正直に吐けッ!」
リンネのローブの襟を掴み、蒼白だった顔を真っ赤にして詰め寄ってくる。粘体生物でもないのに器用に体色を変えることだ。もちろん、仕掛け人はリンネである。何が起こっているのか知っている。これから何が起こるのかも。結末までは観察しなければわからないが、だからこその実験である。
「何のことやらさっぱり。それより、いいんですか?」
「……くっ!」
眼下の阿鼻叫喚は続いている。赤い霧は範囲を広げ、異形の触手が周辺の人々を次々と捕らえ、霧の中に飲み込んでいる。
「一体何なのだあれは……」
側近たちへ矢継ぎ早に指示を飛ばしながら、アルドールがひとりごちる。
(混沌の因子をせっせと抽出して集めたものだよ、って教えたらどんな顔をするかな)
そんな好奇心が疼いてくるが、それをするには早すぎる。この場で拘束され、続きを観察できなくなってしまっては本末転倒だ。
イワナガに持たせたのは、高濃度の混沌の因子を溶かし込んだ液体を詰めた瓶である。内部にはナトリウム化合物を包んだガラス球を入れ、激しく振ると爆発する仕組みにしてあった。人混みに投げろとは言ったが、まさかこちらに振ってみせるとは思いもよらなかった。勇者再臨の儀式に殉じることを誇りたい気持ちでもあったのだろうか。
(まあ、無事爆発もしたし、何でもいいんだけれど)
再臨派は、世に混沌が満ちれば再び勇者が降臨し、これを滅するのだと信じている。そのため、混沌の復活を目指すと称してあれこれと活動をしているのだ。だが、専門知識も実行力も乏しい彼らにできるのは、迷宮で捕らえた怪物を地上に放したり、怪しげな儀式の生贄に捧げたりといった意味のないばかりだった。
そこに目をつけ、接触をしたのがリンネである。リンネは己の研究のために怪物が欲しかった。再臨派は混沌の復活のために有効な手段を探していた。そこで利害が一致したのだ。
だが、
(混沌が復活したら勇者が再臨するなんて、何の根拠もないのにねえ)
所詮は「本当の勇者に自分たちを救ってほしい」という願望から出発したもので、そこには理論も根拠も存在していない。勇者は混沌を倒すもの、ならば混沌が蘇れば勇者も現れるだろうという単純な願いなのだ。
(あるいは、それこそが信仰なのかもしれないけどね)
リンネは勇者の再臨など信じていないし、仮にその手段があったとしても、さほどの興味もない。リンネが興味を抱いているのは混沌そのものである。知恵を持たなかった粘体生物の祖先に、知恵を与えた謎の存在。もしくは現象。それが何であるかをこの目で確かめたいという欲求こそがリンネの行動原理である。
赤い霧は広場の半分ほどを覆い、処刑台も見えなくなっていた。警備に当たっていた僧兵や駆けつけた巡察が赤い霧を取り囲んでいるが、おろおろするばかりでまともな対処ができていない。逃げ出す民衆に押し流されそうになり、かえって避難の邪魔になっているようにさえ見える。
彼らとて、赤い霧が有害な存在であることは理解している。しかし、霧に対して有効な攻撃など思いつかないし、中に民衆が囚われているため無差別な攻撃を仕掛けるわけにもいかない。霧の中から時折姿を現す触手に対して、銃や魔術で牽制を加えるのが精々だ。そして、そうしている間にも霧は徐々に範囲を拡げていた。
(霧の中がどうなっているが観察したいが……)
ローブに隠した遠視の魔道具を密かに使っているが、ノイズが酷くてまともに見通せない。魔素が乱れているためだろう。混沌の因子が魔素に干渉することはわかっていたが、ここまで大規模な実験は行ったことがなく、想定外の影響が生じていた。奈落鍛冶継承帝国が遠隔操作可能な機械式の幻画撮影機を開発しているそうだが、何としてもそれを入手すべきだったと後悔する。
(いっそ飛び込むか。……いや、いくらなんでも無謀すぎるな)
混沌には事物を融合させる性質がある。対策もなしに飛び込めば、民衆や石畳、あるいは処刑台と融合して自我さえ保てなくなってしまうだろう。せっかく混沌の秘密を目撃できても、研究ができなくなってしまったら片手落ちだ。
「ええい! 何をしておるか! もう教団には任せておれん! わしの軍を出せ! 領軍の出動も要請しろ! あんなものは根こそぎ吹き飛ばしてしまえ!」
貴賓席の一角で、着飾った奈落鍛冶が儀礼用の指揮杖を振り回している。軍閥系の貴族だろう。意を受けた従者らしき奈落鍛冶が駆け出している。このままでは広場ごと吹き飛ばされかねない剣幕だ――というか、いずれはそういう結末になると読んでいる。リンネができるのは、結末が訪れるのを引き伸ばし、少しでも観察時間を増やすことだ。
(こっちの仕掛けも頃合いだね)
ローブの中で、鍵型の魔道具を起動する。対となる錠を遠隔から開閉できる魔道具を改造し、超遠距離操作に対応したものだ。対象はリンネの屋敷の地下室、そして無数の怪物を閉じ込めた檻。解錠と同時に興奮剤を噴射するよう仕掛けを施している。一等市民街で怪物が暴れ回れば領軍の対処も遅れるだろう。
(優秀な助手君たちも死んじゃうなあ。もったいないけど、しょうがないか)
今回の実験で被る損失に小さなため息を吐きつつ、リンネは再び赤い霧の織りなす現象の観察に没頭し始めた。




