第28話 異端審問官もつらいよ、ですの
アルドール=ヴァル・クリュサノールは、星教団の第三階梯司祭にして異端審問官だ。
元々は新古樹族らしく真樹派に籍を置いていたが、今は教派を名乗っていない。それがアルドールの昇階に際しての条件であり、異端審問官には必ず求められるからだ。
異端審問官の権限は絶大だ。
異端の捜査にあたっては、教団に所属する兵の動員、拷問を含む被疑者への尋問、異端認定をしたならば現場での刑執行すら許される。暴走を防ぐために、異端審問官の行動の是非を問う査問会も存在する。だが、それは事後的なものであって、審問官の行動を直接止める権限は同格以上の司祭にしか存在しない。世俗の権力からは完全に切り離されており、領主府の役人程度では口出しも難しい。
それゆえに、異端審問官は無私でなければならない。
俗欲は元より、信仰についても偏りは許されない。異端審問官が特定の教派に肩入れすれば、教団の団結に罅を入れかねないからだ。異端審問官が持つべき信仰は唯一つ。神と神の遣わした勇者にのみ捧げられる。それは絶対的なものであり、正体について思索を巡らすことすら信仰への疑義と解釈される。
世間に対し、このあり方が理解されているとは到底言えないだろう。
異端審問官のことは、教団への不平不満を漏らそうものなら、ほんの些細な軽口であっても懲罰に来る存在だと漠然と思っている者がほとんどだ。だが、実際にはそんなことはない。教派間の教えは無数の矛盾を抱えており、ある教派では忌避されることが、ある教派では推奨されているなど珍しくもないからだ。軽口程度に目くじらを立てていたら、教派間の争いの火種になりかねない。
異端審問官が敵視するのは、神と勇者を疑い、否定する者だけである。
そして、アルドールは今まさに神と勇者を疑い、否定する者の前に立っていた。
「言え。貴様らの仲間はどこにいる。まだまだ隠れているんだろう」
真樹派教会地下に設けられた懺悔室。
鉄釘の先端を炎晶炉で炙りながら、アルドールは静かに問う。
金属製の椅子に手足を拘束された人間の女が、黒く乾いた血のこびりついた唇を震わせる。
「……知りません。真の勇者を畏れぬ偽教者に話すことなど何もありません……」
「偽教の徒は貴様らだろう」
「きぁぁアああッ」
赤く熱した鉄釘を、異端者の手指の先に捩じ込む。爪を割り、肉を裂き、骨にめり込む感触が石綿の手袋越しに伝わってくる。肉の焼ける匂いは今更だ。この懺悔室には、石畳の隙間の隅々にまで染み付いている。
「……偽りの神で人々を惑わす偽教者め。真の勇者が再臨されたなら、お前たちなど混沌と共に焼かれ死ぬに決まっているのに……」
「再臨などしない。神と、神の遣わせし勇者は常に我々を見守っておられる。お隠れになられたことなど一度たりともないのだ」
「……教派ごとに姿の異なる神と勇者を掲げていて何を言いますか。勇者の正体は擬態族だったとでも……?」
「神を疑う者にその御心を感じることなどできまい」
悲鳴。女の手指に刺さる鉄釘の数が増える。
(まったく、これだから再臨派は厄介なのだ)
再臨派は神も勇者も疑っていない。
教団の教える神と勇者を疑っているだけなのだ。
そして、真なる勇者の再臨を信じている。勇者の正体は人間であるとも信じている。他種族から迫害されることの多い人間を中心に広まっている異端だ。
勇者が人間であるという教義そのものは別に問題がない。勇者は神に縋る者の心を映し、どんな御姿でもとりうるとしているのが教団の公式見解だ。問題なのは、様々な信仰の共存を許す教団を欺瞞と断ずるその態度である。これは星教団の本質を否定する危険な思想に他ならない。
(星教団とは、宗教ではないのだ)
そう、アルドールは諦念にも似た理解をしている。
高司祭にのみ閲覧を許可される聖典を学び、アルドールは純粋な信仰心を捨てた。星教団の本質とは調停機関である。元々は各種族で異なっていた信仰をまとめ上げ、激しい衝突を避けるための政治的組織なのだ。偽りの神と偽りの勇者をして秩序を守り、偽りの夢の中で世界の安寧を保つことこそが教団の存在意義である。
ゆえに、夢から目覚めさせようとする者は絶対に許すわけにはいかない。
真実などどうでもよい。むしろそんなものはない方がよい。確固たる真は、それ以外を偽としてしまう。真とされた側は偽を攻撃し、偽とされた側は真に抗う。そこに妥協は発生し得ない。光と影が混ざり合うことが決してないように、必ず存在を懸けた闘争に至ってしまう。いずれかが勝利する結末ならばまだマシだ。勝った方が生き残る。しかし、そんな甘い終幕は期待できない。大崩壊時代――それも混沌が現れる前の修羅道地獄へと世界は回帰するだろう。
「再臨など、絶対にない」
悲鳴。鉄釘が増える。
「……勇者様……勇者様……どうかこの哀れな世界をお救いください……」
「貴様らの勇者は世界など救わない」
悲鳴。鉄釘。悲鳴。鉄釘。悲鳴。鉄釘。悲鳴。鉄釘。悲鳴。鉄釘。悲鳴。鉄釘。悲鳴。鉄釘。鉄釘。悲鳴。鉄釘。悲鳴。鉄釘。鉄釘。悲鳴。鉄釘。鉄釘。鉄釘。悲鳴。鉄釘。鉄釘。鉄釘。鉄釘。鉄釘。鉄釘。鉄釘。
両腕の肘まで釘の花を咲かせて、女は気を失っていた。
水をかけて目覚めさせてやってもいいが、この女が口を割ることはないだろう。というか、おそらく何も知らないのだ。最初からそう思っていた。だが、悲鳴は響き渡った。他の部屋に繋いである者たちの耳を十分に苛んだだろう。
アルドールは炎晶炉の火を消し、懺悔室を出た。
そして、見張りに立っていた新古樹族の僧兵に指示を告げる。
「この房の女は公開処刑に使う。三日でいい。死なないように世話をしておけ」
「はっ! 承知しました、猊下!」
こきこきと首を鳴らして、階段を上がる。
あれだけ強情な女だ。再臨派内での地位はともかく、一目置かれる存在ではあるだろう。それが処刑されるとなれば何らかの動きがあるかもしれない。今回捕らえた者から何人を使うか――考えているうちに、一階に着いてしまった。
ほう、とため息を吐き、背筋を伸ばす。眉間を指で揉む。少し疲れているようだ。
「根の詰め過ぎはいかんな。おおい、君。これで菓子を買ってきてはくれんかね。竜鱗街の『飛竜の翼亭』までお使いを頼みたいのだが。ついでに皆の分も買ってやるといい」
目についた女侍祭を捕まえて銀貨を渡すと、その顔がぱっと明るくなった。
「こんなに!? よろしいのですか?」
「かまわんよ。神はこちらのシスターほど口うるさくはないからね」
「もう、アルドール様ったら。そんな冗談はひどいですよ」
片目をつむってみせると、女侍祭はころころと笑いながら小走りに出かけていった。
ああいう笑顔を見ると、陰鬱な仕事で塞いだ気分も多少は晴れる。ついでに甘い菓子と濃いコーヒーで一息つけば、また仕事に向かう元気も戻ってくるだろう。




