第27話 真夜中の訪問者ですの
アルドールの訪問から数日後。
深夜、リンネは一人で書き物仕事を進めていた。レイカたちが深夜の作業を手伝ったのは初日だけだ。あの日は「シルバーの診察の礼」という名目で例外だったが、本来は夜更かしは許さない方針らしい。昼夜逆転気味のリンネとは、微妙に生活サイクルがズレている。
窓に下ろした鎧戸が、こつこつと音を鳴らした。
誰かが小石でもぶつけているらしい。そして、リンネの屋敷へそんなことをする者は彼ら以外に考えられない。
小さくため息を吐き、鎧戸を引き上げる。手元を照らしていた魔術灯の燭台を揺らして合図をする。窓の下にいた人影が玄関の方へ向かっていくのが見えた。
燭台を手にしたまま階下に降りて玄関戸を開けると、そこには黒いフード付き長衣をまとった人間の男がいた。歳は壮年。口元に蓄えた髭には白いものが目立つ。
「おお、同志リンネ。九死に一生を得ましたぞ。同志がご無事でよかった」
「何かあったのですか?」
皺深い顔に悲壮感を漂わせる男に、リンネは尋ねる。
どうやら面倒なことになったらしい。
「教団に勘付かれました。隠れ家に異端審問官が踏み込み、なんとか逃れられたのは私だけという始末で……」
他種族と同じく表情筋が備わっていたなら、さぞ渋い顔をしていただろう。同志などとは呼ばれているが、彼ら「再臨派」と運命を共にするつもりなどさらさらないからだ。
さあどうするか。追い返すのは簡単だが、騒がれたら不味い。大人しく帰ってくれたとしても、捕縛されればリンネの名前が洩れるだろう。そんな事態は避けなければならない。
「それは一大事だ。イワナガさん、あなただけでも逃れられたのは不幸中の幸いだ。ささ、中へ。ここでは人目につきます」
「かたじけない……。ああ、勇者様、感謝致します」
イワナガが首から吊るした聖印を握りしめてつぶやく祈りの言葉を、苦々しく思いながらも聞き流す。存在しない勇者になど祈って何になる。この場で感謝をするなら僕にだろう。まあ、感謝などされたところで、まともに応えるつもりもないのだが。
「客人を泊めておりますので、どうぞお静かに」
「はい……」
小声で注意をし、地下室へと連れて行く。
厳重な鉄扉に顔を明るくしたと思えば、内部に満ちる怪物たちの吼声に色を失う。まったく、忙しいことだ。
「こ、ここは一体……」
「秘密の実験室ですよ。怪物はみんな檻に繋いでますから安心してください。襲ってきたりはしませんよ」
「は、はあ……」
イワナガの瞳に映っていたのは、二面六臂の大猿、全身に目を持つ虎、下半身が蛇体の裸の女、枯れ枝のように細い人の肢を持つ蜘蛛……そういうものが、何体も何体も。個別の檻に閉じ込められ、迷宮化により拡張された空間に、見渡す限り並んでいた。それは途中で闇に飲まれ、全容は見通せない。
「これほどの数、どうやって……」
「ははは、異なことをおっしゃる。すべて同志たちの協力のおかげですよ。あなた方が迷宮で捕獲し、持ち込んでくださった素体ですよ」
正確にはすべてではない。
迷宮探索者組合を通じ、合法的に手に入れた怪物も含まれているが、そんな細かい話は今はどうでもよい。
「しかし、我々はこんな巨大な怪物は……」
「ですから、素体です。それを使ってここまで創り上げたんですよ」
リンネが笑顔を作ってみせると、イワナガが目を輝かせる。
「では、再臨の儀式の準備は!」
「臨床を重ねて十分な再現性を確保しました。学者としての視点では八割方完成といったところですかね」
「おお……!」
「まあ、ともかくおかけください。ここならば外へ声が漏れることもありません。一体何があったのか、詳しくお聞かせいただけますか?」
感嘆を漏らすイワナガを、書き物に使っている椅子へ座らせる。冷晶庫からワインボトルを取り出し、グラスに注いで渡してやった。イワナガはそれを一気に飲み干すと、「じつは――」と話を始める。
イワナガの説明はあちこちに飛び、教団への罵倒と勇者への祈りの言葉が入り混じるため、ひどく要領が悪い。まとめれば「僧兵を率いた異端審問官がアジトに突然踏み込んできて、有無を言わさず捕縛され、その過程で何人も殺された。イワナガ自身はなんとか脱出し、ここへ逃れてきた」ということだった。
知りたいのはそんなことではない。重要なことを確認しなければ。
「イワナガさん、あなた以外に再臨派と僕との繋がりを知っているメンバーはいましたか?」
「いません。手紙や関係書類もすべて隠してあります」
「……隠す?」
すべて燃やせと言ったはずだろう。
思わず怒鳴りつけたくなるが、怒ったところで事態が改善するわけではない。こういうとき、興奮に伴う発汗も血流の変化もない粘体生物という種族は便利だと思う。体色が変化しないよう注意しながら、続きを促す。
「ええ、もしも私の身に何かあったときに、後任が誰もいないのは問題だと思いまして。一定期間連絡をしなければ、他の同志の手に渡る手筈を整えていたんですよ」
これなら何が起きても同志リンネとの協力関係を円滑に維持できます、とイワナガは得意げに胸を張る。その顔を殴り飛ばしてやりたかった。
(なんてことをしてくれたんだ!)
異端審問官は甘くない。どんなにわずかな手がかりでも、執拗に捜査を重ねて追ってくるのがやつらだ。たとえ現時点で再臨派に書類の中身が知る者がおらずとも、それを「渡す手筈」というヒントが残されてしまった。やつらがリンネにたどり着くまでに、あとどれほどの時間が残されているだろうか。
「さすがはイワナガさんだ。して、その手筈とはどんなものなんでしょう。詳細を教えていただけますか?」
焦りを飲み込んで、必要な情報を聞き出す。書類の引き渡し場所は自由都市連合。あの無法地帯なら、たしかに教団でもいくらか手こずるだろう。こちらから処分に出向くという考えが脳裏をよぎるが、教団が支部に通信すれば済むのに対し、リンネは自身が足を運ぶ必要がある。それではとても間に合わない。
一週間。リンネは残された時間をそう見積もった。
「ああ、それにしても捕らえられた同志たちが心配だ。酷い目に遭わされていなければいいが……」
酷い目に遭わされているに決まっているだろう。
今頃は薬物と暴力、脅迫と甘言を駆使した拷問の博覧会が開催されているはずだ。リンネの記憶が疼く。残すつもりのない記憶だったのに、こびりついてしまっている。ほんの百年やそこらでやつらのやり口が人道的になるなど到底考えられない。
「おそらくですが、何人かは近々に公開処刑をされるでしょう。見せしめとして……」
心から痛ましく思っている、そんな声色を出す。
「ああ、そんな……」
「しかし、それは救出の好機でもあります」
顔を覆いかけたイワナガの両手が止まる。
「再臨の儀式に必要な準備はほとんど整っています。先ほどは八割方完成と申しましたが、それはあくまで学者視点での話で、理論値と実測値の乖離があるというだけなんですよ」
「それは、つまり……?」
物わかりの悪い男だ。愚鈍だから存在しない勇者などに縋れるのだと思えば当然のことだったが。
「つまり、実践には支障がないんです。そして、公開処刑には大勢の市民が集められることでしょう。そこで再臨の儀式を行えば――」
そこで言葉を切って、イワナガが理解するのを待つ。
イワナガは腫れぼったい目を二度、三度と瞬きさせて、
「……真の勇者の姿を、民衆に見せつけられる。教団の欺瞞を白日に晒せる!」
「そういうことです。不遜にも神の教えを歪め、私欲のために利用した背教者は誰なのか、天下に知らしめることができるんですよ」
「すごい! それはすごい!」
興奮するイワナガに、満面の笑みを作って頷いてやった。
公開処刑が行われるまであと何日か。その間に儀式の詳細を詰めつつ、リンネ自身の準備も整えなければならない。
(これは忙しくなるな……)
イワナガにワインのお代わりを注いでやりながら、リンネはこれからの段取りを高速で組み立て始めていた。




