第26話 リンネ先生の歴史学講義ですの!
かつて、僕たち粘体生物は知性を持っていなかった。
あるいは自我と言い換えてもかまわない。
とある宇宙のとある惑星で繁栄した巨大な原生生物の一種――それが粘体生物の祖先だった。おそらくだけど、その惑星は僕らばかりで埋め尽くされた単一生物相に近い状態だったんじゃないかって想像してる。なんというか、理性を持たない僕らは他種との共存がちょっと難しいと思うからね。
周りはお仲間だらけで、思考らしい思考もせず、ただ環境に適応して生きているだけの安逸な日々――それが変わったのが大崩壊だ。
大崩壊では少なくとも十以上の異なる宇宙が衝突し、融合したと考えられている。もちろん、我らが祖先の母星も例外じゃなく、いま僕らがいるこの惑星と衝突した。そのおかげで、とある宇宙のとある惑星の固有生命が、別の宇宙の別の惑星に接触できたってわけだね。
大崩壊の原因?
それがわかったら王立大学院から金象牙の万年筆をもらえるよ。何かアイデアがあるならぜひ研究してみるといい。今まで誰も解き明かせなかったテーマだけどね。
さて、話を戻すと大崩壊の発生まで文字通りの単細胞だった僕たち粘体生物がなぜ知性を得られたのか。それは混沌が原因だと僕は考えている。粘体生物間ではほぼ定説ではあるんだけど、一部には反論があるね。(と、ちらりとアルドールに顔を向ける)
では、なぜ混沌が僕らに知性をもたらしたと言えるのか。
その話をするためには、混沌の性質を理解しないといけない。
千年前、複数の宇宙がくっついたこの世界を丸ごと滅ぼしかけた混沌とは何だったのか――その正体は、一言で表せば「すべてを混ぜ合わせ、ひとつにしようとする力」だと言える。混沌自体に意思はあったのか、嵐や地震のような単なる自然現象に過ぎないのか、それについては議論が分かれている。僕自身はあまり関心がないかな。それが白痴であれ邪悪であれ、引き起こす現象に違いはないんだから。
混沌が混ぜ合わせる対象は物質はもちろんのこと、物理法則、魔術法則、情報的な概念まで何でもありだ。科学的にも魔術的にもありえない現象がいくつも起きた。一番大きなものを言えば、この世界が丸ごと崩壊しなかったのも混沌の融合作用のおかげだと言える。
えっ、大崩壊は混沌が原因だったのに、崩壊を阻止したのが混沌だなんておかしいって?
うん、いい疑問だ。ここで言う「崩壊」と歴史上の「大崩壊」は別物だと考えて欲しい。で、前提の整理だけど、「大崩壊」は宇宙の衝突と、それに伴う破壊や混乱が続いた数年から百年程度の期間を指す歴史学用語だね。範囲が広すぎるって? 考古学畑の学者ならいつからいつまでを「大崩壊」とするかで何日でも議論が出来るくらいだからなあ。専門外の僕に文句を言われたってどうしようもないよ。
それで、さっき言った「崩壊」は歴史用語ではなく、シンプルに辞書通りの意味だ。「物質や状態などが、それまでの状態から崩れる・壊れること」という意味だね。「ぶっ壊れる」と言ってもいいや。
考えてみて欲しい。どの学説を取るにせよ、「大崩壊」の始まりは複数の宇宙の衝突だったんだ。僕らが今住んでいるこの惑星――様々な呼び方があるけど、ここでは「地球」としよう。シンプルでわかりやすく、思想的な偏りがないから中立的な議論がしやすい。
「地球」も各宇宙にそれぞれ存在していて、それが何個も衝突したんだ。普通に考えたらどうなると思う? バラバラのぐちゃぐちゃに砕け散ってしまうし、奇跡的に破壊を伴わずにくっついたのだとしても、質量が何倍にも膨らんで自転速度も純物理重力もめちゃくちゃになっていただろう。魔素による場の記憶――恒常化作用なんて無視できるレベルでね。学生向けの試験問題でよくある「ただし魔素の影響は無視できるものとする」を地で行く世界さ。
にもかかわらず、僕らはこの世界に暮らしている。
なぜそんなことが起きえたのかと言えば、混沌による融合作用がたまたま上手く働いたから――(アルドールの咳払い)――おっと失礼、神の恩寵により、ちょうどよく調整されたからなんだ。「大崩壊」の原因である混沌が、もっと破滅的な「崩壊」を防いでいたなんて興味深いよね。
さて、そんな我々全生命の命の恩人である混沌だけれども、早々に退場してくれればよかったのに、その後も世界に居座ってしまった。それに対抗するため、すべての種族が神の名のもとに団結し、勇者たちが立ち上がったってわけさ。
何? その話を詳しく聞きたい? それも僕の専門外だなあ。あとでアルドール殿に聞くといい。神殿や寺院、教会で説法を聞いてもいいよ。それぞれで内容が結構違うから、聴き比べてみるのもきっと面白いんじゃないかな。(アルドールに睨まれるが気づかないふりをする)
そろそろ察しがついただろうけど、粘体生物は何らかの知的存在と融合したことによって知性を得たんだ。それ以前について、何の記憶も記録も残っていないことが逆説的だけど強力な証拠となっている。あ、何と融合したのかはわかってないよ。遺伝子に物理的な変異は見られないから、情報生命とか何らかの概念であるだとか、そういうものだと考えてはいるけどね。
で、ずいぶん回りくどくなってしまったけれど、僕らの生態の話をしよう。ちょうどさっき、ニジクラゲの話をしたよね? ニジクラゲは肉体的な限界を迎えると若返って幼生に戻り、また成長をするというサイクルを繰り返すある種の不老不死性を持っている。粘体生物もこれと同じなんだよ。老化や外傷で身体が持たなくなると、幼生に戻って成長をやり直すんだ。身体も小さくなるし、記憶もほとんどが失われちゃうから一般的にイメージされる「不老不死」とはだいぶ違うと思うけどね。事故や病気がなければ一回のサイクルがおよそ百年前後ってところかな。
ニジクラゲとちょっと違うのは、そのときに残す記憶をある程度自分の意志で選択できることにある。事故や病気の場合は無理なこともあるけど。「これは大事だ」って記憶を残しておいて、次のサイクルを生きやすくするんだ。何を残すのかは人それぞれだね。言語能力なんかはほとんどの人が残すけど、それ以外は自分の興味関心に合わせる。僕なら生物学や博物学の知識を中心に残しているよ。
それで、僕らの中には当然歴史学者や考古学者もいる。彼らは過去の重大な出来事を記憶していることが多いんだ。もっとも、僕らが記憶の継承の重要性に気がついたのは大崩壊から数サイクルを経てからだから、大崩壊の最中の記憶はほとんど残されてないけどね。その反省もあって、僕らは言葉や記録にこだわるようになったんだけど。
で、そうやって残した記憶は記録して研究者たちが共有している。でも、どれだけ遡っても千年以上前の記憶は見つからないんだ。これが粘体生物が大崩壊を機に知恵を自我を得たという説の根拠になっている。誰かが自我を得た瞬間の記憶を残してくれていたら説じゃなく事実として語れたんだけどね。
ま、それは無理難題ってやつだ。「物心がついた瞬間を思い出してくれ」って言うようなものだしね。どの種族でも、こんな質問に答えられる人はいないんじゃないかな?
* * *
わざと脱線を重ねながら長々と話したのだが、レイカは飽きることなく好奇心に目を輝かせていた。合間合間で挟まれた質問も的を射ていて、この人間の子供は思っていたよりも頭は悪くないのかもしれないと認識を改めることにもなった。
アルドールは時々何かを言いたげに口元を動かしていたが、子供への教授を遮るような真似はしなかった。異端審問官は強力な権威を持つが、それだけに振る舞いには細心の注意を求められる。リンネが話した内容は直接的には教義に反するものではなかったし、下手に口を挟んで特定教派の押しつけだと捉えられるのも望ましくない。例えばレイカがどこぞの有力者の子女で、彼女の家が信じる教派の教えに抵触するようなことを口にすれば、教団に抗議が入る可能性もある。
「おっと、お客様がいらしていたのにすっかり講義に夢中になってしまった。アルドール殿にはさぞ退屈だったでしょう。失礼ついでに、何か捕捉などあればご教示いただけると幸いですが」
口出ししにくいことを理解した上で、あえて話を振ってみる。心労と余計な時間を取らされたことへのささやかな復讐だ。
「いえ、見事な講義でしたよ。リンネ先生の歴史認識がよくわかりました」
アルドールは歴史認識という言葉を使うことで、神学的な立場からのコメントを避けた。こういう立ち回りはさすがは高位の司祭と言ったところか。
だが、アルドールはそこで言葉を終えなかった。人差し指を立て、「しかし」と続ける。
「混沌がどのような振る舞いをしたのが事実だったとしても、その背景には神の偉大な計画があったこと。そして混沌を滅ぼした勇者たちは神の意志に沿って遣わされたこと。この二点は忘れて欲しくないですな」
どんな出来事があろうとも神の意志の内である。その意図は矮小な人類には計り知れない――教団の定型句のようなものだ。相手にするのも面倒だ。リンネが曖昧に頷こうとしたときだった。
「勇者たちが立ち上がったのは、己の良心に従ってのことですわ。神様はそれを見守ってくださったかもしれませんが、立ち向かう意志は、勇気は、誰かから与えられたものなどではございませんの」
アルドールの緑の瞳が丸くなる。まさかこの少女が神学の話題に口を挟むとは想像もしていなかったのだ。
「なるほど、お嬢さんは自助派でしたか。神は自ら助くるものを助く。それもまた神の教えの真実でしょう。さて、すっかり長居をしてしまいましたな。そろそろ御暇致しましょう」
アルバートがソファから腰を上げたので、リンネは玄関までそれを見送った、別れ際、アルバートはリンネだけに聞こえるようぼそりと呟いた。
「近頃は再臨派の動きが活発になっているという噂がありましてな。リンネ先生に限ってそんなことはないと思いますが、くれぐれも異端の教えに心を惑わされることがありませぬよう」
「ははは、ご忠告痛み入ります。用心することにしますよ」
屋敷を離れ遠ざかっていくアルバートの背中を、忌々しい思いで見送る。
一体どこまで掴んでいるのか。もしも異端審問にかけられるようなことがあれば、何サイクルにもわたって重ねてきた研究が台無しにされてしまう。ことによっては計画を大幅に早めることも考えなければならないだろう。




