第25話 神学論争勃発ですの!
星教団とは、大陸で――否、この世界でもっとも多くの信者を抱える宗教団体である。その教義は複雑怪奇で、教団の上級司祭でもなければその全容を把握できるものではない。しかし、一般的にはこの一点を覚えておけば十分だろう。
――混沌を退けた神、そして神が遣わした勇者を崇拝する
大乗派、謝肉派、大渦派、竜鱗派、真樹派、呪怨派……など様々な教派に分かれる星教団だが、この一点だけは揺るがない。というより、もともと各種族で分かれていた信仰を無理矢理にまとめるための一点がこれだったのだ。そのため、教派によって信仰する神も勇者も異なる。粘体生物は原初と呼ばれる巨大な粘体生物を神としているし、竜鱗の裔であれば七柱の始祖竜を神としている。
だが、星教団中枢はこれをあえて正そうとはしない。世界に秩序をもたらすために別々の宗教を無理やりひとつにまとめたのだ。混沌は敵である。そして、勇者はそれに立ち向かう旗印である。それさえ共有できれば、あとはさしたる問題ではない。
しかし、いや、だからこそ、これを揺るがす思想――異端は絶対に許されない。それを取り締まる者こそが教団の異端審問官であり、いままさにリンネの屋敷を訪ねている者だった。
「すみませんが、いまは仕事で忙しいんですがね。機嫌伺いと言うなら、このまま帰ってくれるのが一番僕の機嫌に寄与するのだけれど」
「ははは、長居は致しませぬからご安心を」
異端審問官は扉の隙間に細い体を滑り込ませるようにして入ってくる。無理やり押し留めたりはできない。嫌味を言うくらいならともかく(それもまっとうな神経の者ならやらないが)、下手にその行動を止めればどんな難癖をつけられるかわからない。
「おや、何やらかぐわしい香りが致しますな。焼き菓子ですか?」
異端審問官は僧服のフードをめくって日焼けと無縁の青白い顔をあらわにする。くすんだオリーブ色の髪、切れ長の瞳、そして笹の葉のように尖った長い耳。新古樹族だ。真樹派の高司祭にして異端審問官アルドール。リンネにとっては大敵である。
「こんにちは、お客様。スコーンを焼いたところですのよ」
背後から声が聞こえて、慌てて振り返る。
そこにはシルバーを連れたレイカが立っていた。
「ほほう、これはこれは可愛らしいお嬢さんだ。それに立派なワンちゃんも。初めまして、星教団に奉職しておりますアルドール=ヴァル・クリュサノールと申します」
「初めまして、わたくしはホウオウイン・レイカと申しますわ。この子はシルバーと申しますの」
「ほほう、毛並みに負けないぴったりな名前ですな」
見事なカーテシーを披露するレイカに、アルドールは相好を崩す。一見、人の好さそうな微笑みだが、その灰色の瞳は冷徹な観察者のそれであることをリンネは見逃さなかった。
「リンネ先生もお人が悪い。養女を取られたのならお知らせいただければよかったのに」
「養女ではありませんよ。住み込みの助手を雇ったんです」
「ほほう、このお嬢さんが助手」
「ええ、見た目に似合わずよく仕事をしてくれて、助かってますよ。わざわざお知らせしなくとも、アルドール殿ならきっとご存知だろうと思ったのですが」
アルドールの白々しい態度に、思わず嫌味が口をつく。この身に表情筋のたぐいがなくてよかった。もしも備わっていたならば、間違いなく表情で伝わっていただろう。
* * *
「ほほう、これは見事な紅茶ですなあ。樹木族の森の一級品にも劣らない。こちらのスコーンも実に美味い。ユージーン・カイハラ氏の新店……たしか、飛竜の翼亭でしたか。あそこにも劣らない味わいですねえ」
ソファに腰掛けたアルドールが紅茶を啜り、スコーンに舌鼓を打っている。
結局、アルドールは応接室に通さざるを得なかった。
茶や焼き菓子の匂いをぷんぷん漂わせておいて、いまさら多忙を装っても通じないだろう。茶会の最中に客人が来たのなら、招き入れるのがマナーだ。
おそらくは、タイミングを見計らってやってきたのだろう。お茶の時間すら把握しているぞ、というわけだ。
アルドールの表情を窺うが、貼り付けたような微笑を浮かべているだけ。相手は海千山千の異端審問官である。粘体生物の鋭敏な光受容細胞と、怪物相手に鍛えたリンネの観察眼をもってしてもその本心は探れない。
「うふふ、セバスは紅茶を淹れるのも上手ですのよ」
「恐れ入ります、お嬢様。この街で手に入る茶葉ではとてもお嬢様の高貴な舌に見合う茶を淹れられるものではございませんが、来客如きに振る舞う分にはこれで十分でしょう」
「そ、そうですか……」
しかし、そのアルドールにしてもこの浮世離れした人間二人には若干の動揺を隠せないようだった。ざまあみろ、と内心で笑う。
「ところで、本日お邪魔をした用件ですがな――」
アルドールが口火を切る。
顔を見せに来ただけなどという口実は初めから真に受けてはいない。今日は一体どんな難癖をつけに来たのだか。
「近頃、またリンネ殿が新しい怪物を飼い始めたと相談がありましてな。危ないことがないかと様子を見に来たのですよ」
「『また』とはご挨拶ですね。以前も説明をしましたが、飼育なんてしていませんよ」
「しかし、迷宮組合に依頼してたびたび生体を運び込ませていらっしゃる」
「それは鮮度の問題です。ご存知かと思いますが、怪物は死後の劣化が早いのでね。用が済んだら速やかに処分しています」
地下室のことはもちろん口にしない。レイカたちにも秘密したままだ。
「ほう、処分ねえ。ではそちらのシルバー君も?」
「それは僕のじゃありませんよ。レイカ君の飼い犬です」
「ほほう、犬。犬にしてはずいぶん大きい」
「同定は出来ていませんが、十中八九怪物でしょうね。とはいえ、このとおり大人しく、人に危害を加える兆候はありません。それに、怪物を飼うのが異端だとおっしゃるのなら、こちらなどより先に調べるべきところがあるのでは?」
リンネはこれみよがしに触手でアルドールを指した。アルドール自身を指しているのではない。その方向にある貴族街を指したのだ。貴族の間では怪物を飼うのがステータスとなっている。責めるのなら先にそちらにしろと嫌味を言っているのだ。
「いえ、怪物を飼うこと自体は問題ありませんよ」
だが、アルドールは気にした風もなく、微笑を浮かべたままゆっくり頭を横に振る。
「問題なのは、怪物に何を見出しているかです。貴族たちは怪物を征服した証として飼っているに過ぎません。それはまったく問題ない。それどころか、教団としても大いに推奨したいほどだ」
紅茶を一口含み、唇を湿らせながらリンネの顔を見据える。まるで光受容細胞の裏側まで覗き込もうとしているようだ。
「しかし、怪物が持つ強力さ――それをもたらす混沌の力に魅入られたのでは話が変わります。混沌はあくまで打ち倒すべきもの。それを崇め、あまつさえ神聖視するなどとは言語道断です」
笑みが消えていた。深い森の奥にある、藻が生い茂った沼のような瞳がこちらを見つめている。
リンネは苦笑いの形を作りながら、「参ったな」と軽く俯く。
「何度ご説明すれば納得いただけるんですかね。僕は混沌を崇めてなどいません。あくまでも利用しているだけです。例えば魔術灯、これも混沌の力を利用していると言えばそうだ。迷宮に棲まうニジクラゲの色素を使ってますからね。星教団の施設でも導入いただいているようですが、あれ、ひょっとして教団は混沌を崇めていらっしゃる?」
嫌味を言うが、アルドールの瞳は毛筋ほども揺るがない。
「そんな話はしておりません。便利な道具として利用するのも征服の一つの形。敵国を征服した国家が、捕らえた兵を奴隷にするが如くです。しかし、この世界を形作ったのが混沌だなどという話は到底受け入れられない。それは異端だ」
「それこそ誤解ですよ。僕は混沌がもたらした影響を研究しているに過ぎません」
「その影響の大きさによっては、神の秩序の否定となりえます」
「それはおかしい。影響の大小は観察の結果に過ぎませんよ。神の秩序を否定するものではなく、神の秩序をより深く理解しようとする試みが科学です。それともアルドール殿は、初めから思い通りの神の姿を決めつけるのが信仰であると?」
「……そんなことはありません。神は我々の理解が及ぶほど矮小ではない」
アルドールが初めて言葉に詰まった。星教団において神は偉大にして不可知の存在とされている。だからこそ様々な教派が共存できるわけで、今の話を肯定すれば教義の根幹を揺るがしてしまう。
「ですよね。よかった。てっきり神は、新古樹族が混沌によって生まれた種族であるとか、そういう事実を隠したいのかと思っていました」
「事実ではありません。仮説のひとつでしょう」
「おおっと、失礼しました。おっしゃるとおり、あくまで仮説のひとつです」
そう、仮説のひとつだ。
だが、リンネはこれを事実だと考えている。
新古樹族や竜鱗の裔は、混沌の影響で生まれた種族だ。それぞれ真古樹族や飛天鱗甲が、人間と混ぜ合わされたことに端を発する。だが、彼らがそれを認めることは決してない。出自に対する不安の表れだろう。むしろ純血主義を強め、人間を迫害する者が多いのだ。
今のはさすがのアルドールも癇に障ったようで、鉄面皮がわずかに歪んでまなじりが鋭くなっている。まったく、真理よりも種族的なプライドの方が優先されるとは、この新古樹族の司祭が口にする「信仰」とやらも随分安いものだと腹の底でせせら笑う。
もう少しからかってやろうか。湧き上がった嗜虐心が口を軽くさせる。
「でもね、僕たちには記憶があるんですよ。千年よりも以前の記憶がないという記憶が」
「千年前の記憶がございますの?」
アルドールに向けたつもりが、レイカが目を輝かせた。
レイカは助手としての働きは劣るが、好奇心はセバスよりも遥かに強い。ちょうどいい、この子を生徒代わりにアルドールに聞かせてやろう。どうせ彼は知っている話だが、不快にさせてやれるのは間違いない。
「ああ、レイカは僕たち粘体生物の生態にはあまり詳しくないのかな。僕たちはある種の不老不死でね。古い古い記憶を受け継いでいるんだよ」
紅茶のお代わりを自分で注ぎながら、リンネは長い話を始めた。




