第24話 クラゲは不老不死ですの?
結論から言うと、仕事はものすごく捗った。
優秀な助手を十人まとめて雇ったくらいの効果はあっただろう。他人に任せられる雑事のたぐいはほとんど片付いてしまったくらいだ。
とくにセバスの働きが光受容細胞を見張った。
十人どころか十二人分くらいの仕事をしていたのではないだろうか。決して大慌てで動いているようには見えず、むしろ優雅なまでの所作を守っている。だが、なぜか仕事が猛烈に速い。幻画のトリック映像でも見せられているような気分になる。
では差分の二人分は何かというと、レイカが足を引っ張った分である。こちらの少女は一生懸命なのはわかるのだが、シャーレを持てば落としそうなり、書類にはインクをこぼしそうになり、なんなら何もない場所でも転びそうになる。それらすべてをセバスがカバーし、何事もなかったようにしているのだから大したものだ。
そして、気がつけば窓から燦々たる朝日が差し込んでいる。
あまりにも気持ちよく仕事が片付くものだから、調子に乗って朝まで手伝わせてしまったようだ。応接室に戻って茶を出しながら、
(さすがにこれはまずかったか……)
つい夢中になってしまっていたことを後悔する。
親切顔で泊めてやると言いながら、一睡もさせずに仕事を手伝わせてしまってはわけがわからない。事情を知らない他人が聞けば、むしろ悪辣とさえ思われかねないだろう。名誉や名声に興味はないが、あまり悪評が立つと本来の活動に影響を及ぼしかねない。ただでさえ異端審問官が目を光らせているのだ。些細なことでも悪目立ちはしたくなかった。
「おうちの方に連絡をしなくて大丈夫かな? 今から使いを出すこともできるけど」
とりあえず、警戒すべきはレイカの実家である。若い娘を一晩泊めて仕事をさせていたなど、親が聞けば激怒するかもしれない。従者が何も言わないのだから外泊は公認なのだろうが、その中身が問題だ。連絡だけでも早めにしておけば、悪印象を和らげられる。
リンネは使用人を雇っていないが、この時間になれば近隣の屋敷から借りられる。通いの使用人を捕まえて、いくらか小遣いを渡せば使い走りくらいは喜んで引き受けてくれるのだ。そうやって雑用を頼んだことは何度もあり、雇い主にもあらかじめ了解を得ていた。
「おうちはありませんから大丈夫ですの!」
「は?」
しかし、レイカから返ってきた言葉に思わず間抜けな声を洩らしてしまう。
うちがないとはどういうことだろうか。改めて二人を見るが、衣服は上等な仕立てで靴も汚れていない、仕事中に確認したが手指も綺麗で荒れたり爪の間に泥が詰まったりもしていなかった。肌の色艶もよく、髪も綺麗に手入れがされており、跳ねた枝毛の一本すら見当たらない。どう考えても良家のお嬢様とその従者で、とても家なしの佇まいではない。
あるいは駆け落ち中だろうか。雌雄のない粘体生物にその情動の機序は理解し難いが、人間などの異種族は男女間(稀に同性間)で恋愛関係になり、それが周囲に認められないと手を取り合って逃げるのだという。変わった習性だが、本来番うはずでない男女が新天地に旅立つのは案外合理的なのかもしれない。個体の生存率は下がるが、種の遺伝的多様性の充実や生息域の拡大には一役買っているだろう。
……と、そんなことを考えている場合ではない。
恐らく駆け落ちではない。二人の関係に繁殖欲求は絡んでいなそうだからだ。別に雌雄のある種族の恋愛感情を突然理解したわけではない。アンドロスタジエノンやエストラテトラエノール――性フェロモンの臭いがないからだ。性的に未成熟な男女が、駆け落ちをするまで思い詰める可能性は低いと考えられる。
「そ、そう。おうちはないんだね」
茶を一口すすりながら、さらに思考を巡らせる。
家出だろうか。だとしたら従者がついているのがおかしい。没落した名家の令嬢だろうか。それにしては打ちひしがれた様子もない。実家を失ったことをさも当然のように語っている。それにそんな境遇ならばさすがにあの狼を連れ歩いたりはしないだろう。いくら護衛と言っても餌代はひどくかかるだろうし、売れば一財産になるはずだ。
金に困っていないのだとしたら、富豪の旅暮らしだろうか。ホウオウインとはこの辺りでは聞かない姓だ。遠方の出身である可能性が高い。いつだったか、どこぞの国の貴族の子弟には一時的に家を捨てて流浪の旅に出る風習があると聞いたおぼえがある。だとすれば、金に困っておらず、従者がいて、かつ(今は)実家が存在しないという状況にも説明がつく。
「ええっと、それなら――」
茶碗を置いて、寝息を立てる銀狼に光受容器官をちらりと向ける。それから執事服の従者。貴重な研究対象と、貴重な労働力。ならば、こういう提案もできるのではないか。
「――よかったら、気が済むまでうちに逗留するといい。シルバー君もじっくり診れるしね。時々仕事を手伝ってくれたら助かるけど」
詮索はやめて、実利を取ろう。もしもこの提案が受け入れられれば一挙両得だ。
「まあ! よろしいんですの? とっても助かりますわ!」
満面の笑みを浮かべるレイカに、リンネは顔面に当たる部分を操作して同じく満面の笑みで頷いた。
* * *
あれからしばらくした。
セバスという優秀な助手を得て、研究は頗る捗っている。(レイカは足手まといにしかなっていないが、セバスとシルバーを引き止めるための必要経費だと割り切っている)
あちこちに散らかしていた資料や原稿が整理されて、屋敷が広くなったように感じた。決まったものが決まった場所にあることが、これほど作業の助けになるとは。整理整頓の重要性を痛感させられる(セバスがいなくなった後も続けられる自信はないが)。
そして、それによって空いた一部屋を二人に与えた。新しい家具やらティーセットやらで魔改造されているようだが、二人のプライベートに特段興味はないので自由にさせている。
シルバーについては一通りの調査観察を終えていた。血液に含まれる混沌の因子の濃度や、同種の目撃証言などを総合して、迷宮深層で捕獲された怪物であるという結論に至った。それにしては攻撃性が見られないのが不可解だが、解剖や手荒な生体実験が出来ない以上、この辺りで中断する他ない。逗留させている間にレイカがこのペットに飽き、手放すつもりになるのを期待するしかないだろう。今のところその兆候は見られないが、所詮人間の子供である。いつ気分が変わってもおかしくはない。
食生活が改善されたのも思わぬ収穫だった。セバスは料理もでき、さして珍しい食材を買ったわけでもないのに、ありものから見たこともない料理を何種類も作った。粘体生物は何でも食べる悪食で、好みなどないと誤解する風潮が根強いが、そんなことはない。味蕾細胞をどけることでどんな不味いものでも食べられるが、反対に味蕾細胞を集めれば鋭敏な味覚を発揮するのだ。そして、どうせなら美味いものが食べたいという気持ちは他の種族と変わらない。
その日も、午後の仕事を一段落させてセバスの焼いたスコーンに舌鼓(舌状器官はないが)を打っていた。家庭用の炎晶炉で焼いたにもかかわらず、外はサクサク、中はふんわりとした絶品である。
「いやはや、これは美味い。このまま店が出せるんじゃないかな。もし開業するなら出資をさせてもらいたいよ」
と半ば本気の冗談を口にすると、
「わたくしたちはお店で働いていたこともありますの。いわば元プロですのよ!」
「そ、そう。それは納得だね」
なぜかレイカが胸を張る。紅茶を淹れたのもスコーンを焼いたのもセバスで、彼女はもっぱら食べてばかりなのだが、あまり堂々と言われると「美味そうに食べるのも仕事のうちなのかもしれない」と認識を狂わされそうになる。
彼女らが見聞を広げる旅の過程にあるとして、その一環でどこかの店を手伝ったのだろうか。確かにセバスの腕前であればどんな店でもすぐに採用されるだろう。レイカ込みでも十分にお釣りが来る。
とはいえ、無用な詮索はしないことにしている。何らかのしきたりに従った旅だとして、一体何がタブーに触れてしまうかわからないからだ。変に好奇心を働かせて優秀な助手を失ってしまうのは望ましくないことだった。そのうちに出ていくのだとしても、その日は一日でも遠くしたい。
「この後のお手伝いは何をしますの?」
スコーンにたっぷりのジャムを塗りつけながらレイカが言う。ギシギシという野草を砂糖煮にしたジャムで、甘酸っぱくて爽やかな香りがある。ギシギシとは何だと原料を見せてもらったら、道端にいくらでも生えている雑草で驚いた。
「そうだね、ニジクラゲの分化転換を手伝ってもらおうか」
「ブンカテンカン?」
山盛りのスコーンを順調に消化しながら、レイカが小首を傾げる。恐ろしい速さだが、これで食べこぼしをしたり口の周りを汚したりしないのだから驚きである。リンネは専門外だが、工学系の学者ならばメカニズムを研究したがるのではないだろうか。
「分化転換というのは、簡単に言えば若返りのことだよ」
「若返り? クラゲさんが若返るんですの?」
「簡単に言えばね。少し難しく言うと、傷つけられたニジクラゲはポリプという幼生の状態に戻って再生するんだ。そして、また成体まで成長する」
「では、不老不死ということですの?」
目を丸くするレイカに、首を横に振る。
「長期的に見れば不老とは言えるかな。でも、不死ではないね。再生できない傷を負えば死んでしまうし、それに再生の過程で記憶の大半も失われる」
「記憶? クラゲさんに記憶がございますの?」
「人で言う記憶とはちょっと違うけどね。食べられるもの、食べられないもの。危険なもの、そうでないもの……ニジクラゲについてはそういう学習がされていると考えられている。例えばニジクラゲは迷宮の地底湖で採取されているんだけど、漁が頻繁に行われている場所では漁船が近づくと逃げ、そうでない場所ではあまり警戒心を示さないことが報告されているんだ」
「へえ~、クラゲさんも賢いのですね!」
どうやら納得してくれたようだ。ニジクラゲの学習については本当はもっと様々な角度から検証されているのだが、素人にあまり専門的な話をするのは手間がかかる。これ以上は深堀りしないで切り上げよう。
「それで、なぜニジクラゲさんを分化転換しますの? 不老不死の研究をなさっているのかしら?」
「……っ」
意外に鋭い。核心こそ突いていないが、リンネの本当の研究に関わりのあるテーマであることは間違いなかった。一瞬言葉に詰まってしまったが、何事もなかった風に紅茶を一口すすり、舌(状に形成した器官)を繰る。
「いや、今日は研究というよりも産業応用かな。ニジクラゲの色素は魔術灯用の素材に使われるんだけど、個体ごとに色が違っていてね。分化転換を利用して、特定の色素を量産しようとしてるんだ。その手順の確立が目的だよ。ニジクラゲの色素は低圧の魔素で発光する性質を持っていて――」
スポンサーにも繰り返している表向きの目的だ。淀むことなく説明できる。世間に漏れれば異端審問ものなのだ。誤魔化すことにはすっかり慣れていた。
こんこん
と、玄関からノックが聞こえた。
普段なら煩わしいが、いまこのタイミングではありがたい。来客の対応が済んだら仕事を再開するとしよう。
そう思って、扉を開けると、
「こんにちは、カール・フォン・リンネ先生。ちょっと近くまで立ち寄りましたので、ご機嫌伺いに参りました」
リンネの舌が本物の器官であれば、きっと舌打ちしていただろう。
扉の向こうに見えたのは、星教団の僧服をまとった異端審問官の厭らしい笑顔だった。




