第17話 超豪華ディナーですのよ
ウドライェドワの邸宅は三階建ての石造りで、館というよりも要塞と言ったほうがふさわしい威容を誇っていた。食人巨鬼の体重を支えるためだろう、立派な巨石がふんだんに使われている。軽く三十メートル以上はあろう高さの屋根は銅板葺きで、そこかしこに刻まれた細緻な彫刻と、近頃出回りだした高価な魔術灯の仄青い輝きとともに、主の財力の凄まじさを無言で知らしめている。
(まさかウドライェドワさんに招待されるなんてなあ……)
使いの者から渡された招待状を握りしめ、豪邸を見上げているのはイスグングゲズィだ。正直、胃が痛い。できれば丁重にお断りしたかったが、謝肉街でも一二を争う権力者からぜひにと言われて断れるわけもない。おまけに招待状ですら古風で高価な羊皮紙に金粉入りのインクの署名。使者から念を押されるまでもなく、「断ったらわかってるだろうな」という威圧を感じた。
「まあ、とっても大きなお宅ですのね!」
「お嬢様の気高さに比べればつま先ほどにも及びませんが、このあたりの住宅事情を鑑みれば相対的に立派な屋敷ではあるようです」
「晩餐が楽しみですわ。舞踏会もあるのかしら?」
「お嬢様のお口に合う料理が出ればよいのですが。舞踏会はどうでしょうか。聞けばこの屋敷の主のウドライェドワなる者、一代の成り上がり者だそうで、左様な典雅を解するとは限りません」
「まあ、セバス。そんなことを口にしてはいけないわ。生まれや育ちで人を差別するのはよくないことでしてよ」
「はっ! 大変失礼を致しました。お嬢様の空よりも広く海よりも深い博愛精神を見習って、このセバスめも心を入れ替えたく存じます」
一方、肝心の二人はこの調子である。普段とまったく変わらない。ウドライェドワが興味を抱いた「高貴にして玄妙な芳醇馥郁たる香り(そう招待状に書かれていた)」の原因は十中八九この二人だろう。できれば家に置いてきたかったが、招待状には親戚の子供達もご一緒にとあった。実質的な命令である。
(どうして俺がこんな目に遭わなきゃいけないんだ……)
元凶である二人の様子を見ていると、一人だけ思い悩んでいる自分がひどく哀れで滑稽に感じる。こっちは匂いを誤魔化すために、あちこちで香水を買い集め、香水屋の女店員からひどく不審な目で見られたというのに。
(肉屋の親父さんも急に店を閉めちゃったし、支出が厳しすぎるよ。今月の家賃は払えるかなあ……)
支出は増えたのに、墓荒らしで手に入れた死体を買い上げてくれる肉屋が店を閉めて消えてしまったのだ。どこか筋の悪いところに借金でもあったのだろうか。流れ者が多いこの街では、人が急に姿をくらますことなど珍しくもない。店を構えていたと言っても所詮は三等街のボロ物件だ。何かマズイことがあれば、そんなものは擲って夜逃げしても不思議はない。
おかげで、イスグングゲズィは別の肉屋を探す羽目になった。足元を見られ、買値を値切られてしまって収入も減っているのである。
(長い付き合いだったのに、一言もなしに消えちゃうなんて、まったく冷たいもんだよ……)
内心で愚痴りつつ、門番に招待状を見せる。
斧槍を担いだ食人巨鬼は、招待状とイスグングゲズィたちの顔を見比べて鼻で笑うと、「着いてこい」と顎をしゃくった。
* * *
「やあやあ、よくぞ招待に応じてくださった。今宵は美酒と美食を存分に味わっていただきたい」
「は、はあ。お招きに預かり光栄です……」
イスグングゲズィが通されたのは、広々とした食堂である。ホウウィニとセバスは別の部屋に通された。「大人の話し合い」に子供は不要というわけだ。ホウウィニはもちろん、セバスも食人巨鬼の視点では年端のいかない少年にしか見えない。
料理を美しく彩るためだろう。食堂のそこかしこで暖色の魔術灯が煌々と輝き、壁は大小の絵画で埋め尽くされ、飾り棚には古代遺跡から発掘されたのであろう骨董品や、金銀や宝石がふんだんにあしらわれた装飾品がすし詰めになっている。豪華な内装だけでも圧倒されるのには十分なのだが、それ以上に。
食卓だ。
イスグングゲズィが四人は大の字で寝そべれそうな食卓。それには染み一つない真っ白なシーツがかけられ、その上にはほとんど隙間がないくらいに様々な料理が載っている。兎、鶏、雉、仔豚に仔羊と丸焼きだけでも何種類もある。巨大なダンゴムシみたいなのはひょっとして屍奪蟲の幼生か? さすがにあれを勧められたらどうしようと背筋が寒くなる。それ以外にも煮込みに蒸し物、揚げ物、ひょっとしてあれは生肉か? うげえ……。と盛りだくさんだ。イスグングゲズィの貧弱な教養では、食卓の上の料理の一割も正確な名前を答えられないだろう。
「まあまあ、楽にしてくれたまえよ。まずはオミキでも一献いかがかな? 東方から取り寄せた特別な酒でね。米や麦から出来ているというのに、もぎたての果実のような香りがするんだ」
「は、はあ……」
傍らに控える新古樹族が、手元のグラスに恭しく透明な酒を注ぐ。口をつけると花のような香りが鼻を抜ける。口当たりはよいが酒精は強いようで、胃の底から立ち上る爽やかな余韻が続く。
「これが生肉によく合いましてな。東方ではサシミという料理で、はは、彼の国の民はただ食材を切って盛るだけでも繊細な料理に昇華してしまう。大したものだ。さあ、そちらの黒いソースにつけて試してみなさい」
「は、はい……」
生肉など気持ちが悪いが、真正面から勧められては断るわけにもいかない。フォークを突き刺して一口頬張り、ほとんど噛まずに飲み込む。口腔に残った尿臭さに思わず吐きそうになるが、オミキで流し込んでなんとか落ち着いた。
「いかがかね? 最高の味だろう?」
「は、はい……」
震える声でなんとか頷くと、
「ひゅー、見かけによらず大した度胸だな。俺なら死んでも食いたくねえ代物だぜ」
背後から声をかけられ、椅子の上で身をひねる。
そこには銀色の魔狼を従えた銀髪の戦士が、その巨躯を壁にもたれさせていた。ジンガルドガルドだ。太い両腕を広げ、おどけた仕草でにやにやと嗤っている。
「まったく、ガドル君は風流を解さなくて困ったものだよ。さてさて、それはいいとして、話のわかるイスグングゲズィ君――いや、グング君と呼んでいいかね? グング君に、儂からお願いがあるんだよ」
「は、はい……」
来た、と思った。
本題だ。ウドライェドワが求めているのはイスグングゲズィのつまらないお追従などではない。「高貴にして玄妙な芳醇馥郁たる香り」の正体だ。上手い言い訳など思いつくはずもなく、墓荒らしで暴いた死体がたまたま上物だったのではないかとか、そんな言い逃れしか準備はない。納得されなくとも、あとは知らぬ存ぜぬで通すしかないだろう。
ウドライェドワが肥満体を食卓に寄せ、身を乗り出す。
びっしり並んだ食器がガチャガチャと耳障りに鳴る。
「グング君が飼っている人間二人だがね、儂に譲ってはくれんかね?」
「……は?」
心臓を掴まれたような気がした。
ウドライェドワの口元は微笑んでいるが、目は笑っていない。欲望にギラギラと輝いて、そう、これは美味そうな食材を見るときの目だ。
「ししし知りませんよ。人間の子供なんか……」
「ほう、子供。儂は子供などとは一言も言ってないんだがねえ」
巨体がずいとテーブルを押す。
揺れた食器がカチャカチャと騒ぐ。
「諦めろよお、大将は美味いもんにゃ目がねえんだ。わざわざ緑肌矮人の占い師まで雇ってガキどもの正体を調べたんだぜ。そんなことすんなら俺に仕事をくれりゃいいのによ。で、なんか手間取ってやがったが、どっちも食人巨鬼じゃねえのは確かだってさ」
背後からはジンガドラガドラの太い嗤い声。
「そう怖がる必要はない。何も無理やり取り上げようってわけじゃないんだ。人間の子供を飼って自分好みの味に育てようなんて実に風流じゃないか。グング君、儂は君と友人になれそうだと思っているんだよ。譲ってくれるのなら、適正な対価の用意もある。ああ、もちろん独り占めなんかしないさ。最高のシェフに最高の料理をさせよう。それを一緒に味わわないかね? 食材が一流でも調理が三流では台無しだからね。グング君にとってもそう悪い話ではないと思うんだが、どうかね?」
食卓が揺れる。落ちた皿がけたたましく悲鳴を上げる。
口の中が急速に渇いていく。
舌をもつれさせながら、なんとか答える。
「し、知りません。そんな、人間の子供なんて……」
「おいおい、まだとぼけんのかよ。マジで大した度胸だなあ。いや、大した食欲か? 大将とは本当にいい友達になれそうじゃねえか」
げひゃひゃひゃひゃ。
ジンガルドガルドの哄笑が食堂を満たす。
「なあ、いいだろ? もう俺の仕事の番なんじゃねえか? ちょっと競蜥蜴でやられちまってよお、懐が寂しいところなんだわ」
「待て待て。さすがに気が早い。グング君はまだ事態を正確に飲み込めておらんのだよ。あれを見れば、きっとわかってくれるだろう」
太った芋虫を束ねたような、ウドライェドワの手が二度柏手を打つ。
食堂の扉が開き、食人巨鬼の使用人がワゴンを押してくる。
「…………して……して……」
ワゴンに被された白布の下からは、か細い声が聞こえてくる。
聞き覚えがある気がする声色。
猛烈に嫌な予感。
ワゴンがすぐ脇までやってきて、
「さあ、見せてあげなさい。ああそうだ。つい先ほど、君が食べたサシミを提供してくれた男だよ。ついでに味の感想を伝えてあげるといい」
白布が取り払われて、
そこには、
「…………ころして……ころして……」
よく見知った食人巨鬼の生首が、剥き出しの肺と心臓につながれて、繰り返し慈悲を乞うていた。




