第14話 お忍びデートですの!
「しかし、それにしても細っこい子たちだねえ。ちゃんと食べさせてあげてるのかい?」
「え、いや、そ、それはもちろん……」
しかし、おばちゃんはまだ解放してくれない。
ホウウィニたちを頭のてっぺんからつま先までじろじろと薄目で見て、今度は肉付きの悪さに文句をつけてくる。人間と食人巨鬼では、生まれつき骨の太さが違うのだ。いくら変装をしたとはいえ骨格まではごまかせない。
とはいえ、同じ人間にしたって二人は華奢な方だ。質はともかく量だけは毎日たくさん食べさせているのに、どうして太らないのだろうか。(とくにホウウィニはイスグングゲズィよりも食べるのだが。あれだけの食べ物が一体どこに消えてしまっているんだろう?)
「ま、買物の量からして食わせてないってことはないんだろうけどさ。あー、それじゃアレかい。安物の肉ばっかり食わせてて精がつかないんだろうよ。ほれ、お嬢ちゃんたち、こいつをあげるよ。新鮮な迷宮産牛頭鬼のステーキサンドさね」
「わあ、ありがとうございますの!」
「ちょ、ちょっとおばちゃん。そんな高いの買えないよ!?」
「はあ、甲斐性がないねえ。心配おしでないよ。これはあたしからこの子たちへのおごりさ。あんたの分はないから物欲しそうな顔してんじゃないよ」
ホウウィニはスカートの裾をつまんで優雅にお辞儀をして、それからステーキサンドを両手で受け取った。食人巨鬼サイズだから顔よりも大きい。
「はあ、驚いた。ずいぶん育ちのいいお嬢さんだね。このぼんくらの親戚とは信じられないよ」
「ぼ、ぼんくらって……」
「ぼんくらもぼんくらじゃあないか。あんた、この街に来た頃は迷宮探索者になって一旗揚げるつってたろう。この牛頭鬼肉だって、迷宮探索者が狩ってきたもんをお裾分けしてもらったのさ。あんたよりずっと後にこの街に来た若者がだよ? 立派なもんじゃあないか。それをあんたは墓荒らしだなんて仕事ともいえないような仕事をして。迷宮組合の登録だけは未練たらしく残してるんだろう? そんな女々しいことしてないで、いっそ――」
しまった、説教モードに入ってしまった。これは長くなるぞ……。仕方がない、意識を他に飛ばして聞き流そう。
イスグングゲズィは迷宮街に来た頃のことを思い出す。この街には成人の儀を済ませてどれほども経たないうちにやってきた。祭りで聴いた、二足山羊の吟遊詩人が歌う迷宮探索者の英雄譚。それに憧れて、宝物の椅子と根拠のない自信だけを持って。根拠のない自信の方は、半年も経たないうちに失くなってしまった。迷宮の三層でパーティが全滅し、それ以来、迷宮には近づいていもいない。自信の代わりに残ったのは、ヌ=エンドと名付けた鉄棒と、返せないまま手元に残った組合員証。
迷宮都市ラビリントゥムは、その名の通り「迷宮」を中心とする都市だ。地底深く、どこまでも広がる地下構造を迷宮と呼ぶ。それは混沌の残滓とも、未知の別世界へと繋がる通路だとも言われる。どこから湧き出すのか、迷宮内は鉱物生物その他の資源で溢れており、中には地上では手に入らない希少品もある。極めて稀なことだが、小国が買えるような財宝が発見されることさえあるのだ。砂糖に群がる蟻のように、一攫千金の匂いに惹かれた人々によって出来上がったのがラビリントゥムである。
だが、誰も彼もが一攫千金を目指せるほどに迷宮は甘くない。迷宮内は無数の罠や怪物で満ちており、足を踏み入れれば命の保証などない。深く潜れば潜るほど貴重な財物が見つかる一方、危険度も比例して高まっていく。まるで人の欲につけ込んで奥へ奥へと誘い込んでいるようにも見えることから、混沌が復活するために残した、人の魂を喰らう仕掛けなのだと大真面目に唱える者さえいた。
もし、それが本当なのだとしたら――迷宮を離れる決断をした自分は正しかったのだろう。臆病風に吹かれたわけじゃない。混沌が仕掛けた奸計を回避したに過ぎないのだから、むしろ賢明と言える。闇雲に危険に挑むのは勇気ではなく蛮勇だ。英雄マコマだって、見え透いた罠に自ら飛び込んだりはしないだろう。
「――だからあんたはね。って、ちょっとあんた! 聞いてんのかい!」
「……っ!? き、聞いてるよ。あ、もうこんな時間だ。ちょっと次の用事があるから、じゃっ! サンドイッチありがとう!」
まだ話は終わってないよ、とまだまだ続けようとするおばちゃんの声を背中に浴びつつ、イスグングゲズィはホウウィニの手を引いて退散する。店先に並んでいた惣菜が名残惜しいようでちらちらと振り返っていたが、「もっと美味しい屋台があるから」と言い聞かせ、なんとか引き剥がすことに成功した。
ホウウィニは食べ物を与えておけば大人しい。これまでの共同生活で得た知見である。
屋台が一番集まっているのは中央広場だ。徐々に密度を増す人混みをかき分けながら道を進むが、この混雑ではホウウィニがどこかに押し流されてしまいそうだ。それでなくともちょろちょろと落ち着きのない子である。いつの間にかどこかに消えてしまってもおかしくはない。
さっそく、ホウウィニは何かに気を取られていた。視線の先をたどると親子連れの食人巨鬼。肩車をされた子供が、きゃっきゃとはしゃいだ声を上げている。そうか、あれなら迷子の心配がない。
「あれ、やりたいの?」
「はいっ! やってみたいですわ!」
一応、確認を取ってからホウウィニを肩に乗せる。勝手をやるとセバスが嫌な顔をするからだ。しかし、ホウウィニからの頼みという形であれば、嫌な顔をしつつも文句は言わないことをイスグングゲズィは学んでいた。
頭上からきゃっきゃとはしゃいだ声が聞こえ、頬をペチペチと小さな足で蹴られる。髪の毛をぐいぐい引っ張られる。だが、所詮は人間の細腕だ。別に痛いということもない。かといって不快かと言えばそういうこともなく、ホウウィニの弾んだ心が伝染してくるようで、イスグングゲズィの心も少し浮き立った。なお、セバスは不機嫌そうな半目の視線をこちらに向けている。ま、いつものことだ。慣れてきた。
「グング様、見て! あれがヴィァトの泉ですわ! わたくし、『食人巨鬼の休日』で観ましたの!」
ホウウィニの足が急かすようにぱたぱた動く。
イスグングゲズィの視線の高さではまだ見えていないが、言われなくても知っている。この街にはもう五年も住んでいるのだ。『食人巨鬼の休日』も、ホウウィニに付き合わされて隣で観ている。何年か前に遊びに来た姪っ子にも付き合わされたから、軽く十回以上は観ている計算だ。(計算が合わないと思うかもしれないが、それぞれに五回以上は付き合わされているからちゃんと合っている)
少し進むと、イスグングゲズィの目にも大きな噴水の姿が見えてきた。ヴィァトの泉は中央広場の中心に設けられた噴水で、謝肉街でも指折りの観光名所である。噴水を彩る勇壮な食人巨鬼戦士たちの彫像は凄まじいまでに精緻を極め、まるで生きているかのような迫力で躍動している。迷宮街の創成期から存在し、石化の呪いを受けた迷宮探索者がそのまま使われているのではないかと、まことしやかに言われているほどだ。
きっと近くで見たいだろう、そう思って、噴水のすぐそばまで足を進めた。そこまで来ると地元の住民は誰もおらず、観光客だけになる。飛沫で濡れるからだ。旅先ならば非日常として楽しめるが、日常となっていれば鬱陶しいだけである。イスグングゲズィもこんなそばまでやってくるのは久しぶりのことだった。
(っていうか、この街に来たばかりのときに近づいたきりか)
泉は陽光を照り返してきらきらと輝いている。揺れる水面に透けて、無数の貨幣が沈んでいるのが見えた。ヴィァトの泉には言い伝えがある。貨幣を投げ込んで願い事をすると、それが叶うというのだ。銅貨なら小さな願い事が、金貨なら大きな願い事が……とずいぶん即物的な言い伝えで、定期的に回収に来る役所が収入を増やすために意図的に流行らせた伝説に違いないと、地元住民の間ではもっぱらの噂だ。(もちろん、観光客にわざわざ告げ口する無粋な者はいない)
街に来たばかりのイスグングゲズィはそんな世知辛い噂のことなど知らず、この泉になけなしの小金貨を放り込んでいた。願いは何だったか。たしか、マコマのような英雄になりたいと願った。それが叶わなかったのは明白で、言い伝えの信憑性については推して知るべしというところだった。
「わたくしもお願いごとをいたしますわ!」
頭の上で、ホウウィニがもぞもぞ動く。たぶんポシェットから小銭を取り出しているのだろう。「えいっ」と鈴が鳴るような声とともに、きらきら輝く赤銅色の軌跡が放物線を描いて、ぽちゃんと泉に波紋を広げた。昨日の晩、せっせと磨いていた小銅貨だ。セバスが代わろうとするのも止めて、「こういうものは自分でやるからご利益がありますの!」と何時間も飽きずに酢で磨いていた。部屋の空気が酸っぱくなって閉口したが、楽しそうなのでついそのままやらせてしまった。
「何をお願いしたの?」何の気なしに聞くと、
「こんな幸せな毎日がずっと続くようにお願いしましたの」と無邪気な声が降ってくる。
「そんな簡単なお願いなら――」言いかけて、
(俺は今、何を言おうとした?)
言葉を飲み込む。
ずっと続くわけがないのだ。
ホウウィニは、あくまで食料である。
いまは味を良くするために飼い込んでいるにすぎない。
牛飼いと同じ。そう、牛飼いと同じことをしているだけなのだ。
(牛飼いは、牛にこんなことを言われたらなんて答えるんだろう)
田舎の牛飼いの顔を思い浮かべ、それから馬鹿なことを考えたと頭から追いやる。牛は喋らないのだ。
「何かおっしゃいましたか?」
「い、いや、なんでもないよ。俺は金貨を投げ入れたことがあるんだけど、願い事は叶わなかったなあって思い出していただけ」
「まあ、それは残念ですわ。何を願いましたの?」
「つまらない――いや、大それた願いだよ。金貨なんかで足りるわけがなかったんだ」
マコマのような英雄になりたい。
そんな願いが金貨1枚で叶うなら、この世は英雄で溢れかえっているだろう。
「そうですの? でも、まだ叶っていないだけかもしれませんわ?」
碧い瞳が逆さまに覗き込んできて、にこっと笑う。
なるほど、物は言いようだ。ヴィァトの泉の言い伝えに時間制限なんて設けられていない。この泉に集まったすべての願いは、ひょっとしたらぜんぶ「まだ」叶っていないだけなのかもしれない。
でも――
ホウウィニの願い事だけは、叶わないことが決まっている。




