06 アルフレートのトラウマになりまして
伯爵令嬢 メイヴィス・モルゲンシュテルン
伯爵令息 アルフレート・ローゼンタール
伯爵令嬢 エレオノーラ・ヴァランティーヌ
「え?…あ、あの…」
驚いて声を漏らすと、アルフレートもハッとしたようだった。
アルフレートも自分の行動に驚いたように見えた。
「あ、ご、ごめん。その…」
アルフレートがもごもごと言葉を濁している。
耳まで赤くなっていて、視線が泳いでいた。
たぶん、ちょっと体のバランスを崩しただけだと思う。
それなのに、ちょっとだけ「わざと抱きしめてくれたのかも」と期待してしまう自分が恥ずかしかった。
だから、慌てて体をアルフレートからはなす。
乱れた呼吸を誤魔化すように、私は咳払いをした。
「いえ。そうですね。エレオノーラ様がどうして『簡単に』帳簿を手に入れられたかは気になりますし。気にしておきましょう」
そう言って話題を反らした。
自分でもわかるくらい声が少し上擦っていて、平静を装うので精一杯だ。
情けない。
心臓の音がドキドキとうるさい。
耳の奥まで脈打つ音が響いていて、落ち着こうとしても全然落ち着かない。
これはきっと、推しをまじかで見てしまったからだと思うことにした。
それ以外の理由を考えてしまうと、余計に顔が熱くなりそうだったから。
部屋を出る頃には外はすっかり暗くなっていて、廊下のランプだけが静かに灯っていた。
その日はそれで解散しようということになった。
決まったことは、皇太子断罪の時期。
皇太子に私たちが動いていることを気がつかれているとしたら。
悠長に構えている時間はない。
本当は前回のときと比べながらじっくりと作戦を練りたかったけれど。
現在の時期は、前回の時期よりも半年ほど早い。
けれど、ここまで状況が動いてしまった以上、先延ばしにするほうが危険だった。
「これ以上、皇太子に邪魔をされても困るし、予定より少し早いけど、皇太子には退場してもらったほうがいいだろう」
アルフレートが低い声でそう言う。
窓の外の闇を見つめるその横顔は、先ほどまでの柔らかな空気とは違い、決意に満ちていた。
その言葉に私も静かに頷く。
「以前は、エレオノーラの提案で舞踏会で行ったんだけど。あえてみんなに公表する必要はないし。今の時期なら御前会議に乗り込むのはどうかな?」
静かな室内に、突拍子もないその提案が投下された。
御膳会議か…
大勢の前で断罪をおこなうのは、乙女ゲームの鉄板だからね。
あえての舞踏会だったんだろうけど。
今回は多くの人に見てもらう必要はない。
ただ、皇太子が断罪されて、廃皇太子になってくれればいい。
「そうですね。今度の御前会議はいつかご存知ですか?」
伯爵令嬢はそういう会議については知らされない。
でも、伯爵令息であるアルフレートなら、そういう情報も入ってくることがあるのだ。
「たしか、この日かな。前回断罪したときの舞踏会は、この日…」
アルフレートは一度は仕方ないとした時期を気にしているようだ。
記憶をたぐるように視線を遠くへ投げている。
「そうですね。エレオノーラ様がもともと悪事を暴く帳簿を持っていたのだとしたら、ちょっと気になりますけど」
前回とは違い、アルフレートとエレオノーラは調査協力をしていない。
エレオノーラはどうするだろう。
悩みながら、一旦、御前会議で断罪する方向で計画を練ることにした。
御前会議に向けて順調に準備をしていると、また困った事態になってしまった。
「どうしてだか、舞踏会の日が前倒しになったんです」
私がそう言うと、アルフレートも驚いていた。
「歴史が、変わったってことかな?」
そう言って首を傾げている。
歴史がいい風に変わったならいいけど。
どうして舞踏会の日程が前倒しになったのか、誰に聞いても理由がわからなかったのが気になる。
それからどうしようか2人で話し合ったけれど、予定通り、御前会議で断罪しようということになった。
そうして、前回は皇太子が断罪された舞踏会の日となった。
大広間には以前と同じ装飾が施され、音楽だけが違う時間を刻んでいるようだった。
今回は何も起こらない予定だけど、心配でアルフレートと一緒に参加することにする。
一応、お付き合いをしていることになっているので、アルフレートと色を合わせたドレスにした。
鏡の前で確認したとき、少しだけドキドキした。
フリだってわかっているけれど。
推しと色を合わせるなんて、光栄すぎる…
いつも推しはカッコいいが、正装している推しは二割増しでカッコいい。
照明を受けて立つ姿が、眩しい。
スチル、これはもう、リアルスチル。
そんな推しにエスコートしてもらえるなんて、すごいご褒美だ。
「アルフレート様っ」
鈴の鳴るような声で、エレオノーラが駆け寄ってきた。
なにか、デジャブ。
記憶の奥がざわつくような既視感がある。
「最近、お屋敷に行ってもお会いできなくて。待っておりましたのっ」
そう言って、エレオノーラがアルフレートに抱きついた。
ドレスの裾が揺れ、香水の匂いが一瞬だけ広がる。
私が目の前にいますけど?
「エレオノーラ嬢、俺のパートナーはメイヴィス嬢だ。悪いが、迷惑なんだ」
周囲の視線が一瞬こちらに集まるのを感じながら、アルフレートがエレオノーラの手を振り払う。
エレオノーラの表情が一瞬強張った。
そして、声を押し殺したようにアルフレートに言葉を吐く。
「まあ、そんなこと。私におっしゃってもいいのかしら?私がいないと、あなた、皇太子になれないのよ?」
エレオノーラがアルフレートを見て、たしかにそう言った。
空気が一瞬だけ凍るように止まる。
「…エレオノーラ様、それ、どういう意味ですか?」
私がそう尋ねると、エレオノーラがハッとしたようだ。
「い、いえ。深い意味はありませんわ。ただ…今日の舞踏会では、私とパートナーでいたほうがいいと思いますよ」
言葉を取り繕うように笑みを作ると、エレオノーラはアルフレートの腕にぎゅっとしがみついた。
アルフレートがあらためてエレオノーラと距離をとった。
その動きは迷いがない、明確な拒絶だった。
「俺のパートナーは、メイヴィス嬢だ。本当に迷惑なんだ。もう、話しかけないでくれ」
そう言って、私の手をとって会場に入った。
「よろしいんですか?エレオノーラ様、何かご存知のようでしたが」
人混みから少し離れたところでおずおずと尋ねると、アルフレートが微笑んだ。
「いいんだ。話していると…その、女性に対してあってはいけないが。手が出そうで」
アルフレートがそう言って、拳を握りしめている。
エレオノーラがもう、トラウマレベルになっているんだろう。
「冷静でいられたのは、君が隣にいてくれたからだ。2人でいたら、本当に何をしていたか…。ありがとう。それと…彼女が何かをするかもしれないから、ちょっと作戦会議をしないか?」
そう言われて、私もそうしたいと思っていたところだと伝えた。
ちらっと、エレオノーラのさっきの表情が思い出された。
女神の仮面が剥がれた瞬間のような…
なんだったんだろう。




