7篇:人間牧場・伍
──――謁見の間
総督府本庁5階に設置された、打ちっ放し混凝土の大広間は、停電下。
乱雑に置かれた古い発電機が黒煙と呻りを上げ、貧弱で朦朧とした光をぬるりと産声つ。
謁見の間は、何時しか、決戦の業魔に。
本来の目的が損なわれた空間、備忘録の喪失。
そう、今や此処は、バズソーの待ち構える暴力の巣窟。
薄汚れた観音開きの重厚な扉を開き放ち、雪崩を打って踊り入るユウジら家畜人達。
手にした䂨り工具には、夥しい返り血。
其れは、正に此処に迄辿り着く事の出来た勇者と呼ぶに相応しい戦果。
階下外、町に続く城門の錠は開かれていた。
逃れる事は出来た。
だが、彼らはそれをしなかった。
「バズソーォォォォッ!!!」
雄叫び。
抑圧され、虐げられ続けた者達の怒りは、時に激しく獰猛。
明らかに、嘗て殃餓だったであろう守衛達に恐れる事なく、猛烈に突っ込むユウジ達。
たじろぐ守衛は、不意を突かれた形で押し倒され、電動工具の餌食に。
無慈悲な暴力はこの時だけ立場を逆転させ、支配者側にあった筈の彼らに下される。
この一瞬を切り取った時、暴力の其れは、善悪観念を完全に見失い、正義の審判は其の行方を眩ます。
暴力の本質は、酷く公平で、其処に善悪を謳う余地は一切無かった。
そして、その暴力の結果作り出された残酷な光景は、其れを見た者達に幾つかの策を想起させる。
例えば、思考停止による硬直、つまり、無抵抗、棒立ち。
將亦、恐怖からの解放、即ち、脱兎の如く逃亡。
併し、彼らの取った行動は違う。
そう、防衛本能への回帰。
至ってシンプルな選択、其れが対抗装置としての暴力、その連鎖。
守衛とは云え、元々は殃餓。
殃餓共の殆どは、間違いなく汚染されている。
先天異常も然る事乍ら、極度の環境汚染や感染症、危険薬物摂取、精神障害、身体改造等に伴う後天異常も含め、成長ホルモンの分泌過多や染色体異常、遺伝子疾患を引き起こし、巨人症や小人症他、顕著な身体の異常性を伴う。
通常、是程重度な汚染に曝された人間は、生存出来ない。
併し、特異な環境性に因り、稀に優性的に生存能力の高い者も現れる。
其れらが殃餓であり、人間であり乍ら、人間とは呼べない特異性を有する。
特に、暴力を生業にしている殃餓共は、通常では有り得ない程の巨軀に加え、尋常成らざる膂力を持つ。
普段、無抵抗な家畜人達の果敢な攻勢と意気込みに戦いたものの、殃餓としての本能的な暴力性、その野生の勘と係る力は、一般の其れを遙かに凌駕する。
“勇気”とは、根本的に違う無意識の攻撃性、肉食獣の持つ行動原理、その素性。
野獣の本能、敵意とは無縁の剥き出しの害意、其れが殃餓共の本質にして本性。
ユウジ達の優勢は、間もなく、覆る。
鶴橋を振るった仲間の家畜人が守衛に捕まる。
鶴橋は守衛の分厚い胸板に突き刺さるものの、無情にも根元からぶち折れ、咆吼を上げた守衛が家畜人に襲い掛かり、腕を伸ばす。
――鯖折り。
元殃餓の守衛の、其の丸太の様に太い両腕が家畜人の胴回りを抱き込み、絞る様にギリギリと締め付ける。
――ギャッ!
口から鮮血を吹き出し、脇腹からは肋が飛び出し、家畜人は背中方向に折れ曲がり、絶命。
一瞬の出来事、とは云えない。
只、其の僅かの時間、ユウジと共に戦っていた家畜人達は、その壮絶な光景を見てしまった。
怒りに満ち溢れ、我を忘れて挑んでいた家畜人達は、一斉に鼻白み、たじろぐ。
そう、思い出したのだ、守衛達が元殃餓共だと。
其れは、荒野を縦横無尽に駆る悪漢、悪鬼羅刹の如き化け物。
冷や汗を感じつつ、恐怖が蘇り、萎縮する。
家畜人達は、我に返ってしまった。
畏怖と云う名の追い水を煽り、優勢にあった暴力行為と云う酔いから一気に冷め、素面になってしまった。
急に立ち止まり、其れ処か後退る者迄。
――まずい!
ユウジがそう思った、刻同じくして、バズソーが一喝。
「ンああッ!早くその汚らわしい蟲螻共を始末しろっ!」
――ゥオオッッ!!
守衛が声を上げ、迫る。
堰を切ったように押し寄せる守衛ら。
止まらない、止められない。
怯えきった草食動物の群れに、血に飢えた野獣を止める術等有りはしない。
空しく凶器代わりの工具を振るう者、採集されピン留めされた昆虫のように動けない者、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う者。
守衛の振るう凶器に吹き飛ばされ、その屈強さに蹂躙され、見るも無慙な肉塊と化す。
一方的。
最早、戦闘とはとても云えない。
唯々、一方的な残虐行為。
息絶えた鼠を咥え、翫ぶ猫宛らの無邪気な所作。
只、此の場合、其れは無慈悲な虐殺に他ならず、猛獣の狩り場の様相を呈していた。
足が竦む。
仲間達がいとも容易く殺害される様。
こんなものを見せ付けられて、正気を保つのは酷な話。
ユウジは、首筋を伝う汗を拭う。
――逃げ出したい。
もう、駄目、だ。
総督を倒す処か、追い詰める事さえ出来ない。
逆に追い詰められた。
この儘では、全滅は免れない。
逃げる、しか無い。
そう覚悟して、勢い良く、足を踏み出す。
力強く、一歩。
――うおおおぉぉぉーーっ!!
「…グヘッ」
強烈な回転を伴ったハンマードリルの切っ先が守衛の喉元に風穴を穿つ。
喉と口から大量の血を吐き出し、地に倒れる。
横たわった巨体を乗り越え、ユウジは踏み出す。
“勇気”。
奴らとは、違う。
覚悟が、意気が、気合いが、何より、背負ってるものが。
「親父の仇を討つ!
行くぞ、バズソー!!」
奥に拵えられた安物の玉座に踏ん反り返っていたバズソーがのそりと立ち上がる。
「ンん~、下らん。殺れ!」
守衛の鎚鉾が襲う。
――ブゥォン!
ハンマードリルで防ぐ、がそのまま吹き飛ばされる。
激突。
部屋隅迄吹っ飛ばされ、壁に背中をしこたま打ち付けられる。
――ハ、カッ…
衝撃で一瞬、呼吸困難。
違う。
そう、何もかもが。
パワーもスピードも体力も。
何より、暴力の“質”が。
動けない。
何処か痛めたのかも知れない。
体が麻痺して立ち上がれない。
迫ってくる守衛。
浅はかだった。
“勇気”と云う思い込み。
これは勇気じゃない。
驕慢。
何とかなる、と思い込んだ驕心、慢心の類、単なる思い上がり。
自分には、背負ってるものがある“父の仇を討つ”と云う想い。
この感情が、特別、だと思い込んでいた。
特別だから成就出来る、と。
勘違いも甚だしい。
相手は、殃餓。
元、と云っても、その性質は何も変わりはしない。
まともな人間が勝てるような連中じゃない。
此処迄一緒にやって来た仲間の家畜人達の方が正しかったのだ。
殃餓を恐れ、逃げ惑った彼らの方が、遙かに正しい。
俺は、勇気と偽った自惚れで、殃餓を侮り、あろう事か、仲間をも蔑んでいたのだ。
俺は、違う、と。
鎚鉾が高々と振り上げられる。
薄汚れた発電機の光を背に受け、巨軀の守衛とその手に握られた鎚鉾の影がべったりとユウジを包み込む。
――父さん、ごめん。母さんを看てやれなくて…
――そして、サチ、すまない。帰れなくて…
――愛してるよ、サチ…
影が揺らめく。
突然、守衛の影が騷めき、確かな質量を帯びる。
「協力しろとは云ったけど、バズソーを襲えなんて云わなかった筈よ」──影から。
体積を得た黒い塊のようなものが影から分離すると、其処を占めていた空間に闇はなくなり、守衛の影は分断される。
どちらが先かは、分からない。
ほぼ同時に、守衛の肉体が分断され、それぞれ床に倒れ転げる。
守衛の体は不自然に穿たれ、絶命している。
真っ二つに引き千切られているにも関わらず、一切の出血が見られない。
異様なのは、その傷口。
傷口と思しき其の箇所は、まるで墨を流して暈かした様な、闇より暗い、黒より黑い不可視領域。
嵩を得て分離した方の影は、急激に立体を顕わにする。
モノクロからグレースケールに、鮮やかに、明確に、彩度を上げ、遂に、白い少女を映し出す。
「ノ、ノンナ!」
「…他のフロアに居た殃餓上がりの守衛は全て処理した。後は、此処だけ」
――な、なんだコイツはっ!?
余りにも不自然極まりない猟奇的な仲間の死に様に、他の守衛達が異変と気付き、声を上げる。
ぞろり、と集う守衛達。
じろり、と一瞥をくれる少女。
のそり、と玉座から此方に歩を進める総督。
「ンん~?なんだ、この小娘はァ~?」
「――お前が、バズソー、か?」
「ンぁ?如何にも俺が、このシンクア総督、バズソー様だ。
ンで小娘っ、其方は何者だ?」
「Бог Смерти」
「ンぁあ?」
「――死神」
「ンん~?ぷっ、ぷァ~っふぁッふァっフぁっファ~ッ!」
「――」
「――つまらン、殺れ!」
思い思いの凶器を手にした守衛共が少女を取り囲み、息を潜める。
少女も目を閉じ、押し黙り、ぴくりとも動かない。
守衛達は、推し量ったかの様に躙り寄り、間合いを詰める。
張り詰めた空気。
静寂は、軈て、怒号によって搔き消される、
――うぉぉぉぉぉーーーッッ!
一斉に躍り掛かる守衛。
カッ、と瞳を開く少女。
そして、ぼそり、と呟く。
「影に畏れ慄き、白日の夢に、絶滅せよ」