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海のバビロン~淫蕩この上なき堕落の都と半魔の坊ちゃんが捧げる純情の行方~  作者: 初春餅
終幕:僕の腕の中にいる人は

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98.僕の腕の中にいる人は1

 ジェルソミーナが震える手でヴェールを外すのを、レオは大人しく待っていた。


 素顔でレオと対面するなど、一体何年振りだろう。


 はらりと現れたジェルソミーナの素顔を、レオはものも言わずに凝視していた。紳士にあるまじき行為だったが、それを咎める権利はジェルソミーナにはない。


「ミーナ……」


 そう言うなり、レオは羽根布団の上に突っ伏した。


「そうじゃないかと思ってたんだよ……! でもまさか、そんなことある訳ない、そんなの僕の思い違いだって、何度も自分に言い聞かせて……!」


 ああ、やっぱり本当は気づいていたのだ……。


「レオ、本当に……ご……」


「――僕が好きなのは」


 羽根布団に顔を埋めたまま、レオがくぐもった声を上げた。


「ジェルソミーナだ……」


 躊躇いのない告白に、ジェルソミーナが赤くなった。レオはジェルソミーナの顔色も知らず、羽根布団の中にますます顔を埋めた。


「なのに、お前に惹かれていくのが止められなくて……!」


 ジェルソミーナは罪人のようにうなだれ、寝台の前に跪いた。


「レオ……本当に、ごめんなさ……」


 どう償えばいいだろう。大好きな人の心を弄ぶような真似をした。


 大切にしていたつもりだったのに。


「ミーナ……」


 レオが羽根布団から顔を上げ、ジェルソミーナの頬を拭った。


「泣かないで」


 気遣うようなレオの眼差しに、怒っている気配は微塵もない。


「どうして怒らないの」


 濃緑の瞳を涙に濡らし、ジェルソミーナは「怒れ」と言わんばかりだった。いっそ、もうなじってほしい。


「怒る? 僕が? 何故」


「あっ」


 一体何が起こったのだろう。急に体が軽くなった気がして、気づけばレオに抱き上げられ、レオの膝の上に跨っていた。


「レ、レオ――」


 淑女がしていい恰好ではない。未婚の男女の距離でもない。ジェルソミーナは慌てて降りようとするが、レオがそれを許さない。あられもなくレオに跨るジェルソミーナの腰に腕を巻きつけ、レオは熾火のような熱を宿した灰色の瞳でじっと彼女を見つめた。


「やっと捕まえた――あなただったんだ」


 ジェルソミーナは助けを求めて視線をさまよわせるが、ここは悪魔のねぐら。聖と俗を隔て、ジェルソミーナを守る格子はどこにもない。


「ミーナ、降りないで」


 なおも身を捩ってレオから降りようとするジェルソミーナに、レオは離すものかとしがみついた。


「尼僧様。僕の可愛いひと、どうか僕のおでこに祝福をください」


 レオは切羽詰まった眼差しをジェルソミーナに向け、まるで正当な権利を主張しているように、ぐいと額を突き出した。


「夢を、見たんだ。ヴェネツィアに帰ってきた時に」


 レオが言っているのはきっと、カルミネがレオとの約束を違え、早々に叩き起こしにいった時のことだろう。漆黒の睫毛を物憂く伏せ、レオはあの時、無心に眠っていた。


 どんな夢、と訊ねるより先に、鼻にかかった甘い声がうっとりと続けた。


「あなたは『お帰り』って言って、僕のおでこに祝福をくれようとした。けど、僕がもう、とっくにあなたの背を追い抜いてしまっていたから」


 言われてみれば、五年前はジェルソミーナの方が背が高かった。あの頃は子猫のように可愛らしかったレオが、今ではもうとっくに子供ではなくなって、それなのにジェルソミーナに必死で縋りつく様子は、まるで子供より子供のようで。


 レオは少年のように得意げにふふっと笑った。


「だから、僕は『どうぞ』って、あなたに屈んであげるんだ」


 随分と邪気のない夢だった。手練れであるはずのレオの言動は、時々妙に純粋だ。


 ああ、こういうところが――悪魔。


 ジェルソミーナはレオの頬を両手で挟み、額に唇を当てた。


「……お帰り、レオ」


 帰ってきてくれて嬉しい――。


 それは紛う方なき本心だったから。


 ジェルソミーナの唇の下で、レオが幸せそうに目を細めた。


 ずっとジェルソミーナを想い続けた一途で健気な男のように。

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