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海のバビロン~淫蕩この上なき堕落の都と半魔の坊ちゃんが捧げる純情の行方~  作者: 初春餅
第7章:ラ・ベッラ・エポカ

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93.ラ・ベッラ・エポカ3

「ねえ、もしかして」


 パーリアの答えも待たず、急くように問いを重ねるレオは、悪魔とも残酷な子供ともつかぬ、凄絶な笑みを浮かべている。


「フランチェスコ・クッキアイオの体ごと、名も知らぬ淫魔の娘の胸を撃ち、二人の命を奪ったのはもしかしてあなただった⁉」


 ――呆気ないくらい、小っちゃい穴だった。


 すべてが歪められる前に、フランチェスコ・クッキアイオとその恋人の死に様を見届けた人がそう言った。


「答えろ! ニコロ・パーリア!」


 背中の穴が小さかったのなら、射出口たる腹の方はひどいものだっただろう。


 フランチェスコ・クッキアイオは背中から撃たれた。


 ――女を撃った後、自害したんだ。


 どうやって? 調査官が射入口を見誤るはずがない。そうだったことにするように、誰かの指示があったのだ。


 祖父が到着する前に、母の体は跡形もなくこの世界から消えただろう。無理心中だったようだ、と祖父は説明されただろう。誰かの意向に沿うように整えられた現場と遺体。彼らの述べる事実とやらを、祖父は受け入れるしかなかっただろう。


 ――このままでは外聞がお悪いでしょう。公式には魔物と戦い、相打ちになったことにしましょうか?


 そんな風に、囁いたか。


 祖父はきっと断ったはずだ。だが結局、真相はうやむやにされた。共和国にとっても、それは大いに他聞を憚る状況だったから。


 クッキアイオのお世継ぎの変死など、それ自体が事件だというのに、一緒に死んだ相手が悪かった。知る人ぞ知る不実なビヨンデッタ。非公式ながら淫魔と遊べる店として、その筋では有名な娼館お抱えの、天使のように美しい高級娼婦コルティジャーナだった。


 ビヨンデッタという名は、店側が期待の新人に与える特別な名で、ある種の称号だった。


「――事故だったのだ、お若い方(ジョヴァノット)


 自分が銃を下ろしたことにも気づかぬまま、パーリアがぽつりと呟いた。


「あの淫魔が孕んでしまい、もう一刻の猶予もなかった。事はフランチェスコの酔狂では済まぬ。銃が通用するかどうかは、一か八かの賭けだった。よもやフランチェスコが飛び出して、魔物なぞを庇うとは! あれは避けようのない事故だったのだ!」


 へえ、そう……。


 ようやく知れた真相は、三文芝居よりもまだ陳腐だった。


 レオの目の前にいるパーリアは、十七年前の罪を心から悔いている。


 フランチェスコをその手に掛けてしまったことを。


 奪った命の片方だけ、フランチェスコ・クッキアイオという人の子を、意図せず死なせてしまったことだけを。


 ふっ、と気の抜けた笑みが、レオの唇から漏れた。


 パーリアが悲しげに首を振り、レオに再び銃口を突きつけた時、レオの耳は、別の撃鉄が引き起こされる小さな音を確かに聞いた。


 ――シルヴィオに預けてなかったのか……。


 淑女のドレスのどことも知れぬ場所から取り出された、馬鹿父の物騒な形見は今や、淑女のほっそりとした小さな手に握られている。


 為す術もないレオが横目でアデリーナの様子を窺っていると、カルミネが恭しくアデリーナのそばに立ち、優雅に腰を折った。


「――畏れながら」


「止めても無駄よ。お下がりなさい」


「止めませんが、僕の方が適任かと存じます」


 ――違う。カルミネ、そうじゃない。


 力なく首を振るレオの胸中も知らず、アデリーナは「そうですか」と思いの外すんなりとカルミネに銃を預けた。何に納得したのやら、レオには想像もつかない。


 カルミネはテーブルに両肘をつき、安定した体勢で銃を構えた。きらきら輝く濃緑の瞳は本気でパーリアを狙っている。


 レオはパーリアに向き直り、低い声で呼びかけた。


「ニコロ・パーリア。銃を下ろせ」


 助手にパーリアを狙わせ、互角の状況になった途端にこんなことを言い出した訳ではない。


 今この瞬間、レオの心を占めているのは、「カルミネに人を撃たせたくない」ということだけだった。


 この堂に入った狙いっぷり、どうせ射撃も上手いんだろう。それでもお前は人を撃っちゃいけない。


 レオの親心も知らず、レオの視界の外で、「ええい、邪魔だッ」と言わんばかりにカルミネがバウタを脱ぎ捨てた。


「お前は――」


 カルミネの素顔を見たアデリーナが、小さな叫び声を上げる。ずっとパーリアの方を向いているレオは、自分が衝撃の瞬間を見逃したことなど知りもしない。


「あなたの弾では僕を殺せない」


 だから大丈夫なんだ、とレオはカルミネに暗に伝える。撃たれると先に分かっていれば、レオにはいくらでも防ぎようがあるのだから。


「僕の助手に、あなたを撃たせないで」


 これはパーリアに。


 彼の良心に訴えるというより、このままではお前も撃たれるぞという警告である。


 レオは口を噤み、しばらく二人の反応を待ったが、どちらも銃を下ろす気配はなかった。


 もう……。


 レオは物憂く眉を寄せ、カルミネとパーリアの間に立った。


「旦那ッ⁉」


 うるさい。撃っちゃ駄目なんだ、お前は――あ。


 パーリアの勝ち誇った笑みを見て、レオは致命的なミスを犯したことを悟った。カルミネの銃を無力化する一方、パーリアがレオとカルミネ、二人ながら狙える位置にみすみす自分から入ってしまっている。


 やっちゃったな……。


 当たらなければいいやと気楽に考えていたが、これでそうもいかなくなった。下手に避ければ弾丸はカルミネに向かう。


 あっ、うそ。


 冷徹な老政治家は、無駄口の一つも叩かず速やかに引き金を引いた。

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