09.バビロンの軛3
「畏れながら、レオナルド様」
シルヴィオが表情を改め、恭しく跪いた。
「対価とはとてもなり得ませぬが、あなた様がヴェネツィアを守るように、今後はクッキアイオ家がジャコモ殿をお守りいたしましょう」
守る、とは……? とレオは首を傾げた。
ああ見えて父は大人の男なのだが、一体何から守ってくれるというのだろう。
「例えばですが、お酒を召し上がるとどこででも寝てしまうジャコモ殿が、うっかりそのまま運河に落ちて溺死したりしないよう、ご自宅に送り届けたりなど」
「是非ともお願いします」
何ていい話だろう――。
「父のそういうところは、ちょっとどうかと思っていました」
レオがやや冷たさをにじませて言うと、シルヴィオは「これこれ、そんなことをおっしゃっては」などとは言わず、「同感でございます」と頷いた。
「決して悪い御仁ではないのですが……。レオナルド様のことにしても、一言相談してくださればよかったのに。確かに魔を祓うのは当家のお役目ですが、魔物であれば問答無用で手討ちにするなど、そんな乱暴なこと、あるはずがございませぬ。ましてや大切なお世継ぎをや」
「父さんが思い詰めたのは、僕が半分とはいえ魔物だからですか」
おや、とシルヴィオが眉を上げた。
「察しが良いですな」
「普通分かるでしょ……」
それだけ匂わせておいて今更何を言う。
そういうことだった。フランチェスコ・クッキアイオが命と引き換えに討ち果たしたという淫魔。
「あなたがお父さんの死の真相を、言いたがらなかった理由も分かります。あれでしょ、騙されて子種を取られたお父さんが、怒ってお母さんを殺そうとして、揉み合いになって……」
「何故そうなるのです。真相は誰にも分りませぬが、少なくともそれはないと断言できます」
えっ。じゃあ何?
「痴情のもつれ……?」
「そっちの方がまだあり得るかもしれませんな」
レオの頭がこんがらがってきた。その言い方ではまるで二人が恋人同士だったかのようだ。
「おませさん、まあお聞きなさい」
首を傾げる世馴れた可愛い下町っ子に、シルヴィオがおっとりと語りかけた。
「今となっては最早誰にも分かりませぬ、互いに素性を知らず惹かれ合い、真実を知って敵同士となったか、或いは、今生では添い遂げられぬと、思い定めて二人共に自ら命を絶ったか」
「淫魔が人の心を操っていたつもりが、魔に慣れた相手だったせいで途中で術が解けたとかではないんですか?」
「レオナルド様……」
シルヴィオがゆっくりと首を振る。
「二人が思い合っていたことは確かでございます」
確信に満ちたシルヴィオの声に、レオは訳も分からず食い下がった。
「何でそんなことが言い切れるんですか」
「あなた様が生まれております」
この人、何を言っているんだろう。
絶句するレオに、シルヴィオはふと、そんな優しい顔ができるのかと思うほど優しい顔で微笑んだ。
「レオナルド様。クッキアイオ家の男子は、『運命のひと』に必ず出会うのです」
「え……?」
シルヴィオが可笑しそうに続ける。
「恐らくは、水鳥の呪いの副産物でございましょう」
永遠の呪いを掛けた相手の血が途絶えては、せっかくの興も醒めるというもの。
「どの方も、必ず、出会うのです」
シルヴィオは一言一言、噛みしめるように言った。
「水鳥も随分と迂闊なことをしたものです。永遠の苦しみを与えるはずの相手に、この世で最も甘い歓びを同時に与えてしまうとは」
何と甘美な軛だろう――。
眼裏いっぱいに光あふれる海が広がる。
レオの冷たい心臓がどくんと跳ねた。
心なしか赤いレオの顔を眺めながら、「もしかしてもう出会われました?」とシルヴィオが訊ねた時、建付けの悪いヴィンチ家の扉が開く音がした。
「戻りました~。留守番ありがと~」
「あっ、は~い」
え。仲良くなってる?




