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海のバビロン~淫蕩この上なき堕落の都と半魔の坊ちゃんが捧げる純情の行方~  作者: 初春餅
第7章:ラ・ベッラ・エポカ

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87.カルミネができるまで4

「どうして……」


「シ。抜け出してきた」


 たった数日会わなかっただけなのに、鼻にかかった甘い声が、こんなにも懐かしいなんて。


「旦那、お怪我は」


 急いで少年の服を身に着けながら、ジェルソミーナは声を落とした。本当は今すぐ駆け寄りたいが、こんな恰好では出ていけない。


「ない。カルミネ、出てきてよ」


「だ、駄目ですッ。今着替えてるんです!」


「そう」


 あまりにも必死の返事だったせいか、レオはそれ以上何も言わず、大人しく引き下がった。


 どうしよう……男の子に着替えを無言で待たれている。


 何か、会話を……!


「あっ、だっ、旦那、それより、どうやって抜け出したんですか?」


 扉の向こうから暢気な答えが返ってきた。


「頼んだら開けてくれた」


「……」


 随分端折った説明だった。


「――旦那ァ!」


「はいはい」


 逃げ出したりしないから、この入り口を一瞬だけ開けてほしい――。


 冷たい床に寝そべったまま、レオはそう懇願してみたという。


 ――ここは空気が薄くて。このままだと死んでしまうよ……。


 物は試しで、いかにも苦しそうに喘いでみせると、牢番をしていた男二人は慌てて従った。


 こう見えても、レオはクッキアイオの血を継ぐたった一人の嫡男である。


 パーリア宮の牢で死なせてしまっては国家反逆罪待ったなし、「世話は最低限でよいが、決して死なせてはならぬ」と彼らがきつく言い含められていることは知っていた。


 ――ありがと……。随分楽になった。僕はしばらく眠るよ。


 去り際にそう言い置いて、牢の中に気配を残せば首尾は上々、本体はこうしてカルミネの許に戻ってきたという訳だった。


「ふふっ……」


 カルミネは帽子の縁にバウタをはめながら、口元をほころばせた。そんな手に引っ掛かるなんて、随分と魔に慣れない素人を配置したものだ。


「……お待たせしました」


 扉を開け、レオがいる方に向かって三角帽子ごとぺこりと頭を下げる。恋人同士ではないから、再会の抱擁はなし。


 レオが拗ねたように言った。


「……お前さ、見えてるだろ」


「さあ、どうでしょう」


 実は見えている。何故、なんて知りようもないが。


「ここってお前の部屋?」


「い、いえ……ジェルソミーナ尼の」


 カルミネは正直に告げた。どこからばれるか分からない嘘は、極力吐かぬ方がいい。


「ジェルソミーナの……?」


 二人で出口に向かいながら、レオが物憂く眉を寄せた。


「あ、ええと、その、リリアーナ尼から隠れる時は、使ってよいと」


「ふうん」


 苦し紛れの誤魔化しだったが、レオは「それなら」と納得したようだ。ジェルソミーナの乳母のアンナが折よく通りかかり、カルミネは「ちょいとお待ちを」とレオに小声で断ってからアンナに駆け寄った。


「アンナさん、ジャンニに連絡を取って『無事に戻られた』と伝えてください。それだけで通じますから。ディ・ミラーコリ教会に集結している皆さんにも伝えて、と」


 ジェルソミーナがカルミネの恰好をしている時は、そばに誰もいなくても、念の為、他人行儀な話し方をすることになっている。こういう取り決めをしておいて本当に良かったと思う。アンナに「お嬢様」などと呼ばれているところを、気配こそ消しているものの、ばっちりそこにいるレオに聞かれたら洒落にならない。


 アンナもお仕えするお嬢様にではなく、使い走りの少年に話しかけるように応えた。


「カルミネ、熱はもう下がったの?」


 ハイ、とカルミネの声が上擦った。


「そ、その節はお世話になり、ありがとうございました。お陰様でこの通りです。では」


 カルミネがレオを置いて逃げるように去っていく。


「お前、熱が……?」


 追いついたレオに訊ねられ、カルミネは慌てて笑顔を作った。


「もう平気です。たっぷり眠って、スッキリしてまさぁ」


「嘘だったら承知しないぞ」


 カルミネの首筋にレオが手を当て、肌の熱さを確かめる。


 優しい手つきで触れてくるその手を、カルミネは振り払わなかった。


「ほら、熱なんてないでしょう」


「ん……」


 レオが甘えるようにカルミネの肩にこてんと頭を預けた。


「でも、お前が僕を振り払わないなんておかしい。やっぱりまだ調子が悪いんじゃ……」


「振り払われたいんですか」


 口ではそう言いながらも、カルミネはずっと首筋に留まっているレオの手を、振り払いもせずきゅっと握った。


「それより、旦那――」


 ごちゃごちゃ言っている場合ではない。


「僕たちはどうやら、かなり窮地に陥ってるみたいです……」


 彼に伝えなくてはならなかった。


 大切な証人であるルカ・コントゥッティが敵の刃に斃れたこと。


 古い友人が獄につながれてしまったことを。

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