79.人とはなんと愚かな生き物か2
はぁ、と苦しげに息を吐き、レオが喉を押さえる。
ここで中座する訳にはいかない。もう少し。もう少しだけ……。
ロベルトの話はその後も絶えることなく続き、
「治安の良いヴェネツィアで、街中の子供が夜中に少し、外出することなど珍しくもない。果たしてあれは、あの子の落ち度だったのでしょうか……?」
話題はいつしか、リーアが殺されたあの夜のことに移っていた。
――違う、リーアは何も悪くない。
そう言いたかったが、もはや声が出なかった。違うよ、と言う代わりに首を横に振るのがせいぜいだったが、ロベルトはレオのいる方を見ようともしない。
「何故リーアだったんでしょう。あの夜、街を歩いていた若い娘はリーアだけではなかっただろうに」
「は……ぁ……」
「僕はそろそろ」と言うタイミングを完全に逃したレオは、青い顔でベンチに手をつき、今や平静を装うこともままならなかった。
「若君、お加減が……?」
「平気……」
ごめん、ロベルト……。
取り繕う余裕もなく、レオはずるずるとベンチを這って、出口に向かおうとした。
「――見苦しい」
「あっ……」
次の瞬間、レオは硬いベンチの上に、仰向けに押し倒されていた。
「ロベ……」
バウタ人形が滑り落ち、ほどけた包みの口からバイコリが床に散らばる。
ロベルトは素早くレオの上にのしかかりながら、レオの両手首を押さえつけた。
「……ずっと信じていたんです。リーアがあんなことになった後も」
そう告げるロベルトの声音は、ぎりぎりと手首を締めつける力の強さに反し、随分淡々としていた。
「あなたのことを疑いもしませんでした。まさか総督閣下と共謀して、若い娘を喰らっていたなんて――」
ロベルトはレオに顔を近づけ、耳元で囁いた。
「全然、知りませんでしたよ」
「違う……僕は、そんなこと……」
「見ていましたよ、最初からずっと」
レオの上でロベルトが小さく笑った。
「偽の伝言にまんまとおびき出されたあなたが、泡を食って広場にやってくるのを、私はずっと見ていたんです」
偽の伝言? ああ、そうか。さっきの少年は……。
「ちが……Mは、マリーノの……」
違うよ、ロベルト。MはマリーノのMではなく……。
「何が違うんです? 随分、秘密めかしたやり口じゃないですか。まあ、それもそうですね。ヴェネツィア総督は私的な手紙の送付が禁じられていますから」
「誤解……だ……これは……リア……の……さく……」
「随分と苦しそうですね」
これはパーリアの策略だ、とレオは必死で伝えようとするが、レオの言葉など最初からまともに聞くつもりもないロベルトが軽くあしらった。
「ロベルト……聞いて……」
レオの目から透明な涙が一筋こぼれた。
視界がぼやける。ロベルトが今、どんな表情をしているのか分からなかったが、憎悪よりも、怒りよりも、深い悲しみの気配がした。
「ロ……」
「――大したものだ。まだ私を惑わそうとしますか」
ロベルトが歯を食いしばり、レオの手首をつかんだ手に力を込めた。
「虫も殺さぬような顔をして、あんな残酷なことができるとは!」
隙を見せてはならない、取り込まれてはならない。これを押さえておけるのは、リーアの魂に守られた自分しかいない――朦朧とする意識を掻き分け、ロベルトの強い思念が脳に直接流れ込んできた。
「ロベル……」
「黙れ!」
ああ、ロベルト。傷ついたあなたを言葉巧みに誘導し、こんなことをさせているのは……。
体を取り巻く鎖に埋もれ、レオの意識が薄れてゆく。
ロベルトの力は最後まで緩まなかった。
「――まだ出てくるな。確実に意識を失うまで、誰も彼の目を見るな!」
ロベルトが何か言っている。まったく絶妙の人選だ。彼なら確実にレオを捕えることができる。とても優秀な人だから。心の一番弱い部分を突かれたから。ああ、彼を操る者たちは、なんと狡猾な。
レオはゆっくりと両の眼を閉じた。
人とは、なんと利口な生き物か――。




