74.苦しいよ、こんなの2
カルミネは赤くなった顔を隠すように、慎ましげに首を垂れた。
「失礼しました。僕は総督閣下のお言い付けで、門の辺りまで見回りにいくところなんです。ご用がなければこれで」
「まあ、そうなの。本当にあなたは父上様に従順だこと」
ヴェネツィア総督の管轄下にある、ここの尼僧たちの言う父上様とは、勿論マリーノである。含みのある言い方だったが、カルミネは淡々とした態度を崩さず、「では失礼します」と慇懃に頭を下げた。
「ああ、そうだ」
数歩歩いたところでカルミネは振り返り、冷ややかな目で念を押した。
「言っておきますが、僕の後をつけても何も出ませんよ」
「まっ、まあ……!」
何やら喚いている尼僧を置き去りにして再び歩き出したカルミネが、渋々の体でレオに説明した。
「以前、こっそり抜け出そうとしていたところを、あの人に見つかったことがあって……」
「お前、堂々と出てきてるんじゃないの?」
「色々と事情があるんですよ。マリーノ様の命で動いてることも言えませんし。それで……」
――黙っている代わりに、私のお願いを聞いてちょうだい。
カルミネがげんなりと言った。
「彼女のご自慢の恋人の前で、彼女に惚れている振りをする羽目に」
プフッとレオの息が漏れた。それはそれは……。
「笑い事じゃないですよ。何で僕が彼らの退屈な恋のスパイスにならなきゃいけないんですか」
レオはくすりと甘く笑ってカルミネの顎をつまんだ。
「分からない? 彼女はお前が好きなんだよ……」
お前の方では一切気持ちがないというのに、あの子はお前の匂いをまとうほどお前に焦がれ、執着している。
「今頃、泣いてるかも。あんまり冷たく当たっちゃ駄目だよ」
確かに、あまり性格が良さそうではないけれど……。
カルミネはレオの指を振りほどくように顔を背けた。
「そんな訳ないでしょう。彼女は僕がマリーノ様に道ならぬ思いを抱いていると思ってる」
「それだって、お前の気を引きたくて、からかってるだけだよ。そりゃ、あんまり上手いやり方じゃないと思うけど……」
キッ、とバウタの奥から濃緑の瞳がレオを睨みつけた。
「あなたは本当に、花から花へと飛び移るのに忙しくて、女性の表面しか見てないんですね。見た目さえ可愛いければ、何をやっても許すんでしょう」
「ま、待ってよ。何で急にそんな……」
随分な言われようだったが、言ったカルミネの方が今にも泣き出しそうな顔をしているものだから――。
「ごめん、悪かった」
「……」
ぐす、とカルミネが泣くのを堪えている。
「お願い、泣き止んで。何でもするから」
「何もしてくれなくて結構です」
「ええー……そんなこと言わずにさぁ……」
ああ……とレオが両手で顔をごしごしとこすった。もう門の前まで来てしまっている。これからまたしばらく会えなくなるだろうに、こんな状態で別れるなんて嫌だった。
はぁ、と小さなため息を吐いて、レオはぽつりと言った。
「言っておくけど、僕は不実な男じゃない」
「そんなこと、僕に言われましてもね」
「でも、お前が怒ってるのはそこじゃないか」
カルミネに浮気な男と思われるのは死ぬほどつらい。
「僕はジェルソミーナに心を捧げた時から、彼女ひとすじだ」
あ、これはちょっと正確じゃない、と言ったそばから思った。
――今の、キャピュレット家のお嬢さん?
本当はもっと前からだ。
多分――初めて会った時から。
「お前が信じてくれなくても、僕にはずっとジェルソミーナだけだ」
「……」
カルミネが苦しげに顔を歪めた。
「旦那、何故です? あの人は旦那の気持ちに応えようともしない、冷たい人です」
何故……?
レオは不思議そうに首を傾げた。
「ジェルソミーナが好きだから」
何故、なんて分かる訳がない。ただ彼女が好きなだけ。光あふれる海のような、眩しさが胸を満たすだけ。
だから――。
「ジェルソミーナ以外、誰も欲しくない」
レオは物憂く微笑んで、カルミネの唇を撫でた。
「お休み、カルミネ」
レオが身を翻し、修道院の高い門扉が揺れる。
飛び越えたか、とカルミネは驚いて天を仰ぐが、頭上にあるのは今宵の静かな月ばかり。
――ジェルソミーナ以外、誰も欲しくない。
聖域に一人残されて、カルミネは門扉にそっと手を当てた。
ヴェールの向こうに素顔を隠し、面会室の格子に指を添わせたあの時のように。




