72.聖域での語らい2
「――とまあ、こんなところ……?」
と、見えていないのをいいことに、だらしなく背もたれに背を預けているレオが肩をすくめた。
「指輪の方では、悪さをした自覚もないと思うよ」
「何とまあ……」
マリーノが言葉もなく黙り込む一方、反対側では可愛い助手がバウタと同じ顔色になっていた。心情的に女性寄りであるカルミネには衝撃が大きかったのだろう。
レオは助手の小さな肩を抱き、落ち着かせるようにぽんぽんと叩いた。
うん……。
いつもは割と冷ややかな距離感のあるカルミネが、今日は大人しく身を委ねている。
レオはカルミネの肩を抱いたまま、マリーノの方に顔を向けた。
「獣姦ってさぁ……」
カルミネがすっとレオから離れる。
「そんなにいいの?」
「試してみれば? 市内にいくつか店があるぞ」
「えっ。認可してるの?」
さすがヴェネツィア。この世のあらゆる快楽を知る、淫蕩の都の名に恥じない。
マリーノは咎めるように眉をひそめた。
「おいレオ、滅多なことを言うなよ……。認可なんてできる訳ないだろ。そりゃ衛生管理はするし、バチカンの手入れの情報も流すけど、見つかった時は自己責任だ。共和国は一切関知しない」
もう本当に、国家元首というより色街の元締めのようなマリーノである。
「で、お前はどっちに興味があるんだ? 入れる方? 入れられる方?」
「興味っていうか、何がそんなにいいもんなのかと……」
「お二人ともいい加減にしてください。礼拝堂でする話じゃないでしょう」
怒りを抑えたカルミネの声に、罪深き男たちはうなだれて口を噤んだ。
「ん……? お前、見えてるぞ」
と、マリーノがレオの頬をふにっとつまむ。
「あれ、おかしいな。気分の悪さは紛れてるんだけど」
頬をつままれたまま、レオが首を傾げた。マリーノとカルミネの二人には、聖域内では体に変調をきたすことと、カルミネがいれば大分紛れることを伝えている。
「体の方が限界なのかもな。まあ、神の家など長居するものではない。私も早々に退散することにしよう」
悪魔のような台詞を吐いて、敬虔なキリスト教徒で通っている男が立ち上がった。
「旦那、お送りします」
「駄目だ。お前のような子が夜の外出なんて」
再び気配を消したレオが、これだけは絶対に譲らないという口調できっぱりと断る。
「では、せめて門まで」
「そうしろ、レオ。修道院の敷地内なら問題はない。お前もその方がいいだろう」
「うん……」
聖域内なら、確かにカルミネがいてくれた方がありがたい。
「じゃあ、行く?」
「はい」
カルミネが嬉しそうにするので、レオは面映ゆくなって目を伏せた。
どっちにしろ気配は消しているのだが、この子には見えているような気がしてならない。
カルミネ本人に今更問いただすつもりはないが、ここまでくると、レオにもカルミネの正体は見当がついていた。
レオを聖域から守ってくれるのは、ジェルソミーナとカルミネの二人だけ。レオの運命たるジェルソミーナなら、そういうこともあるんだなぁと感激するばかりだが、ではカルミネは?
――何故も何も、あの子はアンドレア様の隠し子だろう!
――違う。
僕としたことが。
マリーノはあの時、カルミネの正体を白状したようなものだったのに。
カルミネはアンドレア様の隠し子ではない。では、誰の?
その問いこそが答えであった。
口にするのも憚られるが、アンドレア様の奥様、ヴァレンティーナ様の、だ――。
はぁ……とレオは物憂いため息を吐いた。意図せず知ってしまった秘密が重過ぎて。
隠れていない部分から推測するに、カルミネは父親似のジェルソミーナと恐らく顔立ちも瓜二つ。これはすなわち、ヴァレンティーナ様のお相手が、アンドレア様のご兄弟の誰かということを意味する。
成程、カルミネの存在は、徹底的に秘匿されなければならなかっただろう。
今思えば、マリーノは随分と切ない顔で言ったのだ。
これ以上は訊いてくれるな、と――。
「レオ、当面の間、お前にしてもらうことはない。お前はせいぜい、危機感のないぼんくら坊ちゃんになって、適当にぷらぷらしておけ。万一こちらが負けたとて、御しやすい馬鹿だと思われておいた方がお前は生き残れる」
「分かったよ……」
魔獣とぼんくら坊ちゃん、どちらに転んでもレオの名誉など地に落ちたものだが、どうやらレオの為に言ってくれているらしいので、渋々ながらもレオは頷いた。
カルミネがギィと扉を開き、その瞬間から、マリーノはヴェネツィア総督の顔になった。
「待たせたな」と扉の前で控えていた補佐官たちに告げ、慈愛に満ちた父のような笑みをカルミネに向ける。
「お前が話し相手になってくれたお陰で、信仰への理解がより深まった」
よく言う、とレオは呆れた。
不適切極まりない会話を咎められただけだろう。きっかけは僕の獣姦発言だが。
「畏れ多いことです」と、卒なく返すカルミネに、
「もし良ければ、休む前に門の辺りを見回っておいてくれないか。我が娘たちの為に」
「喜んで」
カルミネは楚々と頭を下げ、言い付け通り門に向かって歩き出す。
その後ろ姿を見送りながら、マリーノに随伴してきた補佐官が、はてと首を捻った。
「あの使い走りが閣下のお話し相手を? いつの間に入り込んだんでしょうか」
ああ、とマリーノは優しく目を細めた。
「私が来た時にはもう、彼は中にいたようだ。屈んで一心に祈っていたせいで、入り口からはまったく見えなかったが」
「それはそれは、信仰心の篤いこと。子供ながら感心ですな。彼とは一体、どのような話をなさったのです?」
「そうだな……。祈りの場での正しい在り方について、思うところを聞かせてもらった。子供らしいまっすぐな指摘に、心が洗われるようだった」
「成程。無学であるが故に、かえって物事の本質を突くのかもしれませんな」




