69.元家令の供述2
ミディーカ家元家令、ルカ・コントゥッティが、トゥリパーノ家から何かと金品の提供を受けるようになったのは、ヴィルジリオ・トゥリパーノがカテリーナ・ミディーカのチチズベーオとなり、二人が背徳的行為に耽り始めた頃だという。
「ヴィルジリオ・トゥリパーノは不思議な指輪を持っていて、その指輪を外すと、世にも強くて持久力がある、すごい装備を持った獣の姿に……」
若君がキャッと顔を赤らめ、慌ててバウタの耳を塞ぐ。
「こ、子供は外に出ていなさい」
「旦那ァ、年のことなら旦那に言われたくありませんや」
「二人共出てろ。コントゥッティ、続きを」
お忍びの黒衣姿も艶やかなヴェネツィア総督に先を促され、元家令は「閣下。仰せのままに」と口調まで改めた上に恭しく腰を屈めた。今はぼろ雑巾のようだが、そうするとかつての名残が見える。
「あの夜も、二人はそうやって耽っておりました」
今まで、それで一度も間違いが起きたことはなかった。
だから、二人の熱く荒ぶる一夜が明けた翌朝、奥方の部屋でメイドが目にするものと言えば、とんでもなく乱れた夜具と気だるげな二人――生きている二人と決まっていた。――今までは。
凄まじい咆哮が夜を切り裂く。
あの夜に限って、何かが起こった。
集まった使用人たちを部屋の前で待機させ、奥方の寝室に乗り込んだコントゥッティが見たものは、変わり果てた女主人の姿と、這う這うの体でこちらに向かってくる素っ裸のトゥリパーノだった。
「あの時、調査官に話したこととそう変わりはしません」
「あの時話していないことを話せ」
いつもの指輪がトゥリパーノの指にしかと嵌っていることを確認した後、コントゥッティは現場の保存を命じつつ、トゥリパーノの身を清めさせた。彼と惨事を結びつける痕跡は少しでも消しておいた方がいい。頼りにならない主人に代わって館のすべてを差配しながら、トゥリパーノ家と急ぎの連絡を秘密裏に取るのも忘れない。
「その後のことは、トゥリパーノ家の指示に従いました」
迎えのゴンドラに放蕩息子を乗せ、何食わぬ顔で捜査に協力する振りをしながら、捜査の目をさりげなく放蕩息子から逸らす。何も難しいことはないはずだった。トゥリパーノの錯乱振りは、軟弱な男がたまたま魔獣に遭遇し、怯えているようにしか見えなかったから。
「若君のご登場は、本当に誤算でしたよ」
レオはじっとりと睨まれながら、機会があれば言いたかったであろう恨み言をここぞとばかりに言われてしまった。だが「お前さえ変な小細工をしなければ」と言いたいのはレオも同じである。
「ルカ、何故逃げた?」
「とっくに分かってるんでしょう?」
元家令はレオに対してはどこまでも不遜であった。
「まあねぇ……」とレオは怒りもせず、
「推測はできたよね」
レオがトゥリパーノに接触するのを寸前で阻止し、コントゥッティは割り当てられた仕事をつつがなくやり終えた。だが、その後に起きたサン・ポーロ地区での相次ぐ魔獣の襲撃や、トゥリパーノ家のゴンドラ漕ぎたちの死亡を見聞きするにつけ、彼の胸に芽生えたのは雇い主への恐怖だった。裏で糸を引いているのは彼らで間違いない。なんと恐ろしいことを。だが何より恐ろしいのは、彼らにとって他人の命が途方もなく軽いらしいことだった。
何かあれば、俺も消される――。
彼らの計画の、ほんの最初の部分にしか関わっていないコントゥッティだったが、ロベルト・エズィレ調査官の再訪を受けた時にはもう駄目だと思った。口封じに殺されるくらいなら、いっそ。
――ここだけの話だぜ。レオナルド・クッキアイオは、ルカがもし見つかったら、人知れず匿うつもりらしい。
――へえ~? 何でまた?
――奴が魔獣に仕立て上げられそうになってるのは知ってるだろ。でもルカの証言があれば、それを覆すことができるんだと。
――そうか~。そりゃあ~見つけたら必死になって匿うだろうな~。
十人委員会の優秀な調査官たちが血眼になってコントゥッティを探していた頃、レオがパオロたちに頼んで密かに流してもらった噂である。
それはコントゥッティにとって、抗いがたい悪魔の囁きだったに違いない。
――さあ、ルカ! 誰に捕まりたい?
トゥリパーノ配下のならず者たちか。どこに彼らの息のかかった者が潜んでいるか分からない、十人委員会の調査官たちか。それとも――。
罠の匂いは若干したであろうが、この三択ならコントゥッティはレオに望みをかけるしかない。
かくして彼は悪魔の差し出した前足をつかんだ。同胞たる人間の方が、遥かに信用ならなかったから。




