61.夢と踊るワルツ1
「よく似合いますよ、レオナルド」
身支度を終えたレオを斜め前からしみじみと眺め、アデリーナは満足げに頷いた。
控えめな金糸縫い取りの縞の上着に、揃いの刺繍が施されたウエストコート。くるみ釦ときらきら眩いシークインで華を添え、襟元には白薔薇の花弁のようなレースをたっぷりとあしらう。仕上げに嗅ぎ煙草入れと扇子を持てばあら不思議、下町の画家の息子が洒落好みのヴェネツィア紳士に早変わりだった。
ああ、早く脱ぎたい……。
女の子の支度はもっと大変だと聞くが、男子の正装も下町育ちには窮屈極まりなかった。
ずっと物憂く顔を曇らせているレオをよそに、アデリーナはうっとりと夢見るように呟いた。
「あのひとが見たら、どれほど喜ぶことでしょう……」
あのひと、とは全ての元凶、レオの父たるフランチェスコのことであろうか。
義母にとっては大切なひとであるらしい、そこに言及されては黙って言いなりになるしかなかった。
今宵はヴェネツィア旧家の一つ、ディーエスィーレ家の舞踏会である。
義母と親しいモンテキアーリの奥方を通じ、「お世継ぎ様の帰郷を祝って、ささやかな会を催させて頂きたい」と先方から打診があったのだ。
ごく内輪の集まりで、ご身分の確かなご令嬢たちもお呼びする予定です、と。
さりげなく付け加えられた最後の一言が、母親らしいことをするのが大好きなアデリーナの心をくすぐった。
レオにしてみれば何故今頃、しかも普段から特に付き合いもないのに、というところである。
ディーエスィーレ家とパーリア補佐官の関係をそれとなくシルヴィオに訊いてみたところ、「補佐官殿の忠実なご友人」という答えが返ってきた。
要するに子分である。
――大当たり、ってとこか……。
この舞踏会はレオをおびき寄せる為の口実で、のこのこ向かった先に待っているのは、捕らえられて幽閉される未来であろう。
義母に連れられ、大運河に面したディーエスィーレ宮の正面階段を上がっている時も、レオの心は帰りたいという気持ちで一杯だった。
いつ、どのタイミングで仕掛けてくるのだろう――いや、そもそも何で幽閉されなくてはならないのか。
よく考えれば彼らの筋書きに乗る義理はない。いいさ。そっちがその気なら――。
広間に入ったレオは周囲に軽く会釈しながら、悪魔のように妖艶な笑みを浮かべた。
悪いけど、僕はあなたたちの思い通りになんてならない。今日だって、何か仕掛けてきたら僕だって黙っちゃいないかもよ……。
「レオナルド様、どうぞこちらへ」
「レオナルド様、お飲み物は?」
――え?
珍しく好戦的な気分になっているレオを、到着早々、いずれ劣らぬ名家のご令嬢たちが取り囲んだ。
「あの……」
レオはあれよと言う間に椅子に座らされ、美しく着飾った令嬢たちにぐるりと周囲を固められる。
「お会いできる日を心待ちにしておりましたのよ」
「さあ、パリのお話を聞かせてくださいませ」
どうにも事態が呑み込めず、レオは助けを求めてこっそりと義母を見た。
義母はレオの視線を受け、扇を閉じてレオの周囲を指し示した後、優雅な仕草で先端を額に当てた。
――気に入ったお嬢さんがいたら、わたくしに合図なさい。
成程……。
そう言えばもう一つ、パーリアが欲しがっているものがあった。
魔物の血が薄まった、クッキアイオの子供。
妙齢のご令嬢など、アデリーナ、ひいてはレオを油断させておびき寄せる為の口実だろうと思っていたが――。
「レオナルド様、薔薇はお好き?」
「レオナルド様、本当に美しい御髪ですこと」
彼女たちの様子を見るに、どうやらそうでもないらしい。
今夜の主旨はレオを捕らえることではなく、幽閉先に同行させる花嫁選びのようだった。
それにしても……とレオはこっそりため息を吐く。
何という奉仕の精神だろう。彼女たちとてレオが十二の年まで下町の画家の子として育てられたことは知っているはず。
高貴な生まれのお嬢様は、庶民の子に話しかけるどころか、眼差し一つくれてやらぬのが普通である。今こうして目線を合わせて微笑みかけられていることに、レオの理解が追いつかなかった。
――レオにご加護を。
たった一人の例外だけは、レオに親しく話しかけるどころか、額に唇まで与えたのだが、あのひとは例外中の例外だった。
「ああ、レオナルド様……」
熱っぽく潤んだ令嬢たちの視線を、物憂い灰色の瞳がとろりと受け止めた。
一体何が起こっているんだろう。僕の子供を身ごもるなんて、屈辱でしかないだろうに。
だが、彼女たちは本当に、自ら進んでレオに身を差し出そうとしているように見えた。高貴なる者の義務、ここに極まれり。若く愛らしい彼女たちなのに、とレオは不憫でならなかった。百歩譲って彼女たちがレオの花嫁になることを承諾しているとしても、どのような暮らしを強いられるのか、ちゃんと説明されているのだろうか。
現に、レオの隣を最初からずっと死守しているのはディーエスィーレ家のご令嬢だったが、彼女の父は先程から「戻ってきなさい」と必死になって合図を送っていた。




