55.初恋は実らないと人は言うけれど2
カルミネ、お前は――本当は誰なんだ。
そんな言葉が喉から出かかった。
鈍色の金髪も、海を宿した濃緑の瞳もあの人と同じ。その上、声もどことなく似ている。マリーノは否定しているが、やはりこの二人には血のつながりがあるとしか思えない。
いや、待てよ……。
悪魔のようなマリーノは、悪魔と同じで意外と嘘は吐かない。微妙な言い回しでわざと誤解させたり、あえて言葉を省略したりはするが。
あの時マリーノは、正確には何と言っていた――?
レオは答えを探すように、灰色の瞳をゆらゆらと揺らしてカルミネを見つめた。
カルミネが苦しげに顔を背けた。
「この恰好の時しか、こんなことを言えない僕は卑怯者ですね」
レオに言っているようで、ほとんど声に出していない、小さな囁き声だった。
けれど、放蕩貴族が夜通し騒ぎながら乗り回す、あの地鳴りのような馬車の音とだけは無縁のヴェネツィアで、本人の意図はどうであれ、その声は夜の静寂を潜り抜けて鋭敏な半魔の耳に忍び込んだ。
「とりあえず、椅子に座ってください」
いつの間にかカルミネが目の前にいて、レオに手を差し伸べている。
レオより背も小さくて、女の子のようなカルミネから伸ばされた手に男のプライドを刺激され、レオは咄嗟に「いい」と振り払った。
「ワァァァァァ!」
「嘘吐け!」
振り払われたカルミネが、あばら家の床を勢いよくごろごろと転がってゆく。レオは慌てて彼を追いかけた。
絶対、演技だ。
そう思ったが、万一ということもある。レオは仰向けで止まったカルミネの上に覆いかぶさり、恐る恐る顔を覗き込んだ。
「ごめん、そんな強くするつもりは……」
レオの下でカルミネがニヤァ……と笑った。
この悪戯小僧!
この忌々しい所業は間違いなく、彼の敬愛する総督閣下の薫陶を受けたものであろう。これ以上マリーノの影響を受けさせる訳にはいかない。もう本格的に引き離し、僕が引き取ってやろうとレオはこの時決意した。今からでもこの子を真っ当な大人に育ててやらなければ。
それにしても、この濃緑の瞳ときたら……。
間近で見る、どこまでも深く美しい緑にあてられて、レオは焦がれるようにバウタを指でなぞった。
カルミネは嫌そうな様子も見せず、むしろ挑発的な笑みを浮かべてレオを見上げる。
外したいならどうぞ……? 濃緑の瞳はそう言わんばかりだった。
「……知らないぞ」
煽られたレオが、仮面の縁についと指を滑らせた。三角帽子に差し込むだけの半バウタは、外そうと思えば簡単に外せる。気分はもう、女の子のドレスの裾を持ち上げる色男だった。
カルミネはさくらんぼの唇をうっすらと開き、緊張を逃がすように小さな吐息を漏らした。
お前、そういうところが――。
先に唇が欲しくなった。
レオは仮面を取るのを止め、カルミネを囲うように彼の顔の横に手をついた。カルミネが目を瞬かせる。今更。バスケットにフード付きマント、お前はまるで、童話に出でくる無防備なお使いの女の子のよう。あの子のマントは赤だっけ? ねえ、可愛い黒ずきんくん、君は悪い狼に食べられにきたんだろ……?
レオがカルミネの上に身を屈めようとした時、背後から音高らかなノックの音がした。
「誰だよ、うちの扉をノックする奴は」
レオが驚いて扉を見やる。
「失礼いたします。レオナルド様」
「何しに来たの……」
またか……。
うんざりと身を起こしながら、レオがシルヴィオに訊ねた。五年前の悪夢の再来である。レオに手を取られて立ち上がったカルミネが、主の心情になど一切忖度せず、シルヴィオに楚々と一礼した。
こちらも慇懃に礼を返すシルヴィオの、美しく伸びた背筋の後ろから威厳に満ちた貴婦人の声がした。
「何という言い草です、レオナルド」
レオは弾かれたように姿勢を正した。
シルヴィオの背後から、黒貂の毛皮に身を包んだ、女教皇のごとき貴婦人が現れる。
とても小さな顔と手。漆黒の瞳。人形めいた美貌が白磁の肌に映えるが、これでとうに三十は超えている。
レオが喉の奥から声を絞り出した。
「お義母様…………」
レオがこの世でただ一人、母と呼んで膝を屈するその人の名は、アデリーナ・バーチ・クッキアイオ。
レオの父、フランチェスコ・クッキアイオの永遠の婚約者である。
第4章:初恋は実らないと人は言うけれど(完)




