48.Mとの密会1
「――手紙を預かってきました」
カルミネから差し出された紙片には、流麗な筆致で必要最小限のことだけが書かれていた。
――今夜八時、イル・ロトンドにて待つ。M
マルコからの早速のお誘いだ……。
レオは紙片から顔を上げて訊ねた。
「イル・ロトンドって?」
「サン・マルコ広場の奥にある、音楽愛好家が集まるクラブです」
「一応訊くけど、一緒に演奏を聴きましょうってお誘いではないよね?」
密会場所として、かなり不適切な気がした。曲の演奏中に会話など非常識極まりないし、会話ができないのなら何の為に会うのか分からない。そもそもマルコは敵視しているはずの半魔と仲良く音楽を聴いているところを人に見られるのはまずいのではないか。
「高貴なお方専用の別室がありますので」
「ああ、成程」
疑問はそれで氷解した。つまりは音楽鑑賞を隠れ蓑にして、密談や情事を行う場所なのだろう。
――じゃあ行きと帰りだけ、気をつけておけばいいのかな。
ヴェネツィア男の端くれとして、レオもバウタのひとつは持っていたから、それを被っていそいそと出向いた。マルコと会う時はいつだって胸が弾む。人目を憚らなくていいのなら、前回の分まで抱擁してくれるかもしれない。
イル・ロトンドに入ると、カルミネは勝手知ったる様子で奥へと進んだ。
「気配を消してください」
「あ、うん」
目立たない扉の前に、護衛が二名立っている。カルミネが彼らに恭しく一礼し、身分証明書のようなものを差し出した。
「当番のブルーノです」
え? お前、今日ブルーノなの?
「入れ」
ブルーノに扉が開かれ、レオもひとまず彼の後に続く。
「来たか」
黒い長衣の紳士が、二人の入室に気づいて長椅子から立ち上がった。
「マ……マ……!」
「――シ」
マリーノはしなやかな猫のごとくレオの前に忍び寄り、レオの唇に指を当てた。
「お忍びなんだ。騒がしくするな」
「な、な、なんでここにマリーノが……」
レオの驚きは相当である。マリーノは愉悦に満ちた表情を浮かべ、
「なんでって、ここは私専用の別室だが」
「えええ」
「よく来たな」
マリーノはレオを温かく抱擁した。
――お前には、いつも不意打ちを食らっているからな。
マリーノはしてやったりという顔をしている。素知らぬ素振りであらぬ方向を見ているバウタも共犯であろう。
美しい弦楽の調べを漏れ聴きながら、マリーノは黙り込むレオに機嫌よく説明した。
「私は皆と一緒に音楽を聴くことはできないが、別室で一人楽しむ分には許されている。これは私の数少ない息抜きの一つさ」
成程、入り口の扉は質素ながら、中はヴェネツィアお得意の、繊細な装飾に彩られた優美な空間である。少々手狭ではあったが、重責を担うヴェネツィア総督のくつろぎの場所としてふさわしい設えであろう。
レオは煩わしい三角帽子とバウタを外しながら訊ねた。
「ブルーノって誰」
「ロトンドが用意した従僕だが?」
まったく手の込んだことを……。
「もっと近くに来い。密談にならぬ」
促され、レオはマリーノと膝がくっつきそうな近さで長椅子に座る。「見下ろされると落ち着かぬ」と言われたカルミネも、レオの隣にちょこんと納まった。
「それにしても、連中はなかなか尻尾を見せないな」
マリーノが子供二人に卓上の菓子を指し示しながら、疲れたように言う。
「替玉たちの身元が判明した時は、これで追い詰めたと思ったのだが」
聴収した人相、特徴から浮上したのは、元ゴンドラ漕ぎのイシドロとテオだった。彼らは操舵の技術は申し分なかったのだが、度重なる喧嘩騒ぎで組合を追放された粗暴者である。
威圧的な逞しい上腕を持ち、必要とあらばゴンドラが漕げ、金さえ積めば細かいことは何も言わずに引き受ける彼らは、その界隈では重宝され、怪しい仕事の依頼が引きも切らなかったという。
「彼らの今の雇い主は不明、加えて、彼らの目撃証言もここ数日ありません」
「向こうが用心して、彼らを表に出さないようにしているのだろうな」
実際、ほんの数日前までなら、彼ら二人の姿は普通に目撃されている。主に魔獣が出た夜などに、サン・ポーロ地区で。
残念ながら、先方とは捜査に関わる最新情報を共有しているようだった。
「……彼らはもう消されたでしょうか」
声を潜め、勢い寄り添うような形で密やかに囁き合う中、カルミネの問いにレオも瞳を揺らしてマリーノを見た。
トゥリパーノ家お抱えのゴンドラ漕ぎ、ダニエレとファブリツィオは先日遺体で発見されている。相手はたかだか貴族の体面を守る為に、人の命を奪うことに何のためらいもない。
「まだだろう。彼らには事が済むまで汚れ仕事をさせる手先が必要だ」
マリーノは迫力のある美形を惜しげもなくレオに近づけた。
「レオ……お前、本っ当に、用心しろよ……?」
「ええー……? 今更どう用心……」
「暢気なことを言っている場合か。このままでは本当に、お前が魔獣だったことにされるぞ」
「そうですよ。過ぎたことを言っても仕方ありませんが、せめて夜回りの際は僕を連れていくとか、どうして呼んでくれなかったんです」
「……」
トゥリパーノの潔白を向こうが主張する為には、身代わりの真犯人が必要で、レオはお誂え向きにのこのこ歩いてきた犠牲の山羊だった。
「先に気づいてたらなぁ……」などと、悔やんでみてももう遅い。
替玉二人組のうち、イシドロは二番目の犠牲者、デルフィーナ・サーリの上客だった。テオはサン・ポーロ地区出身で土地勘がある。これだけでも既に何やら臭うというのに、彼らはまさに魔獣が出た夜、魔獣が出た場所の近くで、複数人から姿を目撃されていた。カテリーナ・ミディーカの時を例外として。
彼らはレオが魔獣であるという「証拠」をせっせと残して回っている――その考えは、決して突飛なものではなかった。




