↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
海のバビロン~淫蕩この上なき堕落の都と半魔の坊ちゃんが捧げる純情の行方~  作者: 初春餅
第4章:初恋は実らないと人は言うけれど

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

47/99

47.危険な男2

「――明後日のことですが」


 その手がバウタに触れるより先に、カルミネがすっとレオから離れた。


 気のせいかもしれないが、バウタの下の顔が赤い。


「ジェルソミーナ尼は普段からああいう馬鹿騒ぎには参加しません。ですので、お会いになる時は、面会室で格子越しにということになります」


「えええ⁉」


 レオが驚いて飛び起きる。


「な、な、に、なに言って……」


 衝撃のあまり、ちゃんと喋ることができなかった。


「何って、当たり前のことしか言っていませんが」


「いやいやいや」


 これが外国の女子修道院なら、そうだろうと納得もしよう。周りの男と同じように、紳士らしく振る舞いもしよう。だがここはヴェネツィア。しかも仮面舞踏会の夜である。


 期待させるだけさせておいて、ダンスを口実に手を取ることも、あわよくば中庭に連れ出すこともできないなんて、一体どういうことなのだ。


 カルミネはおや、と三角帽子を傾けた。


「何かご不満でも?」


「ぐ……」


 バウタの下の顔色は、すっかり元に戻っている。


 不満だなどと言おうものなら、カルミネは即座に「じゃあこの話はなかったことに」と言い出すに違いなかった。


「分かった。それでいい……」


 床に座り直し、レオは不承不承そう答える。


 胡乱な目で見つめられ、レオはふっと微笑んだ。


「本当に、そう思ってる」


 本心だった。


 どこでもいい。ジェルソミーナと会えるなら。


「……尼僧ですよ」


 カルミネがそう釘を刺した。レオが道ならぬ思いを抱いているのは、とっくに気づいているのだろう。


「それにほら、五年も会ってないんでしょ? それだけ経てば、人って変わるものですよ。ジェルソミーナ尼はもう、旦那の思っているような人ではないかもしれませんよ」


 そんなことはない。ジェルソミーナはジェルソミーナのままだと思う。


 レオの思っていることが何となく伝わったのか、カルミネはお化けの話で子供を怖がらせる大人のように、おどろおどろしい声で囁いた。


「もしかしたら、とんでもないお転婆になっているかもしれませんよ……?」


「とんでもないお転婆なのは昔からだよ」


「何ですって」


「何でお前が怒るんだよ」


 広場の即興喜劇コンメディア・デッラルテのようだった。


 レオは笑って立ち上った。


「何か食べにいこう」


「何かって何ですか」


「お前の好きなものでいいよ」


 カルミネが恭しく差し出すコートを受け取り、さっさと腕を通す。


「この話はこれで終わりだ」


 このまま話を続けていたら、カルミネはレオが「分かった。彼女のことは諦める」と言うまで、人の世の道理を懇々と教え諭すだろう。


 きっとこんな風に。


 ――旦那ァ、何度も言いますが、あの人は尼僧なんですよ……俗世の人間の手の届かぬ人なんです。諦めた方がお身の為ってやつですよ。分かるでしょ……?


 分からないよ。分かるはずがない。


 ――今のはなかったことにしてあげよう。


 そう言って笑ったジェルソミーノと同じくらい――分かってないのはお前の方だ。


「でも、僕はお前が好きだよ。カルミネ」


 そんな日は来ないことを願うけれど、レオが手ひどく振られた時は、カルミネはきっと何も言わず、隣に座っていてくれるだろう。


 カルミネはレオの言葉が聞こえていなかったように、じっと前方を見つめていた。


 レオは扉を開けながらもう一度囁いた。


「好きだよ」


「……知りません」


「知りませんって何さ」


 誓ってよこしまな気持ちはなく、レオはカルミネの頬を手のひらでつつんだ。


 マリーノがよく、レオにそうするように。


 え、熱い……。


 ふと見れば、カルミネの顔は真っ赤になっていた。


「ご、ごめん」


 レオはとっさに謝罪の言葉を口にし、慌てて手を離した。


「この女たらし(ドンナイオーロ)!」


「ええー……?」


 カルミネは不実な男に弄ばれた女の子のように、目を潤ませてレオを睨んだ。


「まったく、見境のない。いずれヴェネツィア中の令嬢たちが、あなたの餌食になるんでしょうね!」


 その瞬間、朝焼けの薔薇色の中で、皮肉に口元を歪めたあの人の声が蘇った。


 ――まったく、末恐ろしい……。いずれヴェネツィア中の令嬢たちが、君に夢中になるだろうね。


「何が可笑しいんですか!」


「昔、似たようなことを言われたよ」


 くすくす笑いながらレオが答える。


 いや、似てないか……? お前の方が、僕への評価がかなり手厳しい。


「ほらね!」


「言われたのはその人とお前だけだよ」


 お前は何でそんなに怒ってるんだか。


 女の子でもないくせに。


 カルミネともう少しじゃれ合いたくて、レオはカルミネの顔を悪戯っぽく覗き込んだ。


「誰彼構わずこんなことを言いはしないけど、頬の熱を取ってあげようか」


「結構です」


「でも、熱くて困ってるだろ?」


「お構いなく」


「ねえ」とレオは食い下がった。


「お前に触りたい」


「だからそういう……。んもう! パリ帰りはこれだから!」


 レオは心外だと言わんばかりに顔をしかめた。


「誤解だよ。あっちじゃ修道士より清らかな暮らしぶりだったんだぞ」


「へええ~。修道士ってヴェネツィアの?」


「バチカンの」


「そりゃお盛んなことで」

 

 カルミネがぷはっと笑った。


「冗談だよ。本当に清らかだったんだから」


「どうだか」


「いいから、ほら。ほっぺたをお出しよ。冷やしてあげるってば」


「遠慮しときます。僕のほっぺたなんて、触って楽しいもんじゃないですよ」


 レオが伸ばす手を、カルミネがひらりとかわす。


 細身のフロックコートと、小さな黒マントは、くっついたり離れたりしながら、楽しげに路地を歩いていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。